『10番街の殺人』は『ジャンヌ・ダルク裁判』みたいな映画だったのか。後者の凄いところは、いくら扉を閉じてもまた次の審問にしか切り替わらないところだ。
審問が淡々と映し出されて、火刑が執行されて終わ…
とにかく事実としてカメラが事象を捉えていく、カメラが何を捉えるのかというのは監督の意思があるだろうが結局のところ浮かび上がるのは、観客がいて・何かを見ていて・何かを感じるということであると思う
天…
いきなり落涙するのでジャンヌ・ダルクのイメージは歴史を軽々と飛び越え観客と地続きの世界に引き摺り下ろされる。独房の壁に入った罅から衆人環視され拷問ののち悔悛まで辿り着くも一生独房生活を強いられるのに…
>>続きを読む再びのジャンヌ映画。こちらはドライヤーと違い淡々とした会話劇のままジャンヌの火刑にまで及ぶ。しかし話の前提は広く共有されているため、今まで見た中でもブレッソンの作劇法が最も伝わるフィルムと言って良い…
>>続きを読む淡々と裁判の流れを追ってるだけの映像なのにジャンヌダルク役の俳優さんの目線だけの演技の魅力に目が離せず
「神様」ありきのトンデモ裁判を大真面目にしてるところは滑稽だし、いいように政治利用されててし…
ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』とブレッソンの『ジャンヌ・ダルク裁判』は、同一の歴史的題材を扱いながらも、それぞれの形式が持つ知覚論的な特性を極限まで探求した対照的な作品群である。
ドライヤーは、…