最後の誘惑の作品情報・感想・評価・動画配信

「最後の誘惑」に投稿された感想・評価

人生で振り返り、最も思い出している映画はこの映画でしょう

映画自体も我ことのように何度も見ていますʕ⁎̯͡⁎ʔ༄

小学生のころから教会に通っていましたが、いまいちイエス自身には関心が持てず、反抗期にタクシードライバーやレイジングブルが大好きだった中学生の私に、「最後の誘惑」を通してイエスや聖書を伝道して下さったスコセッシには大変感謝していますʕ⁎̯͡⁎ʔ༄

それ以来ずっと、イエスは私の心に住み続けていますʕ⁎̯͡⁎ʔ༄

素晴らしい映画
デヴィットボウイも出てるʕ⁎̯͡⁎ʔ༄

このレビューはネタバレを含みます

↓↓自分用ネタバレあらすじ備忘録↓↓

ラスト、十字架にかけられるが天使が現れ神の救いだと言う。人間として子供を作り一生を終えようとした時、ユダに「あなたを信じて裏切ったのにあなたは逃げたのだ」と罵られる。キリストはもう一度神の子になることを祈り 十字架にかけられる。
ひと

ひとの感想・評価

-
キリストが悪魔の誘惑に負ける話。
神の預言者であるキリストだが、1人の人間としての心情も描かれていて、預言者と1人の人間の狭間で揺れ動く葛藤が印象的だった。
目立ついい男だなと思ったらデヴィットボウイだった。
とし

としの感想・評価

3.2
イエスを神の子でも預言者でもなく悩める人間として描いたのは斬新だが、キリスト教をあまり知らない自分みたいな者にとっては導入部分で眠気に襲われる。 ユダの裏切りをイエスの使命として描いたりと公開後に物議を醸したようだが、キリスト教があまりわからぬ者にしてみたらあまり伝わらない。同じキリスト教を扱ったものなら『沈黙』の方が上映時間が長くても気にならないぐらい面白かった。
だいき

だいきの感想・評価

3.7
遠藤周作の描くキリスト教と同じような印象を受けた。つまり、それが史実(というか、キリスト教解釈として正しい)かどうかを気にするものではなく、一つの"if"の話として楽しむことができるかどうかのみで観るべき作品ということ。
それを受け入れた上で鑑賞すると、かなりストンと落ちた気がする。魂が少しだけ浮いているような気持ちで観れる映画だった。

そして何よりボウイがいつも通り最高にかっこいいのと、ピーターのサントラが恐ろしくいい。映画を観る前からサントラは気に入ってずっと聴いていたけど、このテーマの映画のサントラにこんなワールドミュージック要素満載の音楽を使って、見事にフィットさせてしまうなんて…。ピーターはアーティスト・パフォーマーとしても当然すごいんだけど、デザイナーとして非凡な才を持っているということを見せつけられる。
聴いていると黒い煙上の闇が押し寄せてくるような気分になりそうな録音・ボーカル・サウンドスケープなんだけど、それをアフリカの民族音楽のリズムや打楽器という枠組みの中に収めることで、全体としてとても調和が取れた「心地よい不安と落ち着かない安らぎ」とか「迫り来る喧騒とそれまでの静寂」が表現されている。大地に身を投げ出した時の、小さな虫が皮膚の上を蠢動しているような落ち着かなさがあるんだけど、同時にその虫が僕の鳥肌でロッククライミングしていることを考えてしまうような。つまり自我や自由意志を保ちながらも自然の一部として自分を存在させるような。
The Last Temptation of Christ

悪魔に幸せな人生の幻を見せられた十字架の上のイエスが、ユダの一喝で神の子として死ぬ決心をする終盤が興味深い
犬

犬の感想・評価

3.6


ニコス・カザンザキスの原作を基に、神の予言者としての役割と、1人の人間としての欲求との狭間で悩むキリストの姿を描いてゆくフィクションドラマ



いろんなものを見て感じる
その後も描かれます

見応え十分

語り
言葉で諭す
ただ、上手くいかないこともあり

使徒
いろんな出会いが

宗教観
苦痛もあり

壮大
砂漠も印象的でした

雰囲気ある

バーバラ・ハーシーの感じも良かったです
しぃ

しぃの感想・評価

-
※非キリスト教徒の私見です。

大好きな映画。
キリスト教の知識は言われてるほど必要だと思わない。個人的にはキリスト教徒でない方が「楽しめる」と思ってる。聖書や「正統」とされてる教義とかなり異なるのは、理解する必要があるとは思うけど。

多くのキリスト教徒はイエスが100%「人」であり、同時に100%「神」であると考えるんだけど、本作品も肉体を持った「人(の子)」としてのイエスと「神(の子)」たる救世主キリストの対立とみれる。もっと一般化して「欲望vs理性」だとか「利己vs利他」と読み替えてもいいと思う。「世俗vs信仰」もそうかもしれない。どう理解するにせよ、非キリスト教圏で生まれ育った無神論者としては、前者を選択する自由があったからこそ、それを自由意志(どうこれを理解するにせよ)に基づき拒絶し後者を選ぶことが偉大なんだと思う。

「なにが正しいかはわかってるけど、選びたくない」の葛藤はさまざまな形で日常的に経験するものだよね。その中で「悪」い選択をすることもできるし、認めたい以上にそうしてしまうこともあるけど、だからこそ「善」いことをする意味がある。別にフェアトレード商品じゃなくて半額のコーヒー買っても、スーパーで美味しそうなウナギ買ってみても、捨てるとこみつからないから公園のベンチにゴミ置きっぱなしにしてきても、多分誰も怒らないけど、怒られないからこそ「正しい」ことを選ぶのが尚更「正しい」のかもしれないね、って。無理矢理昨今の話題に繋げるなら、罰則も強制も無いからこそ、自律的に外出制限したり感染拡大対策する態度が尊いよね、って。映画館行きたいよ。。

そして、「悪」への誘惑が魅力的であるほど、あるいは「善」が多大な苦痛を伴う時ほど、「善」を選ぶことは難しいのだから、「最後の誘惑」に打ち勝つイエスという描写が力強いのだと思う。

これらの行為は、もちろん自分が思いたいほど影響力を持ったものでないと知っている。「サステイナブルな生活」なんて、所詮フィクションでしかないのかもしれない。聖書と同じように。イエスは復活しなかったかもしれないし、実在すらしなかったかもしれない。『最後の誘惑』はデフォー扮するニューヨーク訛りの「イエス」が赤いシロップを全身につけてウロウロするフィクションでしかない。でも、それらによって人が救われるかもしれないのなら、別にそれでいいのだろうとも思う。あるいは、「善」く生きようとする態度こそが、一番大切なのかもしれない。

別に説教くさいこと言いたいわけではなくて、そんなことを考えさせられた。「女性の日」だしね、今日(2021\3\8)。


「精神vs肉体」などの二元論的世界観やユダの解釈なんかは「ユダ福音書」(の通俗的解釈)と酷似するけど、原作はもちろん映画のできた頃にはまだ知られてなかったよね?知らないだけで似た考えは以前よりあったのかもしれないけど。あと、最近「ヨブ記」を読みなおしたんだけども、テーマ的に通じるところがあるように感じて、なかなか面白かったです。「神を信じたいけど信じられない」問題へも、この作品は一つの答えを提示してくれるように思います。

最後に演技について。デフォーは大好きなんだけど、酷評されてるカイテルと共に、少し違和感のある演技でした。勿論ラストまで見ればそれが意図的なものであったことはわかるのですが、中盤あたりまで気になったのは事実かも。

ご静聴ありがとうございました😊
スコセッシ監督がキリスト教に挑んだ作品。
様々な誘惑に耐えたイエスは人の子か神の子か?
一瞬の夢から最後のどんでん返し。とにかく、深く心に残る映画。
イエス・キリストの人間的弱さを強調した解釈で描いた映画
キリスト教信者から抗議がくるのも当然と言えば当然なんだけど引き込まれ心に響く作品だった
3時間弱の尺とは思えないほどテンポの良さ、引き込み方さすがスコセッシ監督の手腕は凄まじいと感じた
>|