メディアの作品情報・感想・評価

「メディア」に投稿された感想・評価

やまし

やましの感想・評価

4.5
振り切った救いのなさがラース監督らしかった。独特な色合いと風景の美しさを見る映画だなとも思いました
Jeffrey

Jeffreyの感想・評価

1.8
「メディア」

冒頭、波打つ怪しげな別世界の風景の中に倒れ込む1人の女。カメラは海中へと進む。複数の王と子供、裏切りと命令、王冠と毒と殺人、安住の地、約束、結婚式。今、王と国の事柄が映る…本作はラース・フォン・トリアーによる、テレビドラマ映画で、1988年に製作されたもので、カール・テオドール・ドレイヤーがエウリピデスの劇 の"メデア"を改作したものに基づいてた作風である。このたびDVDボックスを購入して再鑑賞したが、エウリピデスのギリシア悲劇"メディア"に基づいた長編第3作目は映像がかなり美しい。ドライヤーの脚本に加え、切れ味鋭い表現と特殊な映像技術による独特の色合いが鮮やかで、舞台も古代風の永遠の場所であり、尽くした愛が憎しみへと変わる復讐の悲劇をメロドラマ的形式と風景画的側面で奏でている。だが、個人的な巨匠に対する敬意を表したいとドライヤーに対して監督が冒頭の説明文で伝えている。

さて、物語はメディアは夫であるイアソン捨てられた。イアソンはコリントスのクレオン王に認められ、王様の娘グラウケとの結婚を果たそうとしていた。アイゲウス王はメディアと2人の小さな子供たちに安住の地を約束する。結婚式を終え、グラウケを抱こうとするイアソン。だが、グラウケは先妻であるメディアをこの国から追放しなければ寝床を共にしないと言い渡した。クレオン王はメディアを訪ね、国から出て行くように命令する。これまで尽くしてきたイアソンは自分を完全に裏切り、そしてこの地に入ることさえできなくなってしまった。メディアは復讐を決心する。イアソンを呼び出したメディアは、彼の意に従うふりをする。そしてグラウケに花嫁の冠を送る。それには毒を染み込ませてあった。グラウケは、冠の先に触れてできた傷がもとで死に、助けようとしたクレオン王も毒に触れて死んだ。メディアの復讐はさらにイアソンとの間にできた愛する2人の子供たちにも及ぶ。イアソンは全てを失ってしまったことになる。
壱木

壱木の感想・評価

3.5
悲劇。画質は悪いけど、映像は美しかった。是非高画質で見たい。
白

白の感想・評価

2.0
全然運動がない。停滞感が明白で、カメラを振り回してるだけの印象。確かにトリアーらしく王女メディアのキャラクターは複雑で、画一的な二項対立からはかけ離れていた。だが絶望や葛藤の描き方(容赦なさ)が物足りないので面白くない。
隣の席に座ったオジサンが、殺害シーンときに「うぇぇぇ~」と声を漏らしてたのが一番面白かった。
綿目

綿目の感想・評価

-
ノーザンライツフィルムフェスティバルにて鑑賞。
観る前までメディアってどんな話だっけと思っていたのだけど、ドラクロワの絵を思い出し、トリアー監督、そしてタイトルの影で鬱映画の予感を察する。

全体的には思っていたより影が薄い印象だった。しかし例のシーンでは、観ていて全身の血が冷たくなっていくような感覚を味わせてもらった。
しかも兄が嫌がる弟の手を引いて連れ戻すのとか、そこに尺取るあたりが嫌ーな描き方してるなと内心にやけた。
馬のシーンもなかなか禍々しく恐ろしかった。

子供が転んで泣き叫ぶシーンが印象的だった。なんか、この世で生きることの逃れようのない苦しさを子供は潜在的に感じていて、メディアは子供を見てそれを思い出してしまうような…

右の方でゴトッと音がしたけれど噂によると靴を投げたとかなんとか。
確かにパンフレットの案内だけで何も知らずに観に行った人にとっては、きっと大外れの作品なんだろうな…
とにかくひっでえおはなし。

不吉なタイトルデザインに嫌な予感。
見事に的中。ち、ちくしょう胸糞わりいぜ…


でも映像体験としてはすごい。
常に吹く強風が、麦畑も海も何もかもをざわめかせる。こんなに歩きづらい国はそうそうないだろう。

まぁ合成に関してがさい部分はあるが、人物の臭さがそれを補っていてそこまで気にならない。
なんにせよ、壮大な映像には見入ってしまった。


ラストには、イアソンが生きていたのはメディアの頭の上だったということが、ようやく分かる。
そんな事も露知らずにメディアを裏切り、ガチ畜生の道を行ったイアソン。

なるほど納得のエンディング、納得の映画であった。
kyoko

kyokoの感想・評価

4.1
カール・テオドア・ドライヤーが戯曲化したギリシャ神話を、トリアーがテレビムービー用に作った作品……ということを、親切な前置きではじめて知ったw

そもそも神話自体が強力な悲劇なので、トリアーの頭がおかしいってわけではないのだけど、子どもたちのアレの怖さはザ・トリアー。隣の人が思わず「ああ~」って声出しちゃうのもわかる(でも「静かにしろ!」って思った笑)。

計算し尽くされた視覚効果、俯瞰の美に圧倒され続けた77分。
連続鑑賞にヘロヘロだったけど頑張って観てよかった。

これで今年のノーザンライツはほんとに終わり。
soratobi

soratobiの感想・評価

3.8
"人生は闇への道のり。
その行為は神のみぞ知る"

穏やかな海に漂流しているかのような船。
馬があてなく走りまわる蹄の音。
風が舞う荒れた草原に、
一本の古い木。

真上から自然と人を切り取る様な視点に、
終始、箱庭での出来事の様だった。

タイトルバックに全てが。


#TNLF2020
#トーキョーノーザンライツフェスティバル2020
観ててまず、80年代半ば、圧倒的に映像の力(だけでもないだろうが)のシャープさ・造型を見せつけた、欧米の新鋭に心奪われていたことを思い出した。本作でも、あまりに小さく大量の陰影の規則性ある動めきが、光と風の力や自体の密集・微妙なあり方で、視覚というよりこちらの体内で直にそよぐようなイメージ~圧倒的な渡り鳥群の影としての一瞬写りこみや、深い草むらへの馬での乗り込み俯瞰~らを頂点として圧倒された。さらに、自然空間での堂々たる退きの切返し・人の実体と影が絡み明滅する寝所布地仕切り・内縦から外Lへのフォロー動感と解放感・ディゾルブやLの俯瞰や縦での動き・等の待ってた通りの納得感、それらを囲い包む・丘に城見える背景・波打ち際・長く続く洞窟内・シンプルで潔い出で立ち(裸体も)と棲み家・広い草原・の重くくなくも適度に素朴でまろやかな神性の漂い、に魅了された。子どもに到るまで人物たちも、シンプルも安っぽくなく寡黙で全てを心得、余計にのたうつ弁明もなく、運命に殉ずる毅然とした存在力がある。余計な飾りなく、実に映像と人間の威厳・シャープなあり方がストレートに感じられる。もう40数年前に観たきりで、断言は出来ないが、パゾリーニ=カラス版よりいいと思った。
本作を観る気になったのは、この作家の新作に先日感銘を受けたせいもあるが、何よりドライヤーの『ゲアトルード』の次回作として用意されていたものをベースにしていたからである。ドライヤーにも、神秘的な造型、犯しがたい精神性があるが、勿論、晩年に撮ろうとしてたことを抜いても、こんなにあからさまにトンガってて、ストレートなものではなかったろう。より恐ろしく、より触発され、無条件にこちらを解放するものを内在していたであろう。そして、その先のイエス・キリスト伝の途を開いたのであろうか。しかし、(先日も金返せと思った唯一に近い映画と知人にも云われたが、個人的には『~ライアン』『リンカーン』と並ぶ、ならすと史上最大の映画の伝播者スピルバーグの最高作と思う)『A・I』がキューブリックの遺稿からの、イメージ的原型となって、真っ直ぐその本来創られるべき作品を想像させたように、ドライヤーの神髄・行く先の視覚的・フォルム的完成品をかなりしっかりと想像させてくれただけでも、本作の力の証左といえると思った。TV用作品で、製作条件も、残された媒体も表面上かなり貧しくとも。
トリアーと共に(初期)、映像の力を痛快に思い知らされた米の方の作家とは、勿論『ブラッド・シンプル』『赤ちゃん泥棒』『ミラーズ・クロッシング』のコーエン兄弟のことだが、’85から毎年とはいかずも隔年毎に規則正しく意匠に満ちた新作を観れてて結構ワクワクしたものだ。トリアーも同じ’85に日本初公開と思ってたが、調べたら勘違いで『エレメント~』は’87公開だったから、呼応するように見比べてたわけではなかったようだ、そもそも彼は劇場用作品では初期寡作のようし(もしかして、コーエンと同じく映画祭お披露目だった? 若い時の2年というのは、随分な開きだから)。
トリアーはハリウッドに行くべきではなかったとの思いを強くした。火水風土4元素を印象付けてさらに鬱屈を極めることで、呪術的な、怨念めいた迫力が映画に備わっている。それがカール・ドライヤーの企画だったことと関係あるかは知らない。
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