あの家は黒いの作品情報・感想・評価

あの家は黒い1963年製作の映画)

Khaneh siah ast

製作国:

上映時間:20分

4.2

「あの家は黒い」に投稿された感想・評価

CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

5.0
【イランハンセン病患者の肖像】
『死ぬまでに観たい映画1001本』に掲載されているイランのドキュメンタリーを観てみました。

眼球のない者が鏡を覗き込む。手が動かない者の手をぐにゃぐにゃマネキンのように動かす。ギョッとしつつも映画的ショットの連続に思わず凝視してしまう。障がい者や社会的弱者を扱ったドキュメンタリーはたくさんあるが、本作は映画が抗うことのできない覗きの好奇由来の映画的ショットを維持しつつも、食事の分配、編み物、祈りといった集団と個の充実した生き様を捉えていく。ハンセン病患者だって一人の人間だ。人間らしく人生を謳歌したいし、そのためには共同体が必要なのである。健常者同様にお洒落をしたりしながら今を生きようとする姿に力強さを感じる。そして、本作は容易に言語化することも憚れる神聖さを宿していた。正直、私には長文で語る程の技術を持ち合わせていない。しかし、本作は間違いなくイラン映画の最高傑作であり、『死ぬまでに観たい映画1001本』に掲載されるのも納得な作品でありました。
☑️『あの家は黒い』及びシーデル・ベイザイ・サレスらの短編群▶️▶️
いうまでもなく、イラン映画史上の最高作。パゾリーニ『マタイ伝』(『奇跡の丘』)を数倍上回る力を持っている。だが、本作は映画史に模倣や影響を生み・与える事はなかった。映画作品として、形を残してないからだ。これを方向・流れを持ち、余波を与える作品と呼べるのか。たしかに、反復され行戻りするカット内移動や全体の構成、隣接時空間や大きく間がある筈のものの力強く鋭さこの上ないモンタージュは存在・確立されている。しかし、それは何の効果・帰納ももたらさない。表現ではあるが、これは映画的現実であり、表現的現実である。相互の関係を拒み、位置付けを拒み、永遠に存在が終わらぬ・消失しない。
これ程感情を排して、撮られることに抵抗・こだわりを持つ人たちの顔を羅列、画面に打ち込み続けた作品もない。教育の場や、日常の奇異か困難な移動、真情の吐露も、先に延べた強いデクパージュの力を備えて描き続ける。そこではナレーションが読み上げる、前半の神の御心の受け入れの親密かつ荘厳さも、中盤の当時の社会・科学通念による展望の確かな存在も、後半の神への留まらぬ呪いや動物的姿勢も帯びた訴え連綿も、落差が存在しない、おなじ判断の入り込めない黒い力を放つ・定着を拒む。
そして(揃っていない16ミリプロジェクターを新規範DCP化が上回ったせいもあるが)極めてコントラストの強い接写連打や縦の図のどんでんめの図自体の圧巻と同等に、時系列や配置地理を遡り飛び大胆に楔的に打ち込まれるモンタージュや、地球を捻りこむ移動も、捉えられる図内のハンセン病患者自体と同質のインパクトを持つ。もはや、映画として分解・分析不能の眼前から動かせず密着を解いてくれない存在となりきっている。
映画も世界的にゴダール・レネらの(広義)ヌーヴェルバーグ、ブラッケージ・メカスらのニューアメリカンシネマが席巻の、世界的価値観変動の60年代、イランでも同じ気鋭の作家らが、極めて斬新な作品を発表し、映画を変えていった。K・シーデルの『女性刑務所』『女性区域』『テヘランはイランの首都である』『雨が降った夜』、B・ベイザイの『髭のおじさん』、N・タグバイの『放つ』、S・S・サレスの『白と黒』といった異色短編が今回の企画でも上映された。シーデルはイランの隠された暗部(女性や子供への歪み、刑務所・貧困・売春・報道と政治)にことさら突っ込んでゆくルポルタージュを試み、どす黒い現実の力とそれに対する同等のアイロニーに満ちた手法~移動長回しは取調中の声の主らに似た位置の人間らを捉え続けなかなかそこへ辿り着かなかったり・立場による証言の(真反対の)食い違いを軽快にかつ鋭くクロスモンタージュしてゆく~が光り、ベイザイはボール取返しに懸命な腕白少年らと拒む容貌も性格も奇怪なおじさんとの攻防をマル『~ザジ』を上回る映画一般を逸脱した器械体操的運動感・開放感で描いてゆく。只それは、サレスの澄んだ抽象性と社会に密着した才気を除けば、ハイレベルも映画的才気に留まりまた本道の表現の先鋭化にストレートに貢献しており、本作の持つ地響き的訴求力は所謂映画史とは無縁に近いものだとわからせてくれる。
No.411[慈愛に満ち溢れた優しい目線]

鑑賞の記録。私はこの映画について語るほど、成熟した文章力を持っていない。シュナイダーさんに感謝ってとこすかね。
フランスでヌーヴェルヴァーグが隆盛を誇ったのと同じ時期に作られた、フォローグ・ファッロフザード唯一の映像作品にして傑作

皮膚が焼け爛れたようなハンセン病患者の姿はあまりに痛ましいが、それを見世物のように撮らず旧約聖書やコーラン、または監督自身の詩と併せて映し出す姿勢には慈愛が感じられる

加えてモンタージュの先鋭的な使い方も目を見張るものがあり、この監督が夭折せずこれ以降も映画を作っていたらどんなものが出来ていたかと思うとあまりに惜しい映画界の損失だ

しかし困難や苦境の中逞しく生きる人々というのは、フレデリック・ワイズマンのいくつかの作品やセバスチャン・サルガドの写真にも言えることだが、映るだけで力強さが伝わってきて畏怖の念を覚えずにはいられない
hamada

hamadaの感想・評価

4.6
イラン映画の詩情って本当に唯一無二だな。オールタイムベスト。
iunfe

iunfeの感想・評価

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ファッロフザードの映画、もっと観たかった。

ナレーションといい、ハンセン病患者たちの音読といい、患者たちの一人が突然歌いだした歌の旋律といい、音がとにかく良い。やけに心地よく、何度も繰り返して再生したくなる。
ハンセン氏病患者達を撮ったドキュメンタリー。アラーへの詩的な賛辞のテクストにのせて、患者達の顔、手、子供、動物が巧妙にモンタージュされ泣いてしまう。
教師の「美しいものは?醜いものは?」の投げかけが印象的。

エリセが好きなのが良くわかる映画。
spacegomi

spacegomiの感想・評価

3.9
ハンセン病療養所(コロニー)を映したドキュメンタリー。モンタージュの多用など映像自体も見応えがあるが、詩人でもあるファッロフザードによるナレーションがもたらす詩的宇宙は白眉。母語じゃないのでテクストはあまり咀嚼しきれていない気がするが、デュラスの映画とかと同じようにただそこに身を投じているだけでもある種の心地よさを覚える。
教師は生徒に問いかける。「この世で美しいものとは?醜いものとは?」
oqmr

oqmrの感想・評価

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女流詩人フォルーグ・ファッロフサードが実験的な表情でハンセン病患者の惨状を描く。詩と映像の融合。目も当てられない映像と白の背景の上の白い字幕に置いていられないように言葉に食らいつく。