サイレント映画という視覚情報のみで成立しているメディアにおいて頑なに見られることへの拒絶を示す。ブニュエル『アンダルシアの犬』とは異なる経路からの、見ることへの疑義。それは土砂降りの雨を浴びながらド…
>>続きを読む素晴らしいと思った。
「老い」とか「主体・客体」へのメッセージをFilmという言葉に纏わることを提示しつつ伝えるという遊びがたまらない。
The BeatlesのCome Togetherみたいだな…
ワンちゃん猫ちゃんを部屋から追い出そうとするが交互に出たり入ったり・・・ここだけは往年のキートンらしさがあって微笑ましいと同時に作品全体から浮いてるように感じる。正直キートンで撮った必要性はほぼない…
>>続きを読む人の目、動物達からも見られる事を徹底的に逃げる。もちろんカメラからもだ。自分が見る対象の物も見る事を避ける。写真も破り消滅させようとする。
密室の中でまるで瞑想ように知覚する知覚されるをとっぱらう行…
見ることが衰えた老人も見られることから逃れることは出来ない。犬逃したら猫が、猫逃したら犬が、また犬逃したら猫が…のとこなんてなんぼあってもいいですからね…。不条理だなとは思いつつ、何故か映画好きな人…
>>続きを読むみた。
なるほど、たしかに知覚される可能性を消尽していったあとに、自分が自分を知覚することが残り、それをも尽くしたあとに辿りつくイメージの世界が問題なのだろう。
とはいえ、内在平面と言われるものが…