セールスマンのネタバレレビュー・内容・結末

セールスマン2016年製作の映画)

Forushande/The salesman

上映日:2017年06月10日

製作国:

上映時間:123分

3.8

あらすじ

作家アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の舞台に出演中の夫婦。夫は教師をしながら、小さなの劇団で妻とともに俳優としても活動している。 ある日、引っ越ししたばかりの自宅で、夫の留守中に妻が何者かに襲われ、ふたりの穏やかだった生活は一変する。事件を表沙汰にしたくないと警察への通報を拒否する妻の態度に納得できない夫は、自分自身で決着をつけるべくひそかに犯人捜しを続ける。 演劇と犯人探し、夫婦…

作家アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の舞台に出演中の夫婦。夫は教師をしながら、小さなの劇団で妻とともに俳優としても活動している。 ある日、引っ越ししたばかりの自宅で、夫の留守中に妻が何者かに襲われ、ふたりの穏やかだった生活は一変する。事件を表沙汰にしたくないと警察への通報を拒否する妻の態度に納得できない夫は、自分自身で決着をつけるべくひそかに犯人捜しを続ける。 演劇と犯人探し、夫婦の感情のずれがスリリングに絡み合い、やがて物語は思わぬ展開に…。

「セールスマン」に投稿されたネタバレ・内容・結末

私は女だからか、ずっと妻の立場で観ていて、だからクライマックスの夫の変貌ぶりに対して、自分ごとというよりは、ねえあなたちょっとやめておいてよ、なんでそんなにするのよ、落ち着きなさいよ、みたいな気持ちになり、俯瞰して人間関係の微妙なズレという醍醐味部分を味わえなかった感ある、、、
ただ妻が自分が非があるのにそれを言い出せなかったり、ちょっとした嘘をついてしまうのはあまりにも自然な感情の動きで、自分でも気づかないくらい妻に肩入れしてた。回復を急かす夫に腹がたったくらい。

戯曲の方のセールスマンのストーリーを全く知らなかったので、それを知ってたらもっと面白く観れたんかなーと思うと残念、、
あっという間の2時間だった。
しかしイランとはどういう国なのだろうか…?

見識のない自分としては、歯痒く思ったりイライラする所も多かった。

勝手に隣人から事情をきいて職場の人にばらしてしまう同僚。
エマッドの勤める学校の、生徒たちの態度。
頼りにされない警察、事件にされない事件。
被害者であることを忘れようとする被害者。
頑なに自分と自分の名誉を守ろうとする加害者。
復讐心から加害者になりかける被害者。

更には、被害者の前で重体になるなんて!ラナの心を何度傷つければ気がすむのかな…とふつふつふつ。

イランとはどのような国なのか…と考えさせられた。
これはまた凄い。
不幸って、誰それが悪いとかこれが引き金になったとかって決定的な何かがあるわけじゃなく、いろんな要素の寄せ集めで不意に訪れるもんなんだよね。この夫婦に訪れたそれは、ほんと事故としか言いようがない。

にしてもこれは狡い!
誰の気持ちにも共感してしまうし、誰の行動にも苛立ってしまう。
ただこれを見て思うのは、普通に当たり前に、踏み外さずに市井で生きてるだけで、誰かを守ってるのかもしれないな。

だがしかし!「そそられた」の一言には完全に心の中指が立った。このじいさん、対被害者だけだったら絶対白状しなかったろうし。旦那が介入したから、自分よりも明らかに強い男が割って入ったから反省した側面はね、女性から見たらなんかぐぬぬとなったのだ。
このカットの意味はこれとあまり決めつけたくないので、本作のラストはオープンエンドなのだと考えます。
ラナとエマッドはエンディングの時点では終わり切ってないでしょう。
それにはまた別の物語が続くはず。それ位の描写の積み上げはあったはずです。


エマッドはラナとの約束は破っていない。別の破局を招いていて責任の一端は免れないが、ラナの理性と倫理がどこまで理解してどう右か左かの白黒をつけるのか、付けないのかも分からない。その後の舞台に二人がいるのだから。交わす視点の意味を視聴者が一意に決めることなんかできない。そういうラストだと思いました。

ラナは彼女の思いとズレながらもエマッド自身のエゴさえもラナを軸にしか動いてない事すら突き放してしまうのか。

男の馬鹿さ加減なのかもしれないけど、付いていけないが見捨てないというラナの倫理感、警察沙汰にしたくないラナへの裏切りを反転して他者の想いを近い人間(エマッド)へも適用して、時間が許容と理解へ動くことを期待したい、そういうラナでした。ファム・ファタールがそんな単純では面白くない。

エマッドはテストステロンの支配下からの抗いをも見せている、ラナはそこを思い測らないのだろうか。

女性心理という一般化から独立したラナの人間としての倫理的知性を信じたい。そういう男の儚い願いを表した映画とも読めないでしょうか。
非常に個人的な偏った見方ですが。結局エマッドに肩入れラナを客体としてしてみてしまって部分は否めないのだけれど。分かれよと言われると二の句が継げないけど、それでもラナの心がとても気になります。

あとは、イラン文化ローカルを感じさせない神話的物語類型に則った普遍性のあるドラマ展開が意外でした。
鍵を解除したあとに、ドアがゆっくり開く場面がホラー映画みたいで気持ち悪かった。
「セールスマン」という劇についてよく知らずに観に行ったので、演劇の内容と現実の話がどのように関わっていたのかがわからなかった。
撮り方が素敵ないい映画だと思うんだけど、あとひとひねりがあるとサスペンスとしてよかったかな。後半で、部屋に残されていたお金を夫が男に返したとき、男が一瞬変な顔をするんだけれど、そのお金は男が置いたんじゃない、とするとか。別の犯人が出現してもいいのかなと。
それと、根本的なことなんだけど、貞操に対する考え方が現代社会的でないので、妻の気持ちや痛みを考えていない夫に感情移入するのが難しい。夫は妻が被害にあったことを自分の持ち物が壊されたくらいにしか受け止めていない。そんなことを感じてしまった。
劇中の舞台のなかのセールスマン役を演じる夫が徐々にその役そのもののようになっていってしまうところも、宗教的なことも男尊女卑もとにかく息が苦しくなる。そして半開きのドアの恐ろしさは下手なホラーより上。
日本、もっと言えば身内の男たちのなかにも(女たちの中にすら)似たり寄ったりな“女性”に対する差別的思考があることもあり本当に胸くそ悪く、情けなさすら感じた。
ただ、私のなかではもうテーマ的には飽きてきてる。
全員不幸になる救いのない話ですが、複雑な心理描写に圧倒されました。
特に、襲われた女性の心の機微をここまで描けるのがスゴイ。夫の無神経(本人は自覚なさそう)な発言で、妻が「死ねばよかった」とつぶやくところなど、 本当に男性監督?と思うほどでした。

復讐して恨みを晴らそうとしていた相手が、想像していた「悪」の形をしていなかったら。
自分は被害者なのに、それを明らかにすることが、他の誰かを激しく傷付け不幸にするとしたら。

主人公たちの選択は仕方のないものだとは思いますが、やっぱり犯罪者が見逃されるのはイヤだなあ...
戯曲『#セールスマンの死』

年老いた63歳のセールスマン、ウィリィ・ローマンとその家族の物語。自立出来ない2人の息子や、過去の幻影にさいなまれつつ慨嘆するローマンは、誇りを持っていた仕事まで失い、最後には自ら死を選ぶ。その保険金で家の月賦が完済されたことを嘆く妻の独白で幕が閉じる。

映画『#セールスマン』

小さな劇団に所属し、作家アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の舞台に出演している役者の夫婦。ある日、引っ越したばかりの自宅で夫が不在中に、妻が何者かに襲われる。事件が表ざたになることを嫌がり、警察へ通報しようとしない妻に業を煮やした夫は、独自に犯人を探し始めるが……。 ‥ということで『セールスマン』観てきました。
素晴らしい映画でした。観終わった後、この感情を なんて言葉にすれば良いのだろうか…という余韻があって いまだにうまく言葉にできない この感じを味わえるのは、やはり映画の醍醐味です。
言葉で語らずに空気で伝わる映画でした。
イラン映画ですが、多少の文化的な違いはあれど、イランだから どうというわけでなく、これは、普遍的な物語だな‥と僕は思いました。男は、理性でモノを考え、女は、感情でモノを考えてる。どこにでもある男女のすれ違いの話です。この映画は、事件の肝心な部分は、ほとんど描かれていないため、観る側の想像力が必要となりますが、「なぜ警察に言えなかったのか」、「なぜお金が置いてあったのか」、がポイントで、その点からも何が起きたのか想像できるようになってました。
やはり『セールスマンの死』を読んでからこの映画観るのが大前提だと思いました。
彼は、どんどん復讐心から心が荒んでいきます。
やがて、演じている間も 怒りがあらわとなり、劇の中で台本にない台詞まで言うようになっていきます。そして何より、その演じていたセールスマンこそが加害者のことなので、これを読まないと加害者側の立場を理解することは、難しいと思いました。
また、奥さんが「なぜ赦そうとしたのか」も それは、彼女がこの作品を演じていたから逆の立場になって物事を考えることができたということになります。
この物語は、許しの難しさと許しの大切さを同時に描いていましたが、作品を通じ客観的視点を持つことで相手を赦すことができることをこの作品は、証明したのです。そして、復讐からは、何も生まれないどころか、大切なものすらも壊してしまうことも。どこまでもポジティブな資本主義社会の行く末は、案外残酷な結末が待っているのかもしれません。現代の社会では、何を手にしたかで 人から判断されてしまいます。
けれど実は、本当に大切なのは、「何を手にしたか」ではなく「何を与えたか」だと思うのです。「何を与えたか」は、目には見えないものがほとんどです。それでも見返りを求めずに与え続けることが大事だと思います。たとえ報われなくとも。その先にあるのが感謝だと思うので。『セールスマンの死』とは、これ以上ないものを家族に与えた話でした。これは、そこから学べた人間と学べなかった人間についての映画だったのです。
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