セールスマンのネタバレレビュー・内容・結末

セールスマン2016年製作の映画)

Forushande/The salesman

上映日:2017年06月10日

製作国:

上映時間:123分

3.6

あらすじ

「セールスマン」に投稿されたネタバレ・内容・結末

アスガー・ファルハディ節というべきか、今回も登場人物の目線と仕草、空気、エンディングの後を引くモヤモヤ具合。
ちょっと勇気を出して伝えればいいのに、それをしようとしないことでかえって事態がややこしくなる。
それが予想外の展開とサスペンスを生むことになっているが、今回はイライラする度合いの方が強かった。
真犯人のおっさんの理由もしょうもないけど、その往生際の悪さ、突然急変して主人公達は何もせず事態を見つめるという何もしていないのに何かしでかした気になる居心地の悪さが観ていて暗鬱とした。
なんで警察に連絡しないの!?
っと思ったらイスラム教文化では被害者である女性が責められることが多いのか。
まぁ日本でも被害者を責める人いるくらいだからね。

そんな加害者にも妻や娘がいて…
家族には関係ないけどそのまま彼のやったこ不貞や暴力知らせないで普通に暮らすのも許せないよね。

最後夫婦関係どうなったか気になる。

お国柄か女性への暴力シーンは無し、想像で。
しかも必ず女性は頭になにか被ってる。
映画でも例外ない徹底さ。
何とも言えない感じになる映画。
タイトルから何となく敬遠していたのですが、風邪で会社を休んだ日にチョイスしてみた1本。
イラン映画と知らずに観たけど、最初から惹き込まれた。
リテラシーの低い私は、登場人物が見分けられず巻き戻しながら鑑賞。
レイプされたのか?されていないのか?最後まで不確かだったのですが、他の方のレビュー観る限りレイプされていた模様。
えっ、それなのにすぐ舞台に立っていたということ?
公にしたくない妻と、警察に言って解決したい夫。
犯人は、あれ?この人なんだという感じ。
持病を抱え、家族に慕われていて、こんな老人を警察に突き出すのはかわいそうという気持ちも湧いたけど、欲望に任せてレイプしちゃってることを考えると、うーーん。
妻があれほど寛容なのが不思議に思えてくる。でも、実際にあの犯人を目の前にしたら復讐するなんて気持ちにはならないだろうなぁ。
警察…警察はそんなダメなの…?てかおじいちゃんかわいそう…許したげて…
どちらにも愛があった
どちらにも正義があった
どちらにも忍耐があった
どちらも強さがあった

ただどれもこれも方向が違っただけ。
ただどれもこれも形が違っただけ。
ただどれもこれもズレていただけ。

ただそれこそが何より互いを苦しめる。

誰も救われない辛い映画ではあるけれど
私はそれよりも忍耐の愛と強さを感じる作品でした。

いくらでもとどめを刺せる状況でとどめを刺さない。

私達は人の痛めつけ方ならいくらでも知っていて
憎悪を抱く相手には精神的にも肉体的にも
最大の苦しみを味わってもらいたいと思っても無理はない。
陰湿にネチネチと苦しめ続けることだって
やろう思えばいくらでも出来る。
現代の日本にはそんな出来事が哀しいことにありふれている。

それでも彼は堪えた。
あの一発は加害者への憐れみの心からくる
その時の彼に出来る最大の優しさだったのかもしれない。

あの「一発」で心の中で蠢く憎しみに
ピリオドを打つことにしたように私には見えた。

結果いろんな意味でピリオドを打つことになったことが皮肉だけれど。

負の感情を抱く事は誰にでもあるし
いつも正しい行いなんて出来ないけれど
とんでもなく醜い行動をする前に
思いとどまる強さを持てたらいい。
字幕版で鑑賞。
イスラム圏の文化的な背景を深く知らないので、劇中で起こる出来事や行動に「何故」と思うことが多々あった。
・急に引っ越さなければならないのか?
・そんなに空き家は見つからないのか?
・警察は役立たずなのか?
事情はよく理解できないものの、ストーリーや雰囲気自体は楽しめた。
どちらも因果応報というエンディングなのだろうか。
後味は悪いものの独特な余韻がある作品。
終始もやもやする作品。
基本的にもやもやするのが好きだけど、これはまた違うもやもやと言うか。
うーーん。



・冒頭から主人公が住むアパートが崩壊寸前になっているらしく大騒ぎ。アパート横では動き続けるショベルカー。
→無謀な土地開発の為半壊になった。という推測が多々あるがあまりにも唐突すぎて。結局この引越しが原因で色々事件が起こったので、ここに関してはもう少し丁寧にやってほしかった。


・以前あの部屋に住んでいた女性

→鍵のかかった部屋に関しても揉め、近隣住民からの噂話や、いかがわしい仕事だの、この女が加害者を仕向けただの言われていたが、結局ただおじいさんがのこのこやってきてそそられて暴行したという結末。
それならここまで「怪しげな謎の女!!!」みたいにしなくても良かったんじゃないか。
そんでもってこの女性について何度も話が出てきたからいっそチラッとでも登場させるのはダメだったのかなと。うーん。中途半端。



・断固として警察に言いたく無い妻
男を見つけ復讐してやりたいという夫。

→こんな大怪我になっているのに何故妻は警察に被害届を出さないのかと思っていたら、イランではレイプされ告発しても被害女性の方が罪になるという事もあるという。(なんと恐ろしい、、、)

映画の中では「浴室の中に入った」という話で終わっていて実際に中で何が起こったのかは分からないが、ここに関しても微妙な表現が多々あり、いっそどちらかはっきりさせて欲しかった。あえてうやむやにしたのだろうが、その分奥さんへの同情も加害者のおじいさんへの怒りも中途半端になってしまった。



・劇中に出てくる舞台

→「セールスマンの死」についての予備知識が全くのゼロだったので、きっと作品を知っていればもっとこの映画を楽しめたのであろう、、、。先に調べておけばよかった。残念。



過去作と比べてしまうのはあれだけどやはり「別離」が素晴らしかった分今回も期待して見たので、やや点数低め。
壊れてしまったものは、元には戻らない。
でも、戻ると信じて、何かしたくなってしまう。
しかし結局その行為が、より崩壊を助長することになってしまう。

『私が傷ついてるのに、あなたは何もしてくれない』

この言葉が、男を間違った方向に進ませてしまう。

女がして欲しかったことは、女なりに何かあっただろう。それが何だったのか、映画を見ているだけでははっきりとは分からない。しかし恐らく、女性であればその輪郭をうまく掴めるだろう。女性の気持ちに敏い男も、分かるかもしれない。僕の想像が当たっているかどうか分からないが、恐らく彼女が望んでいたのは、彼女の感情に寄り添うような行動だったのだろう。女にしても、どうして欲しいのかはきっとはっきりとは分かっていなかった。でも、自分の今の辛い気持ちや状況を理解して欲しかった。男に、自分と同じ場所に立って欲しかった。そこから何が見えるのかを語り合いたかった。完璧には難しいとしても、女が望んでいたことは恐らくそういうことだっただろう。

しかし男は、女のその言葉を違う風に受け取った。そしてそれは、女がまったく望んでいないことだったのだ。

男には、自分のその行動が正当で妥当で、そして彼女のためになるはずだと思っていた。そうでなければ、あんなことはしないだろう。

男は、壊れたものが元に戻るはずだと思っていた。いや、そう信じていた。壊れる前の状態に、きっと戻るはずだ、と。そう信じていたからこそ、男は普通ならやらないような行動を取った。

しかし、恐らく女は、壊れてしまったものが元に戻ることはないと分かっていただろう。もう取り戻せないのだ、ということが。だから女は男に、壊れたままの状態で前に進んで行って欲しいと願っていた。そのための行動を、取って欲しかった。

ここにすれ違いがあった。そのすれ違いが、壊れたものをさらに崩壊させるような状況を生み出してしまった。

きっと誰も悪くないはずなのに、すれ違い、より壊れていってしまった二人を描き出す。

内容に入ろうと思います。
エマッドとラナは、同じ劇団に所属する役者であり、夫婦でもある。現在、「セールスマンの死」の稽古中だ。ある夜、突如住んでいるアパートの壁が崩れ始め、出ていかざるを得なくなってしまう。役者仲間であるババクから紹介してもらった空き家を内見するが、何故か開かない部屋がある。ババクは、前の住人の荷物が残っているのだ、と説明する。とはいえ住む場所はない。二人はその家に引っ越した。部屋にあった荷物は、ババクの判断で廊下に出すことにした。
稽古から先に戻っていたラナは、インターホンが鳴ったのを夫のエマッドだと思い、玄関のドアを開けた。買い物をして返ってきたエマッドが、ラナの姿の見えない部屋で見たのは、血痕の残る浴室の床だった。
ラナは何者かに襲われたらしい。ラナは顔中を血だらけにし、手術を受けた。家に戻ってきたラナは言葉少なで、あの夜の状況についてもあまり話したがらない。一人になりたくないと語るラナと、国語教師としての仕事を放り出すわけにはいかないエマッド。二人の間で、徐々に険悪な雰囲気が作り出されていく。
部屋には、鍵の束が残されていた。犯人が慌てて逃げ帰って車を置いていったのだと推測したエマッドは、近隣に駐車されているトラックを虱潰しに探す。すると…。
というような話です。

ちょっと期待が高かったのか、面白いと感じられる映画ではなかった、というのが正直なところです。恐らく、観る側に意識して行間を読み取るような姿勢が求められる映画なのかな、という感じがしました。

状況や感情を説明するセリフが少ないので、色んなことを観る側が解釈する必要があります。説明しすぎる映画は面白くないと思うので、説明が少ない、という点に不満があるわけではありません。ただ、これはきっと僕が男だからでしょう、女性側の心情がうまく捉えきれなかったなぁ、という感じがしました。

物語は基本的に、夫であるエマッドが動かしていきます。だから、エマッドの方の言動はラナに比べれば多く、さらに僕が男であるという点も加えて、エマッドの心情についてはなんとなく想像が及ぶ気がしました。しかしラナの方は、仕方がないとはいえ行動のほとんどが受け身であり、さらに心が傷ついているために、自分が何を考えているのか、何を感じているのかをうまく表に出せない状態です。それは物語の性質上仕方ないことなのですけど、しかしだからこそ、ラナの気持ちを汲み取ることがちょっと難しかったなと感じました。冒頭で、エマッドとラナの心情をなんとなく想像してそのすれ違いについても触れてみましたけど、あくまでも僕の想像なので、ラナが何を望んでいたのかは「分からない」という感覚の方が強いです。そこが、映画全体を受け取る上でちょっと難しい部分だったな、と感じました。

エマッドが何を考えて行動していたのかというのは、なんとなく捉えられる気はするのだけど、でも共感できるわけではありません。少なくとも僕は、エマッドのやり方でラナの傷ついた心が癒やされるわけがない、と分かっているからです。エマッドももちろん、そのことは分かっていたかもしれません。分かっていてなお、そうするしかなかったのかもしれません。しかし僕には、エマッドがより強く行動するようになったのは、ラナに「何もしてくれない」と言われた後からだったように感じられました。だから、エマッドは、「これはラナのためになる行動だ」と信じていたのではないか、とも一方では感じました。

僕にしても、エマッドの行動が間違いだとは分かるけど、じゃあ正解が何なのかと聞かれたら、分からないと答えるしかないでしょう。ラナにも、きっと分からなかっただろうと思います。そういう意味では、何であれエマッド行動を起こしたのだ、とい点を評価すべきなのかもしれない、という気持ちもあります。

うまく捉えきれない映画でしたが、全体の雰囲気は良かったと思いました。
かつてアッバス・キアロスタミ監督が発表した子どもを題材にした作品でしか、私はイランという国を知らなかった。
それらの映画に登場する田舎の子どもの目を通すことで、イラン社会の実情を垣間見ることができた。
イランの映画を見たのは90年代以来だ。

1979年の革命からイスラム法学者が厳しい戒律のもと、独裁的に政治を行う宗教国家となったイラン。

イスラムの戒律から外れることは「穢れる」こと。誰もがそれを死ぬほど恐れている…。
それが初見の感想である。
心を抉られるサスペンス映画だった。

キアロスタミ監督の映画よりも、現在のイランの文明水準は発達しているように見受けられた。
しかし、本作に登場する人物の道徳観はいまだあの頃のままだという印象を受ける。

本作で描かれるのは、小さな劇団に所属する、教師のエマッド(シャハブ・ホセイニ)とその妻ラナ(タラネ・アリドゥスティ)の物語だ。

アーサー・ミラー原作の舞台劇「セールスマンの死」の上演初日の夜に事件は起こる。
先に帰宅したラナがシャワーを浴びている間、男が部屋に侵入し、暴行に及んだのだ。
ラナは肉体的な被害と精神的なショックを受けてしまう。しかし、彼女は警察に訴えることをしなかった…。

イラン社会で女性が訴えを起こすことに消極的なのには、いまだ男尊女卑の戒律が残っているからだろう。
教師のエマッドが務める学校が男女別学であることからも、視覚的にそれを匂わせる。

社会が保守的で偏見が残っているほど、女性は性的な暴行への被害を訴えづらい。

日本においても被害を訴えたことで、逆に被害者が好奇の目にさらされたり、周囲の者や無関係の人間から攻撃的な言葉を投げかけられたりなど、二次的な被害が起こる場合がある。

本作は訴えを断念させられる被害女性の姿を描くことで、閉塞的な社会を告発している。

この事件が原因で、ラナは活発さを失い、沈んだ性格となり、穏やかなエマッドは怒りを抑えられなくなっていく。

二人の心はすれ違い、夫婦仲は険悪になっていく。エマッドは復讐心に駆り立てられ、警察に頼らず独自に事件を捜査する。

イスラム社会の男尊女卑という保守的な価値観が、男にとって都合のいい社会であると同時に、男たち自身をあるモラルに縛りつけている実態が浮かび上がる。

それは「男は働き、家庭を守る責任がある」ということだ。
ひいては、「愛する者を守れない男は、人間として失格だ」という強迫観念だ。
この問題は現在も継続されており、日本の社会も同じようなモラルに包まれている。

「愛する者を守る」という考え方自体は決して悪いものではない。
しかし、既に愛する者を守れなかった者はどうすればいいのか?

エマッドはイスラム社会での名誉を回復するために復讐心に囚われて行く。


本作がなぜ「セールスマンの死」を取り上げるのか?
この劇中劇は「家庭を守れなかった男」が自殺する話だ。
この劇はアメリカの保守的な価値観の失墜を意味する。

同様に保守的なイスラム教社会は「そうあらねばならぬ」と人間の生き方を強制する「暴力性」があるのだ。

エマッド自身もまた、保守的な型にハマり、自らの暴力性をコントロールできなくなっていく。

エマッドはついに犯人と対峙する。
妻を襲った犯人は、老人だった。

彼はアパートの前の住人であった娼婦の客。娼婦が引っ越したことを知らず、シャワーを浴びていたラナを娼婦と勘違いして覗こうとしたところ、人違いに驚き、凶行に及んだという。

エマッドが犯人の家族にお前がやったことを全部話す!と言っているのを聞き、彼女は反対する。

「そんなことをしたら、私たちはもう終わりよ。」
この一言がとても重い。

愛する夫が暴力に染まって欲しくない、という妻の想いがある。
また、エマッド自身のなかにある衝動的な暴力性こそが、自分を襲った暴力そのものであると感じたためだろう。
暴力を振るう者とは暮らせないという意思表示でもある。

そしてそれと同時に自分が襲われたことを犯人の家族や世間にに知られたくない思いがある。
それはラナが娼婦ではないか?と世間に疑われ、白い目で見られる。

また事件が世間に知られた場合、夫のエマッドも「家庭を守れなかった男」というレッテルを貼られるからだ。

犯人の老人も同様に「娼婦を買う」という事実を知られれば、これまで築いてきた家庭や世間での信用は失墜する。
しかも娘がもうすぐ結婚するという。
犯人の信用失墜は、自分だけでなく、娘の結婚もご破算にしてしまう。

本作の誰もが「穢れる」ことを恐れているのだ❗️
直接的な暴力を受けることや死よりも、イスラム教社会から疎外されることの方を恐れている。

駆け付けた犯人の家族が心配する様子から、犯人も決して悪人ではないことが分かる。
犯人の妻は「夫は私の全て。私の宝。」とさえ言う。

それを見たエマッドは、事件の真相を公にせず、自分の胸のうちに秘める決意をする。

エマッドは「金はいくら置いていった?」と聞き、紙幣を何枚かビニール袋の中に入れ、男に手渡す。
そして遣り切れない思いで、男の頬を激しく叩く。

それまでの過度の緊張から解放され、家族に知られずに済んだ安堵から、犯人の男は帰路で倒れ、救急車で搬送される。

翌日、芝居のメイクをしているエマッドとラナ。二人はそれぞれ、鏡に映る自分の顔をじっと見つめる。
これで良かったのか?と自分に問うかのように。
これで良かったのだと、自分に言い聞かせるように。

ファルハディ監督は、一組の男女の関係のなかに、イラン社会の閉塞性と暴力性を投影してみせた。

相手に対しての想像力を失い、ひとつの価値観によって乱暴に人間をコントロールしようとする暴力。

暴力による負の連鎖を止めるには、「赦す」ことしかないのだろうか?

男として、夫として、私はどうするだろうか?

同じ中東を舞台にした映画「灼熱の魂」の母親にも通ずる、大変心の痛む決着の付け方であった。



追記。
本作が厳しい目を向けるイラン社会の閉塞性と暴力性という現実は、イランだけにとどまる問題ではない。

イスラム教徒全体を危険視し、排除しようとする現在のアメリカ政府もまた、イラン政府と同様に閉塞的であり、暴力的なのだ。
その点でイランとアメリカは、反発し合いつつも同種の社会になりつつあると思うのだが…。

この作品は第69回カンヌ国際映画祭でも脚本賞と男優賞をダブル受賞している。
そして第89回アカデミー賞外国語映画賞にイラン代表作として出品され受賞。

しかし、トランプ政権によるイランを含む特定七か国からの入国制限命令に抗議して、監督のアスガー・ファルハディと主演女優のタラネ・アリドゥスティが授賞式へのボイコットを表明。

現実世界では「赦し」も歩み寄りもないのが悲しい…。
鍵を開けた奥さんが悪いんじゃない、暴力を働いた奴が100%悪い。家の鍵が空いてるから家の人に暴力をしてもOKって聞いたことあるかそんな話。なのにここのレビューや劇中では鍵を開けてた奥さんが悪いって…おかしいでしょ?
旦那さんレイプされて半殺しにされてよくそれだけで許せるな?と感心した。私身内があんな目に遭ったら、最低でも同じ目に遭わせるかそれ以上してしまう。
旦那さんがとか、奥さんがとか言ってるけど、被害者と外野の反応の違いじゃないの?「自分」が加害された場合は加害者に対し恐怖心があるし、自尊心がなくなってるから相手を責められない。「身内」が傷つけられた場合は、とにかく相手を懲らしめたい。
警察に出せば良いっていうレビューあるけど私劇中近所のおじさんが言ってた通りにしかならないと思う。日本もこないだ圧力で被害者の訴えを封じたってニュースなってたけど、海外では日常茶飯事。こんなケース扱って誰の得になる?
死んだ事に対して「主人公は大変なことをしてしまった」ってのも違うと思う。死を忌避すべきものと思いすぎじゃない?持病だし。罪を償ってから死ねとしか思わなかった。
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