アメリカの分断を描くような内容かと思いきや、そんなことは全然なかった。
描かれるのは強烈な戦争批判と、報道とは何かという問いだ。
戦争は突き詰めれば、人と人との殺し合い以外の何物でもない。
理由もなしに容赦なく人が殺し合う。
どちらが正義でもなく、お互いに撃ち殺し、刺し殺し、殴り殺す。
さっきまで生きていた人間が、次の瞬間には死体になっている。
その様子は、残虐なんて言葉では生温いほど残虐だ。
映画はこの戦争の残虐さを、徹頭徹尾ブラすことなく延々と描いていく。
主人公のリーは、報道カメラマンで、この戦争の様子をカメラに収めていく。
そこに「報道とは何か」という問いが浮かび上がってくる。
目の前に傷つき倒れた人がいても、無感情にシャッターを押す。
命の危険があっても、一歩を踏み込み、やはりシャッターを押す。
それは果たして人として正しい在り方なのか。
命を賭けるだけの価値や意味が、報道にはあるのか。
報道自体に疑問を感じはじめているベテランのリーと、報道カメラマンを目指す素人のジェシーを対比させる構図が秀逸だ。
無感情にシャッターを押し続けるリーと、恐怖とショックでシャッターを押せないジェシー。
当初の二人は、完全にプロと素人の立場にある。
報道マンとしてならリーが、人としてならジェシーが正しいように見える。
それが数々の悲劇的な出来事を経て、少しずつ変化していく。
大切な人を失い、戦争自体に疑問を感じるリーは、クライマックスではほとんどシャッターを押せなくなる。
対称的に、報道に目覚めたジェシーは、果敢に前線へと足を踏み出すようになる。
報道マンであるのか、人として生きるのか。
この交代劇を、誰が見ても一目でわかる形で描いたシーンは衝撃的だった。
リー役のキルスティン・ダンストと、ジェシー役のケイリー・スビーニーは、真逆に変化していく役を見事に演じていた。
この二人の変化こそが、「報道とは何か」という問いをとことんまで深くしたと思う。
何かしらの賞をあげてほしい、と強く思うぐらいよかった。
予告編を見た人は「全然違うじゃないか」ときっと思う。
でも、違う方向にとてもいい、衝撃作の名にふさわしい映画だった。