私生活のない女の作品情報・感想・評価

「私生活のない女」に投稿された感想・評価

昨日やっと早春を観れたのですが、ポーリッシュ監督だとワイダが総長、スコリモフスキが番長、ズラウスキーは裏番みたいに思える。早春は主人公が脱線するも詩的表現(プールを羊水に見立てたり)が出来たりするが、これはハナから拒否してるかの様。監督が暴走脱線してる。タイトルバックはなくローアングルからのラス・メイヤーばりの煽りショットの横移動(度々使用される)で一気にアクセル全開!シネマインシネマのメタ構造。ポーランドではなくフランスで撮影されているのも早春がイギリスで撮影された事へのアンサーか?とも勝手に勘ぐる。そして蒲田行進曲の様なラストも。
ooospem

ooospemの感想・評価

5.0
美しい肢体をさらけ出し体当たり的に踊り、撮られ、形のない夢を貪るように生きるエセル、自己表現を渇望する死にものぐるいの映像作家、自我や常識を失った錯乱状態のテロリスト、彼らの脅迫的な狂気の炸裂は止まることを知らず、自己と他者、生と死、幻想と現実、芸術とメディア消費の境目をないまぜにしていき虚無へ辿り着く、こんな情熱的な悲劇があって、いいこと?ダメだよ!
最初の、ベティ・ブルーの女の子を思わせる半裸めの衣装と、ビルを背景に大股で歩くエセルを撮ったあおり気味のショットからオーー!となって(語彙力)、すごいぞこれ、しかもどう撮ってるの?となるエロティックなカメラワークが素晴らしいこと、後で確認したら《去年マリエンバートで》の撮影・サッシャヴィエルニだって納得。
ズラウスキーすごい、大好き。感情的な言葉しか出てこない。もっと観たい。
ズラウスキーの映画を観ていて思い浮かべるのはどうしてか神代辰己の作風について。
ズラウスキーってどこか神代の映画を限りなく躁のテンションにした感じしませんか。

人物が特に意味もなく動き回る演出を取ってみても。
神代はダラダラ、フワフワとダウナーに動き回るのだが、ズラウスキーはガサガサ、ドタドタとひたすらにアッパーである。
ロラン

ロランの感想・評価

4.0
映画内映画で現実と虚構の境界が曖昧化していくというよりも、一人の女優が自己と他者の境界を見失う物語で、彼女の生き様が切ない。

まず、カリスマ映画監督に見初めされた女優志望の主人公が彼の狂気に飲み込まれていく。そのハイライトが彼の恋人らしき女が殺されたことを報じるニュース映像。当然、次は自分だろうかというサスペンスになるかと思いきや、この映画は殺された女を愛していた過激派の男の登場によって、破滅的な男とそれを愛してしまう女のメロドラマへと舵を切る。

彼が愛していた女に近づくために、彼女が履いていたヒールを買ったり、彼女と同じ色に髪を染めたり、しまいには彼の生活に入り込む主人公は、私生活でも「演技」をすることになる。生活のためにやっているヌードモデルの撮影中に叫び出す場面は、自己を失っていく彼女を切実に表している。彼に閉め出された扉越しにジュテームと呟く場面も好き。過激派の彼の最期をニュースで見届けた彼女が無言で扉を閉める場面の切なさ。

ズラウスキー的な狂気も健在で、バイト中のランベール・ウィルソンが飲み干したグラスを噛みちぎる場面が白眉。カプリスキーが彼のアパートを訪れると、カーテンの向こうで右手に銃、左手にバナナを持って佇んでいるのもシュールだし、壁に飾られた石膏のフェイスマスクも謎すぎる…。

ただ、ラストの2シーンは、観客をミスリードさせるためだけの蛇足のようなもので、若干冷めてしまった。燃え盛る建物の前を歩く冒頭の横移動のように、カプリスキーが歩いて行くラストの夜の噴水が美しかった。
映画を作ることが主題のメタ映画は数あれど、ここまでぶっ飛んだ作品はそうないだろう

燃えるマンションの側を歩く主人公の女から始まっていきなりのズラウスキー節に歓喜したが、以降も踊り狂う裸の主人公の写真撮影や何故かいきなり暴徒に主人公と劇中の監督が襲われるシーン、ランベール・ウィルソンが突如車を銃撃しクラッシュさせたりと他のズラウスキー作品同様控えめに言って頭逝ってるとしか思えないシーンの連続で見ているこっちが狂いそうなほど疾風怒濤で最高だった

そして劇中で撮られる悪霊のシーンもやはり頭おかしいものばかりだったのだけど、それ故にどこから劇中劇でどこから劇を外れているか一見わからない箇所も多々あり良い意味で混乱させられた

主役の演技も最初は泣き喚くばかりだったのに映画撮影に関する、それこそ私生活のなくなる波乱の状況に立たされた結果クライマックスで鬼気迫る演技をする姿は圧巻だった

しかし悪霊のシーンがそのままズラウスキー然としていたように、実際ズラウスキーがこの劇中の監督みたいな性格だったとしたら確かに天才的ではあるが厄介極まりないことだ