女の香りの作品情報・感想・評価

「女の香り」に投稿された感想・評価

ハ

ハの感想・評価

5.0
 『女の香り』は間違いなく傑作だ。この映画がいままで広く見ることができる環境になかったのに憤りを覚えてしまうくらい、蠱惑的な禍々しくも甘く芳ばしい愛憎に溢れている。
 ショットの連鎖があまりに見事で、この映画を基準に採点したらほとんどの作品が屑同然になってしまう。リモコンを操る手に、プロジェクターに映るノヴァクとそれを見るノヴァク、そしてプロデューサーの顔といったような細かな逸脱が物語という中心軌道に対して何の興味も持てずとも肉体的なリズムに訴えてくるのだ。料亭の出入りを俯瞰の中抜きで撮っているようにかなり演出は計算されている。たしかにアルドリッチにしては珍しい回想シーンがあってそこの撮り方は残念ながら弱いが『めまい』にしろアニメーションのパートが死んでいるのでこれぐらいは目を瞑るべきだ。なにしろ、これだけ劇映画をラジカルに撮る監督というのは余程のことでないと現れないし、いたとしてもオリヴィエ・アサイヤスやポール・トーマス・アンダーソンみたいに突き抜けない。50年代の監督の才能には改めて驚くばかりである。
 キム・ノヴァクは演技ができる人ではないだけにその彼女から作り声ではない本当のハスキーボイスで怒り嘲笑うさまを撮る。素人の頃の演技をする時の歩き方も堂に入っている。これほどあからさまに作られたスターであるからこその適役なのだろう。『ねえ! キスしてよ』のまともにセリフを話すのさえ拙い時期を軽く乗り越えている。彼女の最期のけばけばしい化粧のキッチュさには心底震える。
 さらに映画の脚本とはこうあるべきというような、俳優に捧げられた繊細な筆致で劇が積み重ねられていく。脚本はヒューゴ・バトラー。レッドパージのブラックリスト入りしたことや『ロビンソン漂流記』でブニュエルと組んだことでも知られている。下肢をつけた女性、異国人、道化師、拳銃といった装飾的なモチーフが不条理演劇を意識していることから明らかだろう。この映画の登場人物はアーネスト・ボーグナインに顕著だが、それぞれ感情を吐露するというよりかは神経質に癇癪を起こす場面が幾つも作られている。そうした俳優の感情的な芝居のグロテスクさが編集によって切られて暴露される反=心理的な様相がこれこそまさに異化効果というべきものであって、たとえば終盤ピーター・フィンチの汗ばんで内面を秘めた顔にどす黒く落ちた影で芝居をする重々しい姿を無惨にも鋭利なカット割りで切ってしまう。ゴダールの映画の異化効果といわれるような戯れとは違いこちらはすべてが真剣で恐ろしい。『めまい』を意識した作劇だがまったくヒッチコックではないアルドリッチとしての文体で映画を撮っている。
歪な映画だけど傑作だと思う。死んだ女にそっくりのキム・ノヴァク、その投影、高所からの落下も明らかに『めまい』なんだけど、今作ではジェームズ・スチュワートの役割が、ハリウッドの映画制作者と取り巻く人々の共犯になっていて、多くの人々の手によって死んだ女が蘇っていくという、何重にも映画製作そのものの映画になっている。回想シーンのワイプ演出バグったのかと思った。ドッグフードCMオチもすごい。
シネマQ

シネマQの感想・評価

4.0
もろにめまいを意識しつつも、商業主義なハリウッドへの強烈なアンチテーゼ。
あのフラッシュバックはどうかと思うし、迷走してる感は否めないけどそこも含めてめまいを起こしそうなカオスっぷりが面白い。
lemmon

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3.0
素晴らしき珍作。


ホラー?
ノヴァクが亡霊にでも取り憑かれたかのように、おぞましい声(吹き替え?)で喋り出す。

ノヴァクは大胆に肌を露出するシーンがたくさん出てくるが、これがまっったくそそられん。ドラッグクイーンのよう?。美を過剰に追求したかのような、敢えてのトゥーマッチな表現。芸術でしょ、これは💃。


物語は20年前に亡くなった伝説の女優の伝記映画を撮ろうと、余命少ないプロデューサーが女優の夫である映画監督に企画を持ちかける。乗り気ではなかった監督だったが、プロデューサーが連れてきた伝説の女優と瓜二つの新進女優と出会い、映画を作成する決意をする。


周りを固める面々もなかなかの粒揃いの個性を発揮。そもそもノヴァクがぶっ飛んだ設定にぶっ飛んだ演技を魅せるが、それに負けない個性がたんまり出てくる。130分にそりゃなるよな!といったお腹いっぱい感。


が、本作、成り立たせてくれたのは監督役のピーターフィンチだと思う。
人間の愚かさ。彼が的確に表現してくれたから、馬鹿馬鹿しくも、奥深さがあるのではないか?と思わせてくれた。


でもね、珍作。
自分はもう観ない😅。
2秒前

2秒前の感想・評価

-
回想シーンとかキム・ノヴァクの声とか色々無茶苦茶なんだけど結局面白さで屈服させられる。異常者しか出てこない映画は良いね。
オスカー像を討ち取った敵の首みたいに飾っているプロデューサー役のボーグナインがツボ。「俺はfilmを作ってるんじゃねえ、movieを作ってるんだ‼︎」
半兵衛

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3.8
『サンセット大通り』のような内幕ものを目指しているはずが、大映ドラマのような過剰な登場人物、さじ加減を間違えているとしか思えない過剰な演出、驚愕のオチによって違うベクトルの映画に仕上がってしまった。それに味わいは濃厚なんだけれど、まとまりがおかしいので傑作になり損ねた感じ。

亡くなった女優のそっくりさんである主人公・エルサ(キム・ノヴァク)を使って女優の自伝映画を作るのはわかるけれど、女優の夫であった監督のいびつな妻への愛(主人公にも妻への愛を一方的に押し付ける)、そして監督の愛人でマネージャー的存在のロッセーラの主人公への歪んだ愛が重すぎて見ているこっちが壊れそう。そして主人公に突如死んだ女優のライラが憑依するかのような展開、どう見ても死んだ女優の魂が憑いているとしか思えないのに映画の登場人物たちは女優の演技力の賜物と言っているのがクレイジー。『悪徳』のロッド・スタイガーといい、『甘い抱擁』といいアルドリッチは業界の人間は狂っていると思っているんだろうな。

暴君プロデューサーとして君臨するアーネスト・ボーグナインの人間性の欠片もない圧倒的過剰さの素晴らしさは、『北国の帝王』のシャッコの片鱗を覗かせる。
ENDO

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4.3
映画業界の内幕モノ。ライラという女優の死をきっかけに20年間映画監督の道を断たれていたフィンチ。ライラのマネージャーは余命宣告を受けたのちに運命的に彼女に瓜二つの新人エルサを発掘し監督に紹介することからその死の経緯を映画化して売り出すことにする。監督と懇ろになった結果またしても運命を繰り返す羽目になる。映画制作と恋愛の煉獄で身をやつす登場人物に観客も辟易する!モリーという悪徳記者への罵倒によってライラに覚醒するシーンとボーグナインを手玉に取る衣装デザイナーボゾのやり取りが楽しい!ボゾ演じるヴァレンティナ・コルテーゼの表情がいちいち良い!ロッセラさんとの同性愛も含めた愛憎劇。ピエロがライラ/エルサの死に泣くシーンはローン・チェイニー『殴られる彼奴』並にあざとくてその死すらフィルム越しに撮る監督の狂気とプレミア上映で監督のインタビューよりもドッグフードのCMが重視されその貪る様子がなんとも言えない後味を残す。反復がテーマであるにしろノヴァクのワイプ越しに『藪の中』方式でエルサの死の再演されるのは演出過剰すぎて笑う。
終盤になってラストシーンはサーカスの宙づりに変更する!って突然言われても全く理解できないし、狂犬病におかされたような何頭もの犬がドッグフードに群がる異様なCMで映画が勝手に閉じるのは不意打ちすぎて本気で怖くなる。漫画の吹き出しみたいな変な回想のくだり、キム・ノヴァクの情緒不安定すぎて一向に掴み切れないキャラクター、無意味でグロテスクなレズビアンの設定。『めまい』は当然思い浮かべるとして、ヒッチコックより映画が歪み過ぎていてデ・パルマっぽいと思った。愛する女性が死んだ(殺された)フィルムをただ見ているどうしようもない男のくだりとか『ミッドナイトクロス』じゃない?アルドリッチはうまくいってないしキム・ノヴァクは終始うんざりしているしアーネスト・ボーグナインだけが大笑いしているキチガイの映画。70年代前後、文化が商業的に消費されていく危機感が昔気質の作家(ニューシネマと距離をとっていた作家)にはあったのではないかと、エリア・カザン『アレンジメント』あたりと二本立てとか面白いと思う。
zhenli13

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4.2
未見のアルドリッチ作品では大穴中の大穴。『甘い抱擁』に匹敵する抉り方。『甘い抱擁』ほど惨めでもう観たくないという気分にはならないのは、ひとえにキム・ノヴァクがそれなりに美しいからではということも皮肉と言えば皮肉。
オープニングクレジットで一瞬 "Dirty Dozen" (『特攻大作戦』)の映画館看板が映る趣向。
亡くなった人気女優ライラにそっくりなエルサ(キム・ノヴァクの二役)を愛し純粋に守ろうとするロッセーラ(ロッセーラ・ファルク)の存在が切実につらい。彼女の存在はエルサの眼中に無いのだ。現実を突きつけられるような惨めさ残酷さは、アルドリッチが女性を主役に描くときに必ず配されている。しかしそれは嗜虐や単なる物語の味つけでは無いと思う。女性が社会の中で実際に突きつけられてきた惨めさ残酷さをなるべくバイアス無しに提示しようとしたときに、彼が注目したのがセクシャルマイノリティの女性だったのではないか。アルドリッチ作品における女性像を論じた人はいないのだろうか。

にしてもいつもながらアルドリッチ作品は脇役への目配せが心憎い。役名も無いような役者の表情がちらっとカットインすることで俄然面白く深くなる。

用が済めばすぐ脇へ追いやる商業主義と消費社会を皮肉るラストシーンが不気味。
堊

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3.9
なによりキム・ノヴァクその人が主演であり、「『めまい』を起こしそう」「下を見るな!」なんて台詞があったりするもんだからやっぱりヒッチコックの『めまい』を思い出すのだけれど、決して出会うことはない過去に存在していた女優とその女優になろうとする主人公と主人公をその女優に仕立て上げようとする本作の登場人物たちの姿はアルドリッチによる『レベッカ』のような印象を与えた。だから今作を「自分ではない誰かになろうとするタイプの百合作品」と断定づけてもいいのだけれど、本作はそれだけにとどまらない。監督と死んだ女優との間に挟まっていたロッセーラによる愛情が、キム・ノヴァクの変化に寄り添うことで、「親しい誰かに変わっていく誰かを見つめる」というまた一つ複雑なレイヤーが挿入される。本作の百合は見えない。それは最初から消えてしまっている本作の女優ライラのことでもあるだろう。見つめる視線劇としての本作の百合の濃厚さはアルドリッチの演出の過剰さ共々、ラストに描かれた観客と同じように我々は拒否してしまいたくもなるが、「テレビと映画」「ドキュメンタリーとフィクション」などの対立軸を闇鍋のように放り込んだ本作は唯一無二である。
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