ここでは撮る者が、同時に撮られる者であり、キャメラは写す物である以上に、鏡のように映す物である。
最も単純に使用されているはずのキャメラが、そんな二重の役割を演じてゆくことで私たちは作者という「神様…
歴史の記号としての右翼・維新をパブリック・イメージに重ねて過激に振る舞う本質は、バブル崩壊後の生温い平和と徐々に先細りしていく社会に対する感覚的な警戒(三島由紀夫の憂い)であって、その虚無感を何とか…
>>続きを読む家にある九十年代映画DVD消化活動
昔ゴンとか読んでたからなんか知ってるこれって思って五百円も出して買った
もしかしたら昔みたことあったかもしれない
そして面白いわけがあない
どうでもよすぎる
昔の…
戦争前と呼ばれる2024年の今に1999年の作品を観る。平和は平和ボケという言葉があるようにカッコ悪く刺激や思想を求め悩む姿の流れはよかった。左翼と右翼の団体数は全国民の0.1%程で結果的に雨宮氏と…
>>続きを読むノスタルダムス的絶望感
00年代へ。
今は可視化された悪夢と苦しみ
今作ったらどうなるのだろうか。
誰かに頼りたい共同体の分離と新しい連帯の発見。
そして日本が無視し、あぐらをかいてきたことに対す…