THE DEPTHSの作品情報・感想・評価

THE DEPTHS2010年製作の映画)

製作国:

上映時間:121分

4.0

「THE DEPTHS」に投稿された感想・評価

りっく

りっくの感想・評価

3.1
ストーリーとしては解り易いが、何だかこの映画は、濱口監督らしい「カメラ」への思考と考察が行われていて、望外なるDEPTH=深さ、深度を感じる。

登場人物であるペファン(キム・ミンジュン)の職業が「カメラマン」であることが先ず第一にあり、話自体は、ある被写体となる男娼のリュウ(石田法嗣)を「写真」に収めたことに依り動き出し、彼に誰しもが接触を求める様になるフィクショナルなもので、ジャンルは「LGBT映画」に区分されるだろうが、ここで注目辷きは、カメラの「ファインダー」に見る世界との""境""でしょう。

冒頭での何の変哲も無い都市の風景の断片的な数枚のカットが象徴的で、両端がグレーとなる画面設計は明らかに""境""を強調している。+(プラス)瞬間的には境の前後で""距離""を感じるのでありますが、""事実""を捉えるカメラは面白いもので、結果的にはその凡ゆる""境""や""距離""、例えば「過去(記憶)と現在」「現在と未来(予知的な)」に見るそれや、レンズを「覗き見る」撮影者と、カメラに向かってポーズを取る、また表情を見せる被写体にあるそれ、「幻想と現」を次第に溶かし、人物共に軽やかに飛越えて、前述した""接触""を可能にしてしまう。それがここではしっかり描かれている。

ペファンは「撮ることで(彼がモデルとして成功することを)確かめられる」ことを知っていて、それは次第に彼に対する好意を確かめることに繋がり現像された「写真」を見る/見ないことに依って、""事実""を知る/知らないことに於いても誰より詳しい彼は、ジレンマに陥る様にリュウに左右されているのだろう。そこでの選択(距離を取るか取らないか)と不可能な裁量と不毛な現実の可視化において、映画的過ぎる感動を見事に喚起させている。

「カメラ」だけが捉えてしまえる彼等の表情があることを「カメラ越し」に設計された「スクリーン」を通して見ている私達と、現に彼等の境も溶かされていく錯覚があり、と同時に獲得される哀切を頂点に押し上げる演者の力量は評価されるべきで、特に石田法嗣の佇まいは現行邦画シーンにおいて、唯一無二では無いか。ここで求めている「愛」が、""誰か""では無く""名前が付いた貴方""であることには、濱口監督の色を只管に感じたりもした
moku

mokuの感想・評価

4.0
再見

石田法嗣は好きな俳優なんだけど、この役にはちょっと存在感的に弱い気もしてて…その印象はやっぱり変わらずで…観てるうちに良くなっていくんだけど…。
濱口作品の中でも緊張感を感じる作品。
ポツドールの米村良太朗の危うさは素晴らしいな。
あとはやはりラストでもっていかれるよね。


<濱口竜介特集@ 下高井戸シネマ>
TaiRa

TaiRaの感想・評価

-
日韓合作でいつにも増して異国感ある。東京なのに別の何処かに見える。

車窓へ向けたカメラの主観で始まり、そして終わるまで。韓国からやって来たカメラマンと日本人の男娼と脆く崩れる男たち。結婚式場のホールで女と並んで降りて来る花嫁がすらりと映画から退場してしまう異質な時間が良い。ギリギリフレームに入らないとこで全てが進んで行ってしまうのも。すれ違った男娼の決定的一瞬に心奪われている間の出来事。シームレスにするするっと物事はいつも進んで行く。写真スタジオの2階がセットである意味は特にないけど、一箇所だけセットならではのショットが入ったりする。存在しないはずの場所から覗き見る感覚。ネオンの光が窓から差し込むやつ、やりたくなるの分かる。これは男だらけのフィルム・ノワールだからファム・ファタールも男。誘惑者でカリスマである男娼は、男たちを次々引き寄せてしまう。天使か悪魔かそれに類するものみたいな彼が髪を染めた瞬間、頭を丸刈りにする未来が予感出来る。何故予感出来るのか。変化によって魔力が失われたと感じさせ、執拗に髪の毛を引っ張られるからか。マジックミラー越しに待機部屋を覗くこと。覗き見ることの暴力性。鏡を叩き割って手を掴むまでのスピード。道路で車から降ろされて、入れ代わりでやって来たタクシーに乗るまでのスムーズさ。ファム・ファタールとネオンと雨。ホテルの廊下、スタジオの2階、向き合う扉が突き付ける選択。並走する車、離れて行くタイミング、絶妙に邪魔な障害物、ヤケクソのシャッター。
もた

もたの感想・評価

3.2
特集上映やっと行けた。突然の暗転や夜の逃避行は流石の一言。会話にいまいちキレがなく、そのうえ長いため、フォトスタジオでのシーンはどれもたるい印象。結婚、風船と子供、階段、奥さんと子供、写真を燃やすこと、髪色や髪型と、細部でありとあらゆるものが提示される度にぞくぞくしたけど、どれも宙ぶらりん(または自分が見落としてるだけか)で、全くピンと来ないまま映画が終わってしまった。ものすごくもやもやする。
死体のまばたきを欠点ではなく美点だと感じる俺の感性は何に由来するのだろう。

一つ欠けた風船、Uターン道の反復、離れていく線路と道路。アップショットをぶち破る鏡破壊シーンの快感!
kohei

koheiの感想・評価

4.3
わからない。暗すぎて何も見えない。果たしてあなたはこちらが見えているのだろうか。それさえも、何もわからない。出会ったときはあんなにはっきりと、少年が手を離した風船をちょっぴりジャンプして取ってあげるあなたの姿が見えていたのに、今はこの部屋が明るくなったときにどんな顔であなたがこちらを見るのか見当がつかない。もっとも、もう私とあなたの間に光が射すことはない、ということだけは知っているのだけれど。


* * *


対面した他人(あるいはこの世界)に興味を持っても、その人が多面的であると知れば知るほど、底知れなさを感じて不安になる。でも気になる人のことは隅から隅まで知っておきたい。濱口竜介が『PASSION』の次につくった長編映画『THE DEPTHS』(2010)に登場する主人公の韓国人カメラマン・ペファン(キム・ミンジュン)が直面するのは、そうしたジレンマによる苦悩だ。街ですれ違い興味を持った(カメラにおさめた)リュウ(石田法嗣)が、引く手数多の男娼であると知ったあとにとった衝動的な誘導、彼がようやくこちらを向いたときになぜかその目を真っ直ぐに見ることができない鬱屈した感情、そして友人との交わりを見て崩れ落ちる幻想。その人の一面だけを見ているほうがよっぽど楽で、(それが真実であろうとなかろうと)通じ合えていると思えたのに。

奇跡的なまでの美しい画と役者のアドリブ的な身体の動きの連なりによって唯一無二な映画に仕上がっていた前作の『PASSION』((実際、遠景長回しの際にトラックが画面を横切った美しすぎるシーンは偶然撮れたものらしい。))と比較すると、本作は「すべてが計算されつくした映画」という印象だ。ちょうど『寝ても覚めても』と同じような感じで、映画的な美しいシーンは随所にあるのだけれど、『PASSION』のあとにみると少し作為的な部分が浮き立ってしまう。

本作で映画的に作り上げられた印象的な場面を並べると、そこに「境界」や「越境」という言葉を当てはめるのがしっくりくるだろう。幾度となくペファンとリュウの間を隔てることになる扉や、ファインダー越しという境界、ガラスを突き破る男の存在や、極めつけはすべての境界(国境、性別、人種)を越えていくギルス(パク・ソヒ)という男の姿まで。「自分の生き方に満足している男が、他人に翻弄されて自分を見失う」というプロットは『PASSION』から引き継がれているが、ここではペファンが、“超越的なギルス”と“猫のようなリュウ”((『PASSION』で「弱いものに寄り添う」と形容された猫のような男。))によって変革を強いられる姿が描かれていく。しかも哀れなのは、友人の結婚式に訪れただけの日本でそんなことが起こるなどペファンは微塵も想像していなかったところにあるだろう。端的に言えば、ペファンは人を見下していた。一方で、冒頭でモノレールから幾度となくシャッターを切る彼(のカメラ)は、そうした運命的な出会いを求めているようにも見える。

チャペルの屋上で幸福な笑みを浮かべるカップル。階段を下り、タクシーへと乗り込む別の姿となったカップル。3つあった風船が上下の往来を経て1つになっている。ホテルの一室で冷たくなった肢体は、そのうち海へと放たれる。そうした上下運動の反復によって強調される超越的な身体と、どこまでも平行線を辿り、あるいはすれ違い続ける心と体。

最終的に“飛ぶはずだった”飛行機は決行してしまい、車はあちらとこちらに引き離される。


* * *


果たしてこの結末は運命だったのだろうか。それとも私が招いたことなのか。あなたと離れたことで、まわりが明るくなってきたような気がする。こんなことの繰り返し。何も見えてない。ずっと暗いまま。ずっと、手さぐりで愛だけを探してる。
eijdufa

eijdufaの感想・評価

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韓国の俳優さんは知らない人達でしたが
さすがに体格がよくて甘いマスクなので
韓流スターのうちの一人だと思います
日本の俳優さんで名前がわかったのは
村上淳さんだけですが、顔は知ってる人
ばかりで、主演の石田法嗣さんは
男前と言う訳ではないけど
レオス・カラックス監督の作品で
よく主演してるドニ・ラヴァンと言う
俳優さんに似た魅力があると思いました

予定には無かったけれど、上映後に監督の
舞台挨拶があり、疑問や質問があれば挙手
との事だったのですが、何も思い浮かばず

監督の映画では、車窓の風景がよく使われて
いるが、何か意図があるのか?と言う質問に
お金を掛けなくても、それなりに間がもつ
映像になるからですと、とても正直に答えて
らしたので、ちょっと驚きました

他にも、お金を掛けずに
映画のスペクタクルを起こすために
スタイルや顔のいい俳優さんを使ったり
激しい台詞の掛け合いで感情が高まっていく
事を狙ったりするのが、よく使う手だと
これまた正直に教えてくれました

そして今回の映画の予算は普段より多い方で
7〜800万円だと聞いてまたびっくり!
『PASSION』もすごくよかったのに
これよりも低予算だったの!?
映画ってお金じゃないと改めて実感しました
濱口竜介ファンなので鑑賞
極めて個人的な意見だけどあんま良くなかった…
濱口節と役者と映画がマッチしきってない感はあった

でも見ながらすごく考えたことは私の仕事もヤクザと変わらんかもしれないということ…映画の出来にはあまり関係ないけどちょっとした気づきがあったかもしれん…
石田法嗣と村上淳が出演、結婚式、LGBT……と形はそれらしいけれど、いわゆる濱口竜介監督ぽくない作品

それなりのストーリーがあり、密室劇でも会話劇でもなかったけれど、映画のエッセンスを堪能できる良作

鑑賞から3日、頭の中で渦巻いていたものが発酵してスッキリするのを待っていたものの、凡人が言葉で説明できないからいい映画、濱口作品

where is love

作品情報少なくて、エンドロールをガン見してないと気になったキャストが誰だかわからないけど、江口のりこは確認(最後出てくる男、誰か思い出せず悶々)

軸となるプロットが仕事で携わっている領域と重なって、逆に集中できない感じだったのが悔しい


メール着信音2回、長い電話着信バイブ1回

ほんとやめて欲しい(特集上映だぜ〜)

この劇場特有の(逆ならまだしも)底辺が大きい台形にプロジェクションされてスクリーン側で真四角に切り取られる絵はやっぱり気持ち悪い

以前問い合わせた際はどうにもならないということだったけど、なんだかなぁ
初・濱口監督。質感とか温度とかがすごく好き。自分とはまったく交わらない世界のはずなのに竹箒みたいなものでざざっと心の中を撫でられたようなかんじがした。それぞれの孤独や欲望が絡み合いそうになるものの言葉の壁や世間体に阻まれそれは上すべりする。

石田法嗣は、どこがいいのか最初はわからなかったけれどあのポートレイト、あれで彼の魅力に開眼した。一枚の写真が映画の中で煌めき存在感を発揮する。そんな小さなリアリティの積み重ねが全体の、たしかなリアリティを生み出すのだと思った。「ありそうだけど実際にあったら大変なこと」がいっぱい描かれているのに嘘くさくない。


👇


ふたりは線を越えられない。飛ばない飛行機やふたつの扉を隔てる廊下や並走する車の窓ガラスによって遮断される。『国境の南、太陽の西』では飛行機が飛ぶことでふたりは線を越えることを阻まれた、それとは逆だ。
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