なみのこえ 気仙沼の作品情報・感想・評価

なみのこえ 気仙沼2013年製作の映画)

上映日:2013年11月09日

製作国:

上映時間:109分

3.9

「なみのこえ 気仙沼」に投稿された感想・評価

ドキュメンタリーにおける会話内容の取捨選択は難しく、どうしても作者の恣意的な判断で会話がぶつ切りに編集されたりする。
その判断によって、本来の会話がもっていた独特の分脈や話し方の抑揚、話し手や聞き手のテンションの変化等が削がれ、会話が会話ではなく話された言葉「のみ」の単なる情報になってしまう問題がある。これでは「聞かれた言葉」というものがない。

この映画はそういった問題をクリアするために、会話の始まりからノーカットで見せるという一番素直な方法を取っている。
『なみのおと』に続く、その後日談的な。
前作に比べて「その日」からより時間が経過しているが故の微妙な違和感。そしてカップルで登場する数組の、それぞれに肉感的なエロチシズム。
ところで、大阪出身の、あの母子について。ことばの抑揚とか粘着性の少なさとか、我が浪速人とは少し違う感じが。大阪には結構多いのだけど琉球にルーツを持つ方かしら、と思ったり。
つくられたものとは思えない奇跡の数々。ひとりひとりがとても印象的だ。あなたのことを、あなたの人生を知った気になってしまう。
Osamu

Osamuの感想・評価

4.0
東日本大震災で津波を経験した人びとの対話のドキュメンタリー。これも前2作と同じ形式。

これは未来を見つめる話が多かったかな。
笑いが多く、人間に対する絶対的信頼を感じた。どん底を経験した後、信じないわけにはいかない境地に行き着いたのか。

東北三部作を通しで観て感じたのは、日本に住む人間の心の記録として、とても貴重な資料になり得るのではないかということ。東日本大震災という大災害を経験した時、人間は何を考え、どう行動したのか、その経験によって人間はどう変わったのか、変わらなかったのか。

カメラ1台で会話を途切らせることなくカット割りをしているように見えるんだけど、どうやって撮影しているんだろ。1台の訳ないんだけど、複数台だとしたら、あるべき角度にカメラが写り込んでいない。テイクを重ねているとも思えない。濱口マジックか。
q

qの感想・評価

-
語らせることによる追体験。
手法がすごい。どう、語らせるか。
「ハッピーアワー」と通じている部分があった。
kentaro

kentaroの感想・評価

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「向かい合う」のではなく、お互いに前を向く、ということ。
耳で聞く、いや、耳で見る、ということ。
ii

iiの感想・評価

-
誰しもが被害者ってみてしまうのは良くないのかも、あくまでドキュメンタリーやし一部の切り取りやけど、被災者とされる人は皆強く今を、どうしようかと、もがきながらも強く、虚構のようだった現実を、波をも超えて戦おうとしてる、戦うとか強いものじゃなくても悲観的物事を捉えていない(この映像に出てきた人たちは)。
正直、映像だけが全てではないけど、濱口さんがそこをあえて切り取ったってとこに東北を撮りたかった意図が写ると思った。
100と0はない、寄せては返すから、誰もが夢のように思った海、悪夢と思いたかった夢もそれは月日を重ねるごとに感じる実感が現実であって、全てを飲み込んだ海、全てをなくしてしまった海を、海の記憶をなくすことは出来ない、どうしても、出来ない。とても苦しい波を超えてなぜ彼らは話せたのであろう。
とても苦しい、何もない。けど、生きていくしかない。どうせ生きるなら楽しく、全てをなくした人が悟るものもあるだろう、不謹慎かもしれないが少し羨ましく思えた、即ちこれが平和ボケというものなのか
東北三部作第二弾、気仙沼編。
震災は辛い。これは当たり前。わしも神戸で被災したから、よう分かる。
せやけど、これはちょっとちゃうねん。震災っちゅう悲惨な体験を共有した人等のこの「親密さ」っていったい何なんやろう?
現代人の希薄な人間関係が、事件を通して変容し濃密になっていく、濱口作品の原型を見たような気がしたわ。「ハッピーアワー」に完全に繋がっとう。
濱口監督が無駄なことをしてないことがよくわかる、なみシリーズでした。
人間の複雑性や過去と現在、その人の喋りが人を表し、今を表す。
そしてこのドキュメントはまた過去となってしまう。
ハッピーアワーに繋がるとともに、中々異化された3.11ドキュメンタリーだと思われる。
みちのくがたり映画祭で拝見。被災者の方々の対話を中心に、震災を振り返る。
上映後の「映像とは、未来に向けたもの」という監督の言葉が印象的だった。
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