闇の中の眠り姫の作品情報・感想・評価

闇の中の眠り姫2007年製作の映画)

製作国:

上映時間:80分

4.1

「闇の中の眠り姫」に投稿された感想・評価

映画なのかどうなのか。インスタレーションのような気がする。でも見えなくともスクリーンの方向に観客が向いていれば映画なのかな?自分は結構回りをキョロキョロ見回しながら映画を観て?いた。なんか生きてんだか死んでんだか不安になったから。

序盤の叫び声のおかげで後々に続くサスペンスが生まれてるのは巧いと思った。
音楽が流れては消え、また流れる感じ「夢ってまさにこの感じだ~」と思った。
「さっき入ったトイレにまだ誰かいる気がする」は映像付きを観た時も怖かったが、今回は人一倍怖かった。死ぬかと思った。
数年前に『眠り姫 』を観たときと全然印象が違った。全く別の映画を観ているような...。昼寝の浅い眠りで妙にリアルな夢を見ているときのような感覚に似ていた。
shiori

shioriの感想・評価

4.0
ふだん生活してたり 映画を観るときには耳に入ってこないような環境音まで聞こえてきて おやおや〜となった。人間すごい。
ぱき

ぱきの感想・評価

3.3
以前見た「眠り姫」の映像がないバージョン。元々人が出てこない映画だったけど、映像を排除したことにより、さらに不気味さが増した。個人的には映像の綺麗さもこの映画にあった方がいいなと、物足りなさを感じたけど、排除することで全く別の映画であるようにも見ることができた。

※余談だが今回の上映後におまけとして放映された七里監督の「時を駆ける症状」は惹きつけられた。高校生(当時の監督はまだ高校生だった)が撮った映画とは思えなかったし、BGMも非常に好みだった。
のうこ

のうこの感想・評価

5.0
自分にとってはホラー映画。黒沢清っぽいホラー。あの叫び声は森の中が画面としてあったほうが怖かったと思うが。
一人称的というか、ツグミ視点のPOVみたいなやつかと真っ暗の中感じたが、どうもそういうわけではないみたいです。
引いたものからまた引いてついにこうなってしまった。90分面白かったのでいいですが、なんか違うかな…。
映画の画面が説明だと考えてるならそれはちょっとという気もしましたが、まだ全然よくわかんないので機会があればまた見たい。
監督の言う映画館特有の場としての空気を感じられるのは、何回も見ないときついかと…。

真っ暗のストレスで全く寝る気になれません。
小説読んでるような気分になった。
序盤は怖かったけど慣れてからは夢心地だった。
スクリーンを観ずに映画が観れたので楽しかった。
Manabu

Manabuの感想・評価

5.0

このレビューはネタバレを含みます

この作品は果たして映画と言えるのだろうか?

それはともかくとしても、末恐ろしい体験でした。
この映画は『眠り姫』という映画から映像だけ取り払った作品です。原作は山本直樹の漫画作品。原典は芥川龍之介の死をモチーフにした内田百聞の「山高帽子」。この作品の中に中学校教師役として出演するのは、その声音に一定の低いトーンを維持し、静かではあるが確固たる存在感を表している西島秀俊。そして声だけであるのにも関わらず、並々ならぬ妖艶さ、湿り気を多分に含んだ異質感を際立たせている“つぐみ“。

映画館内を完全に暗転させ、真っ暗闇の中、『眠り姫』の「音声」だけを流します。「映像がない映画は、果たして映画と言えるのかどうか?」という七里圭監督による、一種の暴力的な衝動から産み落とされた作品である、とも思われました。映画とは「まず始めに映像ありき」という揺るぎない通念(観念か?)が自分にはあったからです。

まず何よりも強く感じたのは、触覚の拡張でした。暗闇に82分もの長い間、闇の中に放置させられることによって、自分の瞳孔は光を求め通常よりも大きく開きました。
見えないという恐怖心からなのか、心拍数は上がり、それに伴う呼吸の低下によって、肩から背中の筋肉が収縮し、苦しくなりました。右脳が汗をかき、左脳が痒くなった気がしました。
強制的に失われた視覚を、他の器官で補完しようとした為に起こる現象なのだろうと思います。体内の危険察知センサーが働いたのか、次第に体内温度は少し変動し、身体全身に鳥肌が立ちました。
そのセンサーは、発せられる音によって瞬時に、鋭敏に反応します。暗闇の中に鳴り響く音や声は、通常時には聞こえないであろう小さな音にまで反応してしまいます。

『贅沢な骨』や『紀子の食卓』での異様なまでの演技が自分にとって非常に印象深い“つぐみ“の声、この声音は、彼岸の声だと思いました。変な話ですが、現実のあちら側にある声の様に思いました。巨大なサウンドシステム(レイヤー)を通し、増幅された震える静かな声音はまるで、霧が立ち込める夜中の川岸の向う側から微笑を浮かべ、「おいでおいで」と手招きしてるような、体温のない彼女の声は生暖かく、どこか薄気味悪く響きました。それは、大きく広げた真っ白なシーツの上に、したたり落ちる鮮血。あるいは、紙の上に黒いインクを垂らしてしまった時に、すっと拡がっていく波紋。スタンダール的とも思える、赤と黒を、この声に、そして時折かき鳴らされるバイオリンやその他の管/弦楽器から発せられた不協和音に感じ取りました。それは、この作品が複雑に絡み合う男女の物語であったことも大きく起因しています。

この映画は本来モノラル音声発信なのだそうですが、映画館の5.1chシステム誤作動?により音が館内の前後左右にある六種類のスピーカーからランダムに振り分けられていたそうです。それが、より体内感覚を刺激したように思います。そして、音楽映画を常にライブに近い音響状態で可能とする特殊な映画館で行う事により、音が反響する現象が起こっていました。通常の映画館とは違い、このバウスシアターはライブハウスと同じ構造を持っているので、音が壁に吸い込まれず反響します。それは映画館という箱(構造体)が、ライブでリミックス/ダブ(空間)されている。つまり、映画館という箱が、まるで生き物の様に呼吸、胎動し、生きているかの様に自分には感じられました。
暗闇に身を置く事で(それは時計の無い部屋に長時間、監禁されている感じに似ている思われます)「時間」の感覚は失われ、映画館という空間が、大きな「うねり」を持った物語(text)となって取り込もうとする包み(textie)の様に感じ、恐ろしくなりました。時空をねじ曲げられたような体験でした。単なる身体の器官の誤作動だけではない新しい体験でした。

映画館で映画を観る行為とは則ち、突き詰めて考えると、自分にとって、母体回帰願望の一つであるのではないかと、どうしても(何故か)、感じられてしまうのですが、今回それは、よりはっきりとした体験として体内に記憶された気がします。
それは、胎児と母胎の物理的な比率と、自分の身体と映画館(とりわけミニシアターとの比率)がほぼ同じ事、からも今回、思い当たりました。これはまた妙な話ですが、映画館の光は、子宮の外へ這い出る時の、光の圧力ではないだろうかと自分は考えております。それは希望を意味しております。「人間とは血の詰まった袋である」と言い切った寺山修司の言葉に言い換えると「もう一度僕を妊娠してください」という感情に近いです。

映画から映像を取り払った映画は果たして映画と言えるのか?デジタル化が進み、説明的に過ぎる程、分り易い映画になり果てた昨今の映画に対して、能動的に鑑賞する事が可能であるか?そもそも、映画とは、何であるか?と問い掛けてくるような強い感情を受け取りました。
七里圭という希代な映画監督が闇の中で発するメッセージは強く、静かながら雄弁であり、この映画が放つ燃えるような闇はとても深いと、自分には伝わりました。

数年前に映画館で『アバター』を観て映像酔いして気持ち悪くなり、2度と観るものか。と感じた3D。その感情が、完全に払拭されたのはIMAX版『ゼログラビティ』でした。3Dを含めた映像技術の新しい体験と、その可能性を感じたのは『フラッシュバックメモリーズ3D/4D』でした。
今回、この『闇の中の眠り姫』にはジャンル、メディア、それらの全てを超越した新しい映像体験装置の萌芽を自分は強く感じ取りました。映像美や解像度をどんなに追求しても2Dというスクリーンの構造は変わらないのです。

視覚を強制的に排除し、他の器官を大きく拡張させる新しい装置/体験。

expand→explosion→exit

例えばもし、人工知能をつくっている脳科学者が、この作品を体験した後に思い立ち、七里圭監督に共感して共同作品を造ったら、それは恐らく本当の意味で未知なる新しいメディアアートとなり得るのではないかと思いました。『フラッシュバックメモリーズ/4D』にも同じく感じた事ですが、今後、こういった作品は、しばらく表舞台には立たないでしょうが、確実に水面下でじわりじわりと増え、体験する者の感覚を拡張してくれるのだろうということでした。

闇の中に光る希望

そんな素晴らしい「映画」でした。

〈2014.04.20.LAST BAUS 前夜 0.01〉