モーゼとアロンの作品情報・感想・評価

「モーゼとアロン」に投稿された感想・評価

今まで観たこともない映画だった。スペクタクル性を最小限まで抑えて、神の声を聴いているかのようだった。
hiatsu

hiatsuの感想・評価

4.3
2017/05/08
キリストの服に触った女がカメオ出演
藤原聡

藤原聡の感想・評価

4.0
未完の第3幕→弁証法的なものの中断(浅田彰)
MiKFJ

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4.0
アーノルト・シェーンベルクの未完のオペラ「モーゼとアロン」の映画化

自分のなかで歴史、宗教、思想などの教養が足りていない…と痛感し挫折しそうになるも、完璧な構図、ショットは目を離せないものがあり、黄金の牛の偶像がでてくるあたりから突如サン・ラのライブドキュメンタリみたいに思えてきて、ある種のカタストロフを感じた。
『<モーゼとアロン>はシェーンベルクのもっとも恐るべき仕事と言えるだろう。信念と疑念についての奥深い調停の作業であり、その言語の困難さはテーマの困難さに匹敵する』
アレックス・ロス「ザ・レスト・イズ・ノイズ ― 20世紀を語る音楽」

ダニエル・ユイレ/ジャン=マリー・ストローブ「モーゼとアロン(Moses und Aron)」
三幕歌劇1974/75年制作 ドイツ=フランス
作曲・台本:アーノルト・シェーンベルク(第三幕は作曲がなされずに台本のみ)

この歌劇は、出エジプト記のモーゼと兄アロンの関係(=対決)を中心に、モーゼの疑惑、拒絶、絶望、苦悩、信念と「神の存在」について語ろうという、驚くべき作品です。その試みは、テーマの故なのでしょう、未完に終わらざるを得ませんでした。ストローブ=ユイレは、この歌劇を野外で上演し、あえて同時録音にすることで、旧約聖書の砂と岩の大地をシェーンベルクの12音音楽に結びつけます。
モーゼは、苦難にあえぐイスラエルの民を導き出すよう、神に召喚されます。モーゼは言います「なぜわたしなのですか?わたしは口も重く、舌も重いのです。… ほかの適当な人をおつかわしください」と。神はモーセにむかって怒りを発します。「アロンがいるではないか … 彼に語って言葉をその口に授けなさい … 彼はあなたに代わって民に語るであろう … あなたは彼のために、神に代わるであろう」(出エジプト記 4.14-16)「旧約聖書の神はあきらかに無調の六音音階で語っている」
アレックス・ロス
アロンの使命は「モーゼの言うことを、人々に彼らが慣れ親しんだやり方で理解させる」ことにあり、神を「黄金の牛」のような視覚的イメージ、「目に見えるもの」としてとらえます。一方、モーゼは「表現できないもの」「目に見えないもの」「形のないもの」ものとして、神への「忠誠」を「宣言」します。しかし、モーゼは「アロンがいなければ、民衆とも、大地とも関係することができない(デリダ)」のです。
モーゼはシェーンベルクの分身であろうといわれています。それではアロンは? モーゼとアロンとは「空白ないし空虚なイメージの両側、同一のコインの表と裏に記入される二つの形象のようなもの(セルジュ・ダネー)」なのです。
モーゼは四十日四十夜シナイ山にこもり、神の戒律を授かりますが、「黄金の子牛」を囲む饗宴を見て、怒りのあまり石板を投げ打ち砕きます。アロンよ「汝は、神を多くの神々に、理念を偶像に、この選ばれし民を他の種族に、驚くべきものを平凡なものに売り渡した」と。そして神は「民を撃たれ」ます。「彼らが子牛を造ったからである。それはアロンが造ったのである(出エジプト記 32.35)」。
アレックス・ロスが言うように、結局、40年の間荒野をさまよったあげく、民は救済されず、乳と蜜の流れる約束の土地はありませんでした。
神の下僕モーゼはモアブの地で死にます。神は言われます「わたしにそむき、聖なるものものとして敬わなかった … あなたはわたしがイスラエルの人々に与える地を目の前に見るであろう。しかし、その地に、入ることはできない(申命記32.51-52)」
モーゼの絶望の叫びが聞こえてきます『おお、言葉よ、言葉よ、私に欠けている言葉よ!』(第二幕第五場)…「わたしは、いったい何者でしょう(出エジプト記 3.11)」と。