雲から抵抗への作品情報・感想・評価

「雲から抵抗へ」に投稿された感想・評価

神の人形から自我を持ち、死を運命付けられた人へ。
併せ、神による搾取。
ジャン=マリー・ストローブ&ダニエル・ユイレ。
原作はイタリア、ネオレアリズムの作家チェーザレ・パヴェーゼによる二作、『レウコとの対話』、『月とかがり火』より。
本作は「神話の世界の住人による対話」と、「第二次大戦後のイタリアでの活劇」の二部構成から成り、この二部間に時代的・人物的、又は事物的な連続性は無い。
鑑賞法としては第一部からエッセンスを汲み取り、それを更に蒸留・抽出した思弁を第二部に当て嵌める、と言った形式となろう。
この夫妻は原作を持つ作品を撮影する際、同様に『原作の台詞を一言一句削らず作中に投入するが、その背景や出来事、そして人物像や人物相関は完全に省略する』と言った離れ技をしてみせるが、本作はそれを鑑賞者にも擬似的に行わせるものである。
…とても面倒くさい。

第一部はギリシャ神話の登場人物達が、死や老い、妬み嫉みから逃れられない人間の運命に就いて対話を繰り返す。
レビューの下書き段階では此処に一々各人の略歴を記載したのだが、長くなり過ぎるので削除省略した。
…だって、面倒っちいんだもん。
各々人の運命の不可知性と、神の徒らな関与に因る死、或いは不条理に就いての対話である。
尚、この中ではヘラクレスも神として捉えている。

第二部に関しては、イタリアの小さな村を舞台とし、レジスタンスとドイツ軍との間で揺れ動いた村人とその暮らし振りを描く。
そして戦後20年経った作中でも大地主(第一部で言うところの神)による搾取構造は戦中と変わっておらず、またその徒らな関与に因る小作人の不幸(ここでは一家の無理心中)も、神と人との関係と同じではないか、と嘆くのである。

本作はドッペル・ロマーンをひとつに纏めた作品であるのだが、一、二部間でコンテンツが付け加えられている。
それがサンティーナに纏わる逸話であり、此処で我々は初めて友人ヌートの告白を聴く事となる。
それは「運命や死に抗った」と言った大袈裟なもので無く、もっとささやかな-、淡い恋心とその悲劇的な終焉に就いての述懐である。

ストローブ=ユイレは例によってコレをこうしよう、と言った提案はしない。
彼等はただ、『この問題をどう思う?』と戯曲化し我々へ提示するだけである。
然しその指摘は鋭く深く、我々の惰性と怠慢を穿つ。
本作に於ける搾取に就いても、伊国の搾取されている小作人ですら、現状に諦観を抱き、抵抗に就いて考えを巡らす事無く受け入れ暮らしている。
翻って本邦を見る際、同様の事は無いか。
他山の石とすべき問題である。
いけ

いけの感想・評価

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これは相当いいと思う
2編を並べることによって見えてくるもの
ストローブユイレでは見たことないぐらい普通に映画だった。逆にとっつきにくい。景色はめちゃくちゃ良い。ミルクボーイの漫才みたいなくだりが何回かある。
詩情みたいなものになってしまうことをあの手この手で回避してるのかな、と思う。実は後半「え、え!?」って思うようなエグい展開があるのだけど淡々と語りだけで片付いてしまう。闇の中を子どもが駆け寄ってくるとこめちゃ印象的。
ギリシャ神話の知識がなく、話がするすると通り過ぎていく…。数カ所数分意識がない。。
一部のギリシャは何となく、二部の現代編はナチスまで出始め…画面が真っ暗な朗読劇も想像はできるから頑張れはした。。
ジャン=マリー・ストローブ&ダニエル・ユイレ監督作品。

前半はギリシャの神々の対話、後半は長編からなる作品。
前半部は馬車の後ろから男二人の会話を延々と映すシーン、死にかけの狼のシーン、火を囲んでの父と子の会話シーンが印象に残った。

後半部が良い。延々と360度パンで映すイタリアの田園風景、男二人の会話の後ろに広がる段になっているブドウ畑等背景が良い。緑が多くて目に優しい。

出てくる少年の存在が良い。ナイフを選ぶシーンが魅力的で、そして少し怖い。
バーでの客の立ち振る舞いがすごい面白い。一瞬しか映らないのにすごい存在感。
面白い。引きと寄りのリズムでここまでできるのかという感じがちょっと小津っぽい。あとくねくね道がすごい。
基本2人の人物がその場にいない知り合いや神々の話をする6+1幕で、基本「いやいやそいつのこと知らねーからもう少し分かるように言ってくんない?」って語り口。金のかかりそうな描写は黒味で処理し、急に無意味なダンマリ長回しをぶち込むかなり勝手な演出。予習が必須の映画なんて好きじゃない。@アテネフランセ
画面に映る場所がはるか昔から何も変えられてないままそこにあるかのように見える。そんなことを映画を見ながら感じることがどれだけあるか。
S=Hの映画はほぼ常に撮影された演劇として表れるのだなということ、観客を想定した話し方をする役者の台詞内容によって話が進行する。パヴェーゼの「対話」形式の小説との親和性の高さ。予備知識は必要だが、ギリシャ神話の含蓄の深さというのはおとぎ話としてとても心地よい。第二部は現代の対話に変わる。それでもやはり形態は撮影画された演劇に思う。否定的な意味ではなく、そのような映像のあり方がすばらし区間汁。視覚情報が巧妙に設計されていながら余計なカットを重ねないので、舞台美術が動く、生きる理想的な野外演劇の形を実現するようにも思える
撮影のスタイルが固まった感のあるストローブ=ユイレの長編。

相変わらず前半の戯曲の内容は話半分程度にしかわからないし、後半も原作小説のあらすじ読んだときと印象が全然違ってたんだけど、やはり人物の長回しとスパイス的な少量の高速カットバックは心地良い。

一緒に映ってるシーンがないのに人物の位置関係がわかる冒頭のモンタージュとか死にかけの狼とかが印象的だった前半も、人物の歩行と共に変わる後ろの景色が何故かとても印象に残るシーンがあった後半も、作者が同じってこと以外関連性は無いだろうけど画的に中々見応えがあって、ちょっと危ないところはありつつも最後まで寝ずに画面に集中することができた。

それにしても後半部、大事なところをナレーションだけで済ませる力技は逆に潔くて清々しいけど、うしおととらとか封神演義とか長編漫画の無茶なアニメ化もこれだけ潔いカットをしたらある意味伝説になったのではなかろうか。
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