僕の帰る場所の作品情報・感想・評価

「僕の帰る場所」に投稿された感想・評価

390239

390239の感想・評価

3.9
日本の報道は、おもてなし文化の自画自賛番組ばかり作っておらず、もっと身近な人々や日本社会の問題について真剣に取り上げるべき。
ねこ

ねこの感想・評価

4.0
家出のシーンはこの作品においてとても重要な役割を果たしてると思う。

僕の帰る場所。この題の持つ意味。彼らの居場所はどこにあるのだろう。日本でもミャンマーでもどちらでもいいのではないか。

日本の難民認定は厳しすぎるのではないか。もっと寛容になってもいいのでは。この作品に描かれてることが全てではないが、難民問題を考えるきっかけにはなると思う。

2020-10
TAKAHIRO

TAKAHIROの感想・評価

4.2
東京の小さなアパートに住む、母のケインと幼い二人の兄弟。入国管理局に捕まった夫アイセに代わり、ケインは一人家庭を支えていた。日本で育ち、母国語を話せない子ども達に、ケインは慣れない日本語で一生懸命愛情を注ぐが、父に会えないストレスで兄弟はいつも喧嘩ばかり。ケインはこれからの生活に不安を抱き、ミャンマーに帰りたい想いを募らせてゆくが——。
ミャンマーパートの映像は引き込まれた。家出におもちゃの銃を持っていくのがよい。
カウンくんの演技には説得力があった。『誰も知らない』の柳楽優弥に通じるものを感じた。
移民の話ではあるけれども、それ以上に、親の都合に振り回されたり兄でいなければいけないというしがらみを乗り越えての成長という普遍的な物語が愚直に描かれている。
ドキュメンタリー?って始まり方から、津田寛治のちょい役で、いやいやドラマですよ、、という展開が上手いです^_^

ミャンマー🇲🇲、、まだまだ知らない国。

政情不安なミャンマーから日本に家族で逃れて来たけれど、中々難民申請が受けられず、、父さんを日本へ残して、母さんと子供二人はミャンマーへ、、。

特に子供が小さい時、家族は一緒に暮らす方がいいのは言うまでもないことだけど、そうできない事情も沢山ありますね。

日本語しか出来ないミャンマー人の子供にとっての帰る場所は、日本なのか?ミャンマーなのか?、、どっちの国、、ではなく、家族の元、、なんだろうなぁ。

日本に長かったお兄ちゃんは、ミャンマーに中々馴染めなくて、、分かるなぁ〜弟の方がどこでもやっていけるタイプで、、その対比もね、、なんかいかにもありそうな関係性です^_^

それにしても、子供達の自然さが素晴らしいです。
かっぱ

かっぱの感想・評価

3.5
ミャンマーの生活とか、日本の生活とか、こんなに難民の受け入れが厳しいとか、知らないことを知れた作品。
日本人らしさ とか、日本人特有の だとか、昨今の日本日本日本ONLYな風潮に、ルーツが違うけれど今そこで生活する人、が含まれていないことに違和感を覚える。族制ばかり気にして排他的な考えを持っている人は、この家族を見てどう思うんだろうか。やっぱり当然だと思うのだろろうか。当然だと思う人が多そうな気がして、今の社会、今の政権の考え方にはストップを言い続けたい。

このレビューはネタバレを含みます

主人公一家は幼い2人の兄弟を連れてミャンマーから日本に逃れてきたが、難民申請の存在を知らず1年の間申請をせずに滞在していた。父親は飲食店で、母親や被服工場で働いている。兄のカウンは日本の小学校とミャンマー語の教室に通っている。日本人のユウキさんの手を借りて難民申請を出すが、自宅に入国管理局が押し掛けオーバーステイの外国人としてホテルで働いていることを取り締まられてしまう。入国管理局は思わずミャンマー語で反論する父親を「日本語で話せ」と馬鹿にしたり、役所の受付は「無理しないで国に帰ったらどうですか」「今後もルールを守って生活して下さい」などと『不法滞在者』を犯罪者予備軍のように扱っているような態度を取る。
難民申請が中々認められずにまたいつ不法滞在者として逮捕されるかも分からない不安な日々を送ることに耐えかね不眠症で倒れた母親は兄弟を連れてミャンマーに帰る。母親の兄は「日本では国は変わったと報道してるかもしれないが、変わったのは表面だけだ。自分たちのような日雇い労働者の暮らしは変わらない」と話す。実家や父方の実家は貧しいながらも落ち着いた生活を送っていた。民主化運動の混乱などによってミャンマーに居られなくなったのだろうか。両親が話す日本語は子供に対しても敬語がベースで、日本で育った期間が殆どを占める兄弟のネイティブと言えるような自然でくだけた日本語は時に聞き取れないことがある。ミャンマーに渡った後ミャンマー語の勉強を拒否する兄に母親は「両親ともミャンマー人なのであなたもミャンマー人だ。これからミャンマーで暮らしていくのだからミャンマー語は勉強しないといけない」と叱るが、兄は「ちがう」「自分は日本人だ」と否定する。家出した後も露店の女性に「君日本人?」と聞かれて首肯するなど、殆どを日本で生まれ育ったカウンのアイデンティティは「日本人」であるのだが、母親は理解し難いようだ。日本にいた頃も兄弟を見ながら「すっかり日本人みたいね」と言っている。兄に比べて弟の順応力は高く、まだ状況を理解できる程の年齢に達していないためと思われるが、親子間に限らず数歳差の兄弟間でも世代間格差が発生することが生々しく描かれていた。例え父親の合流が叶ったとしても、家族の中でカウンだけが日本人としてのアイデンティティに苦しみながら生きていくことになるかもしれない。家出中のシーンは言葉も文字も分からない土地で彷徨う不安にゾッとさせられた。日本語ではなくアルファベットでも安堵を覚えて縋ってしまうほどの不安。多くの難民移民が抱えているだろう不安な環境が身に迫ってきた。家出の道中に同じく日本から帰国したであろう少年達と出会い久々に日本語で打ち解けあったカウンはミャンマーに来て初めての笑顔を見せる。同じ言葉と文化を持つ友人を作れたことで始めてミャンマーで居場所を見つけることができたのではないだろうか。兄弟は日本国籍の生徒だけでも校舎増設を検討する程入学希望者がいるためミャンマー国籍の子どもの入学は難しいと言われたものの、ラストシーンではミャンマーの日本人学校に入学を果たす。殆ど日本語しか解さない兄弟は本人達のアイデンティティにおいては日本人であるのに、国籍や両親がミャンマー人であるという点から『日本人』には入れてもらえない。
作中何度も「もうちょっと我慢して」という言葉が主人公達に浴びせかけられる。難民申請を待つ両親に、ミャンマーで父親に会いたがる弟に、ミャンマーに馴染めず日本に帰りたがる兄に。鑑賞後に映画館スタッフさんを含めた鑑賞者の方々と少しお話させて頂いた時も話題になったが、難民申請の平均処理期間は一次審査で13.2ヶ月、不服申し立てで18.0カ月と言われている。さらに申請を待つ期間一部の申請者は適法に働くことができない。「ちょっと我慢して」は全く「ちょっと」では無い年月を苦しい環境で過ごさせられている難民たちが日々浴びせられ続けている言葉であるのだろう。
日本に違法移民として入ってきた在日ミャンマー人夫婦から生まれ育った二人の少年。生まれも育った環境も日本だから、母親と共にミャンマーに戻されたものの、生活が全く馴染めない。それどころか自分は日本人だと思ってしまっている。彼らにとってのアイデンティティーはどこにあるのか?
多民族国家になりつつあるこれからの日本やグローバル化している世界の片隅で常に起こりうる話だと思った。
よしか

よしかの感想・評価

4.0
UNHCR映画祭で。

あまりにリアルでドキュメンタリー作品じゃないことに驚き。

綺麗事じゃなく、労働人口の減少という問題に直面している日本にとって、シニア、女性と同じく重要なリソースである外国人労働者の存在。

彼らにとってももちろん死活問題、かつ日本側からしても大切な有難い存在であるはずなのに、どうしてこうも受け入れ環境や制度が整わないんだろうか、、、
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