東京クルドの作品情報・感想・評価

東京クルド2021年製作の映画)

上映日:2021年07月10日

製作国:

上映時間:103分

4.1

あらすじ

「東京クルド」に投稿された感想・評価

はま

はまの感想・評価

4.3
入管の現状を知ったら口が裂けても日本が良い国だなんて言えない、無関心は現状の肯定と同義なのかもしれない
とりこ

とりこの感想・評価

4.3
東京に住みながら難民申請を続けるクルド人たちを追ったドキュメンタリー。住民票も貰えず、保険も入れず、仕事もできず、ただ”居るだけ”、そんなクルド人に「仕事をするな」と言いつつ「じゃあどう生きていけばいいのか」と問われると「自分でどうにかしろ」と突き放す職員、必死に今を生きようとする彼等に対して「他の国へ行ってよ」と吐き捨てる職員に心底絶望した。無関心は現状の肯定と同義であると強く痛感させられた。
TAKEZOH

TAKEZOHの感想・評価

3.5
どの国でも若者の青春と子供を思う親の気持ちと確執は変わらない……
故郷から逃れ、幼いころに日本に来たオザンとラマザンの若者を中心に家族、将来と現状を描いていて、劇中流れる入管での会話のやり取りでルールや仕事に徹している役人の言葉ではないその言葉の異質さに驚愕させられて、今の東京入管での問題と難民問題を知ることが出来る作品であり、絶望のなかで生きながら希望を見出だそうもがく二人の青春映画として胸を打ちみせられてしまった。
Hiroki

Hirokiの感想・評価

4.0
マイスモールランドを対をなす日本のクルド難民映画。仮放免状態で映像に出演した二人の勇気に感謝。

日本に10年以上暮らし、学校に行って大人になった彼らを今更、送り返す意味ってなんなんだろう。敢えて言えば彼らは確かに日本の法律を破って不法滞在しています。(難民の受け入れを正しく審査すれば彼らは不法な存在ではなくなるわけだけど)でもオザンが言うように
「法律全部正しいわけじゃないよ」

「希望なんかない。ただ飯食ってスマホいじって、たまにAV見て、、、」のパンチライン。やる気も能力もあっても何もするなと言われることの絶望感。

彼らを送り返すと命の危険があるって言ってて、実際に拷問されている事例があるのに、それでも送り返そうとする入管の絶望的な頭の悪さ。宮台真司の言葉を借りれば、法の奴隷、言葉の自動機械っぷりが凄まじい。法に則って業務を執行するために平気で人を殺すのはナチスのホロコーストと似たところがある。入管こそ「凡庸な悪」の典型だと思う。

でも自分の周りを見てもネットの言論を見ても、法律は何があっても守られるべきだっていうのが凡庸な日本人の感覚なんだろうなと思うと絶望感しか湧かない。
あゆみ

あゆみの感想・評価

5.0
監督が、在日クルド人の青年に将来について尋ねたところ、「シリアに行ってIS(過激派勢力イスラム国)と戦いたい。日本で暮らしていても希望がないから」という答えが返ってきた。その場にいた10代の若者たちの多くが賛同。その時の言葉にならない衝撃が、本作を制作するに至った動機という。

仮放免は入管での「収容」を一時的に解かれた状態と指す。就労は許されず、生活保護も受けられず、健康保険も適用されない。居住する都道府県外への移動も制限される。2ヶ月に一度など、仮放免許可の期間を延長する申請のために入管へ「出頭」しなければならない。
そしてこの仮放免許可は、ある日突然、明確な理由も告げられぬままに取り消されるおそれがある。理由のない収容には、期限もない。

真摯に今を生きようとする人に「生きる価値がない」と感じさせてしまう日本の入管法。私たちの無知が、非人道的な今の制度に加担していることに自覚的でなければと本当に思わされた。
難民認定率が1%以下の日本で、いつ捕まる(収容される)かわからない不安を抱えながら生きていくというのはどういうことか。
一人でも多くの人に観てほしい。

「在日クルド人と共に」主催の世界難民の日に合わせた上映会にて。


クルド人の「祖国」は歴史的にクルディスタン(クルドの国)と呼ばれるトルコ、シリア、イラク、イランにまたがる山岳地帯。
現代にいたる「クルド問題」の起点はオスマン帝国領の分割。第一次世界大戦によって多民族・多宗教が共存した帝国が崩壊し「民族の時代」が幕をあけた。トルコ共和国が誕生し、帝国の領土だった地に多くの国が「民族自決」の大義のもとに独立。
戦後処理のためのセーブル条約はクルドにも将来的な独立を認めたが、続くローザンヌ条約でクルディスタンはトルコ、シリア(仏の委任統治)、イラク(英の委任統治)に分割され、4カ国に分断されることになった。国境線が、古来連綿と続いてきた人間の営みを寸断した。
odyss

odyssの感想・評価

3.0
日本の首都圏にはクルド人が千人以上住んでいる。
小さいときに親と一緒に来日して、今は二十代になっている青年もいる。
教育も日本で受けてきたのだから、日本で働きたいと思うのも当然ではある。

今の日本は、だけど難民に厳しい。
クルド人青年が日本での永住権や労働権を獲得することは困難。

そういう在日クルド人に焦点を当ているドキュメンタリー映画がこれ。

少し前、難民申請しているスリランカ人女性が日本の入管の建物の中で亡くなって、今、裁判沙汰になっている。
この映画にも同じような扱いを受けたクルド人男性が登場する。

本作品は、あくまでクルド人側の言い分に寄り添う映画だ。
そういう映画はあっていい。
だけど、日本がなぜ難民を受け入れないのかというもう一方の問題には触れていない。
日本政府とクルド人の二者のうち、後者の言い分だけを取り上げた映画なのだ。

何でもそうだけど、現実の問題をとりあげるなら、対立する両者の言い分に公平に耳を傾けた上でなければならない。

ネットで調べれば、クルド人をどう扱うかについて日本政府がそれなりに苦慮していることが分かる。
さらに、移民や難民を大量に受け入れたヨーロッパがどうなっているかは、この方面のことを少し調べた人にはよく分かっているはず。

実際、この映画でも冒頭で、在日クルド人と在日トルコ人の対立(下手をすると大規模な実力闘争になりかねない)が描かれている。
難民や移民が増えるということは、このような対立が増えるということでもあるのだ。
難民は決して「諍いを好まず平和を愛好する人々」なのではない。

つまり、この映画は問題の半分をしか見ていない。
そこに注意して鑑賞しないとね。
Tom

Tomの感想・評価

4.0

このレビューはネタバレを含みます

難民問題は早急に解決策を練らねばならない日本の闇。

しかし疑問なのは、謎にお金持ちの主人公たち。
入国管理局員の「(国に)帰ればいいじゃん」って発言にドン引きした
さき

さきの感想・評価

3.7
難民認定されないクルド人のドキュメンタリー。仕事もしてはいけない、ずっと日本に住んでても居場所がない。生きるなってこと?と憤りがわくような環境のなかもがいてる姿に胸打たれた。がんばってもがんばっても認めてもらえないことほど気力を奪うことはないな。
umi

umiの感想・評価

5.0
京都大学でみました。映画館でみようとおもってたのですが、映画の存在を知ったときには周囲では終わっていたので、今回このようにみることができてよかったです。機会を設けるためにうごいてくださった方々に感謝しています。

「難民」や「クルド」の生、「homeland故郷/祖国」や「共生」をめぐってどのように考えていくことができるのか。映画そのものもそうなのですが、映画をみた空間もいろんなことを表しているようでした。岡真理さん、日向監督、弁護士、市民活動(TRY)や、今回企画した委員会の人びと。そして、講堂に詰め寄せた100名を超える市民、学生。たくさんの視線が交錯していました。トークセッションの中で自らのルーツを告白するフロアの人もいました。「日本」にいるのは「日本人」(のみ)であることを自明視するような政治空間、とは当然違っていて、異様な空間が醸造されていた気がします。わたしも空間を捉えようとしながら、また映画の中と外を行き来しながら、自分はどこに位置しているのだろうとか考えたりもしました。でもどこか、周囲も自分も、頭ばかりが先行しているような感覚がずっとありました。

なんてやさしくて、かなしい目をしているんだろう。2時間弱の時間を通してみていたのは、ラマザンさんやオザンさんのまっすぐで、あまりにやさしくて、哀しい、そんな目線や表情の数々でした。生活であり、「日常」でした。監督も撮影の切り口について、「彼らの生活や気持ちを撮っているうちに自然と見えてくる」と言ってました。映画の中だけでなく、実際にトークセッションの間、オザンさんをみながら、わたしはオザンさんの姿から、なにを見ているのか、なにが見えているのか、考えたり感じようとしていました。時折、「これ以上彼に何を言わせるのだろう」「彼の何を切り取りたいんだろう」と思うような、彼に対する、薄さや軽さが浮き彫りになるような、なんの緊張感もないような眼差しや問いかけ、質問すらも飛び交っている気がしました。

「難民」や「クルド」の生(という切り口)を前景化するような質問や議論よりも、いま彼が目の前にいるということ、話そうとしてくれていること、そのこと自体を感じたり、思ったりはできないのかな。彼が自分は「ひとり」だと感じていること。孤独のように思っている一人の彼が映画の外、まさにいま・ここでも眼差し続けられていること。それは難民によって「日本」や「国家」が逆照射されるといった図式的な思考、論理で捉え切ったり、わかったと言えることではない。

それでも「わたしたち」と言ってもらえるように、「わかる」と言えるように、なりたい。


そんなことを感じながら過ごしていたから、ディスカッションの最後でゆっくりと丁寧な口調で述べられた、日向監督のことば、「どういう覚悟を持って、どれだけのリスクを背負って話してくれているのか」このことばを聞けてよかったと思うと同時に、わたし自身のことばや身振りとしてなにも出せなかったことが悔しい。







すこしだけ、オザンさんとぼそぼそと話しました。彼の生まれ年、わたしの生まれ年、あんまり変わらないねとか、あまりに他愛もないことでしたね。多くは目を合わせず話していたのですが、目を合わせようとすると彼は目を合わせてくれる。どんなにことばを費やした「やさしさ」よりも、彼の表情ひとつひとつのほうがやさしくて、あったかいきもちになっているのはこちらでした。わたしやあなたを取り巻く「世界」を踏まえて、それでも考えて、感じて、生きていたいと思いました、ありがとう。
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