彼女は陽光の下で長い時を過ごしたの作品情報・感想・評価

「彼女は陽光の下で長い時を過ごした」に投稿された感想・評価

憧れの異国を旅する。言葉の片鱗しか解せなくとも彼らの会話や息づかいに耳を傾け、街の匂いを思いきり吸いこみ、彼らの日常にすこしでも溶けこみたいと願う。字幕なしで観た本作はみずみずしくて切なくて、心わきたつ旅のような体験だった。

このモノクロ映像の質感は卓越している。例えばベルイマンのような硬質なキレのある画ではなく、若干ピントの甘いざらついた映像。曇ったパリの空/輪郭を縁取るひかりの粒/アップで捉えたミレイユ・ペリエの表情/雨にぬれたガラス窓のあちら側とこちら側/時折数秒間途切れる音。そのすべてが至福。目の前で彼らは歩いている。息をしている。相手を見つめている。柔らかなトーンで喋っている。ああ、笑っている。

ミレイユ・ペリエはなんと儚く美しく、パリが似合うひとなんだろう。アンヌ・ヴィアゼムスキーは、ゴダール時代のあどけなさは消え堂々たる色っぽい女性になっていた。そして、そう、このパリが見たかったんだ。30年以上前のパリ、幸せなパリ。

ガレルはまだ4本目だが好きと思ったことはないしむしろ苦手な作品もある。だけどこれは直球で胸を撃ち抜かれた。それはミレイユ・ペリエの魅力のせいなのか、映像のせいなのか、はたまた字幕なしがよかったのか。今はまだよくわからない。他の作品も観ようと思う。

じつは字幕なしとは知らずに観て開始早々がっかりしたのだけど、すぐに心地よさに浸った。今ではこう思っている…もしかしたら本作を字幕付きで観るのは(少なくとも初回は)無粋なのではないかと。字幕を追っていたらこの独特の世界をまるごと享受できなかったかもしれない。素敵な体験をさせてくれた劇場に感謝。作品解説を頂いたことにも。もし字幕版ができたらやはりどうしても観たくなると思うけれど、今はただ、出会えてよかった、そう思っている。
kyo

kyoの感想・評価

4.6

このレビューはネタバレを含みます

息をとめ、モノクロームの海に泳ぎだしていく深海魚のような気分で、ふっと三層の時間のなかへ。知らない旅人のように無垢なまま、ただ目に映るものだけを心で受けとめてみる。

日本語字幕なしの130分間。けれど物語のなかに入ってしまえば、言葉がわからない、という問題は、ほとんど意味をなさないのかもしれない(と映画を観ている最中に感じた)。やさしい沈黙、夢幻境をさまようようなミュート、そして聞き取れない言葉。それらすべてが愛の息だった。すばらしかった。愛は咲く花、恋は散り花。フィリップ・ガレルというひとは、散った恋ではなく、咲いた愛を信じるひとなのだろうね。詩にふれたときのような染み入る余韻、それがいまもまだ体内に残っている。いただいたテキストと、自分が見たもの・感じたもののあいだを行ったり来たりしているうちに、そんなことのすべてがひとつに重なり、記憶となる。人生って(そして映画って)、物語だけでなく「景色」のことでもあるのだろう。たとえそれが、あぶくのようなものだとしても。もう一度観たい。今度は字幕付きで。いつか必ず、また。
slow

slowの感想・評価

4.5
全く静かな映画だった。
影はまるでフレームのようにそこに存在し、陽光の、人物の白を印象的に浮かび上がらせる。それがガレルのモノクロであり、一歩間違えばただの独りよがりとも取られかねない映像の羅列が、光と闇の世界で生まれては消えて行く。
時折訪れる無音状態。それはあたかもドキュメンタリーのようだが、モノローグやナレーションは差し込まれない心の告白の時間。
人間の余白には記号に置き換えられないものもあるんだ。そこにドラマチックは見当たらず、ただ世界は重力に従った。