坂東玉三郎と杉村春子の語る事が対照的で面白かった。おそらく用意された空間を突如独自のものにする真の演劇人への思いで「描かれた」ではなく「書かれた」なのだなと思った。化粧塗る&落とすシーンも見入った、…
>>続きを読む男性が女性を演じるという地点で、それはもはや現実ではなく“フィクション”なのだけれど、演じている本人(役者)は確かに今ここに存在する。
フィクションでありながら、異なる対象としてリアルに存在するとい…
虚構と現実を行き来する
死に始まり死に終わる。
失われつつあるものを撮るということの意義を考えさせられる。
男性が女性を演じる女形という特異な存在を通して、フィクションとドキュメンタリーの境界線…
ダニエル・シュミット監督『書かれた顔』(1995)
早稲田松竹にて鑑賞。
geishaの魂・宇宙・霊感に裏付けされた肉体の美学ー「女形」という「女」や「男」を超越したところにある、演じられること…
玉三郎さんは男として女を演じる事、舞台の上で人間を演じることについて語ってるんだけど、
映画としてはずっと妖精?神様?とにかく、人間じゃない人が人間に擬態してるさまを観ているようでずっとゾワゾワして…
大野の身体のみなぎりそこから限りなさがはじまろうとするが身体に阻まれて常に有限でありつづけもしそれでもあとからあとからあふれてくるそして時が 音にとけるのも夢中に〜の標語もスポットライトの陽の光で育…
>>続きを読む伝統芸能に対しての及び腰が抜けないのでぜんぜんピンと来なかったら恥ずかしい…と後回しにしてたのだけど、シュミット/ベルタはただ美しいものをカメラに収めるところを遥かに超えて抜群に編集をしまくってくれ…
>>続きを読む・役者が自分自身の舞台を舞台袖から、脇から、あるいは客席から見る、という夢。ひとつは、坂東玉三郎という2つの性をある種往来する趣を持つ役者において、それが最大の効果を発揮すること。もうひとつは、舞台…
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