皇帝にはとうてい向いてないネロ
信仰によって人は強くなれる
「Quo vadis, Domine」
「主よ どこへ行かれるのですか」
ローマを去ろうとした使徒ペテロが復活したイエス・キリストと道の途中で出会い掛けた言葉
ペテロの信仰と使命が果たされる重要なテーマ
古代ローマのネロ帝時代におけるキリスト教徒の迫害
超アウェイな中で殉教者に声を掛けるペテロは
亡くなる前日のメンフィスでの演説で
「私は山の頂を見た ~ I've Been to the Mountaintop」
と神の道を説いていたルーサー・キング牧師の姿を思い出した
普遍的な事実や変わらぬ本質として真理は人間に関係なく存在するものかもしれない
道と真理が同じかどうかはどの視点から考えるかによって答えが変わる
キリストが「わたしは道であり 真理であり 命である」ヨハネ14:6 と言っている
道と真理が同一のものとして語られているように思います
「道」とは真理へと至るためのものではなくて それ自体が「真理」だと思える
リジアは信仰を道として生き方とか進むべき方向と捉えている
ペテロがキリストの声を聞いて即 行動に移せるのは禅的で道を求め続けていたから今までに至るところの実践を通じて理解していた
作品に出てくるキリスト信仰者はペテロも迷ったであろう選択を辿るように信じるものを選んでました
マタイ4章にある漁師として働いているペテロがイエスに「私について来なさい 人をとる漁師にしよう」と言われてすぐに家族や仕事を投げ捨ててイエスに従ったように何の躊躇もなく従ったその性格なのかもしれないけど
ルカ22章ではイエスが捕らえられる前にペテロはイエスを三度否認する
彼は何度も弱さを感じて失敗もして最後まで信じ続けた その信仰の深さは愛の強さとも思える
ペテロのような迷いと弱さを受け入れて信じ続けることがどれほど重要で力強いものになるのかを痛感した
1968年4月4日 メンフィスのロレイン・モーテルで凶弾に倒れたキング牧師
「私は長生きしたい しかし今はそれよりも
神の御心を成し遂げることが重要だ」
と言う人種差別や不正義に対する闘いを続けるキング牧師の決意
私は山の頂を見た
そして神が私たちのために備えてくださっている約束の地を見た
私はそこへ行けないかもしれない
しかし私たちの民はそこへ行くのだ
最後の演説にはペテロのように自分の死を恐れることなくそのまま道を進む生き方を選び道を示した その姿勢には時代を超えて響くものがありました