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白痴のkojikojiのレビュー・感想・評価

白痴(1951年製作の映画)
3.4
1951年 監督・脚本::黒澤明.脚本:久坂栄ニ郎 2022.09.18視聴-424 評価3.4
●森雅之(亀田-ムイシュキン)
●原節子(妙子-ナスターシャ)
●久我美子(綾子-アグラーヤ
●三船敏郎(赤間-ロゴージン)

 第12作松竹映画
 ドストエフスキー原作の映画化

無理がある。黒澤監督は原作に忠実に作るつもりだったらしい。それはドストエフスキーに入り込みすぎている。黒澤の「白痴」で良かったのではないか。
 映画になったドストエフスキーを観ると、改めて思う。ドストエフスキーは映画には出来ない。しかも日本版で作るなんて無謀すぎる。この映画、興行は悲惨だったのではないか。
 ドストエフスキー小説中の会話は他の小説以上に独特で長い(もちろん日本語訳)、日常会話では表現出来ないと思う。日常会話に出来ない言葉を普通に喋っても、それはおかしな映画になってしまう。そんなシーンが何回も出てくる。

 黒澤監督は元々この映画は4時間25分の作品にする予定だったらしいが、結局2時間46分にされている。
もっと短くしろと要求する会社に黒澤監督は、カットするなら「縦」にカットしろと言ったらしい。思う存分の映画を作らせたらどんな作品になったのか、それを観たかった。
結果として言葉書きや無理なカットがかなり出てきて、作品を台無しにしている。
 それが映画の特殊性を奪い、つまらない作品になっている。
 いや、それは違う「つまらない作品」ではない、面白い場面もたくさんあるのだ。配役もいい。だからつまらないではなくて、「ダメな作品」にしているが正解。
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 亀田と赤間は北海道へ帰る青函連絡船の中で知り合う。亀田は戦犯として処刑される直前に人違いと判明して釈放されたが、そのときの後遺症でてんかん性の白痴にかかってしまっていた。そのため、他の人とは違って純粋で、赤間はそこが気にいる。
 札幌へ帰ってきた亀田は、赤間から教えられて、写真館のショーウィンドーに飾られていた那須妙子の写真に心奪われる。
しかし、妙子は政治家に愛人として囲われていた。身元引き受けをしてくれる大野の娘の綾子と知り合った亀田は、白痴の症状こそあるものの性格の純真さや善人さから愛される。妙子もまた、亀田に惹かれる。亀田は彼女たちの間で激しく揺れ動く。3人の異質な恋愛は、周囲の人々を次々に巻き込んでゆくこととなる。

 三角関係の3人のやりとりが、小説を意識しすぎてありえない会話になっている。
 森雅之も原節子も久我美子も配役としてはよくぞ探したと言えるぐらいの適役なのだが、どうしても無理があると思うのだ。
 当時は当たり前の言葉でも、今の会話からは不自然な言葉が多い、例えば原節子が2回ほど使う「よござんすね」はどうしてもピンとこない。


(メモ)
  この映画一度も観たことがなかった。
 そのため、企画「黒澤明に挑む」30本、前半の最大の山だと思っていた。無事クリアできた。
 このあとは、全作品何度も観ている作品が並ぶので、完走はできそうだ。
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