レザボア・ドッグスの作品情報・感想・評価

「レザボア・ドッグス」に投稿された感想・評価

限られた人と場所だけでの展開で、物足りなさがあるように感じたはずなのに、最終的に大満足してる。
銃撃シーンをビジュアル化しなかったのにはどんな意図があったのか気になる。
昔スマスマでオマージュしてたのがこれの冒頭だったなんて知らなかった。
オマージュなのに、当時めちゃくちゃかっこいいと思ったのを覚えてる。
これが処女作で当時20代だなんて、すごいな〜

昔のティムロスめっちゃかっこいい。。
momohide

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4.0
低予算でもいい映画が作れるいい見本。

オープニングがクソかっこいい。
yasu

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4.0
冒頭のスタイリッシュな何気ない雑談のやりとりは、タランティーノ節全快。たわいもない内容だけどなんだかオシャレなようなB級話に、なんだか見入ってしまう。エグいバイオレンスシーンもあるけど、あの撃ち合いシーンや銃口向けるシーンとかは、監督のカッコ良さを目指したこだわり追及の表現なんだろうなー、きっと。。
ANAMI

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5.0
クールで見た目ドチャクソかっこいいのに、どこか抜けてる感じがたまらない。
しょーもない小話にキャラ1人1人の濃さ、音楽が最高以外言葉見つからない。
Lile a virginは巨根の歌。
"細部が大事"、まさに。

何が起こるんだろうという冒頭から
急転直下 何が起こったんだろうな状況。
そして種明かし。
バイオレンスさには薄目になったけど、
小話、的なそれぞれのエピソード どうでも良さそうなその細部がじわじわ面白い。イカすわあ。
ksm

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3.9
クールだけど何となく抜けてていちいちカッコよすぎる男たち
もうほんと、タランティーノってこういうの好きなんだなあって感じ
mr.オレンジが人間臭くて良かった

コードネーム決める時、ブラックは取り合いになるから駄目だって大真面目な顔で言うから笑っちゃった
冒頭のタランティーノ監督作品らしい品のない会話のシーンと、その後のめちゃくちゃかっこいいオープニングがすごくいい。
劇中出てくる男たちもそれぞれキャラがたっていて魅力的です。
特にミスターホワイトのかっこいいおじさん具合は最高です。

ただ基本的に一つの場所でひたすら会話劇って感じなので、中盤辺りでちょっと飽きてしまった。

バイオレンス要素はタランティーノ監督の作品の一つの魅力だけど、この映画の暴力描写は何というか血生臭いというか嫌な感じでそこもちょっと苦手でした。
冒頭の、黒スーツ達がスロモで歩くとこ。
Littele Green Bagのすかした選曲。
からの後ろ姿

黒黒黒黒黒黒青黒
   are
↑      ↑
RESEVOIR GOGS

て出る、超かっこいいタイトルシーンから、
ラストのそれどんな感情表現やねんていう
ハーベイカイテルの呻き方まで、
とにかく一切無駄のない、

体脂肪ゼロのバキバキにかっこいい映画
Angiii

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4.5
要所要所流れてくるクソ棒読みのラジオとそのあとの音楽が好き。
タランティーノは音楽とキャラで私の心を掴んでくる。
紫煙

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4.0
ジャン=リュック・ゴダール『勝手にしやがれ』が、同時代的にどれほどの衝撃を与えたのか、私はタランティーノを通して知ることができた。

そうした意味で、初期2作品『レザボア・ドッグス』と『パルプ・フィクション』は、映画の"秘密"に触れているように思う。

ゴダールにもタランティーノにも、過去の映画作品を浴びるように観たマニアとしての血が、共通して流れている。

何かにマニアックに夢中になった経験があれば、誰にでも分かる1つの事実があって… それは、オリジナルなものなど、とうの昔に費(つい)えているということだ。

捉えようによっては、それは遠くギリシャ時代に終わっていると言う人もいる。シェイクスピアの時代だと言う人もいるかもしれない。

いずれにしても、大昔であることに変わりはない。

私が『レディ・プレイヤー1』に苛立つ理由は、そこに対する自覚がとても薄いこと。80年代のサブカルチャーがどうのと扱ってみせたところで、"80年代"である必然性はどこにもなく、底の浅いマニア性を発揮しているにすぎない。

ゴダールは、そのことを知的に理解していた。一方タランティーノは、熱愛の深まりの底が抜けていくように、そこへ達したのではないだろうか。

オープニングのレストランでの会話。

あそこで描かれる安っぽい黒スーツのおっさん達がやたらカッコいいのは、意味を突き抜けて、ほとんど"ビート"しか信じていないからだ。

『セッション』でのデミアン・チャゼルが、"それらしく"意味を持たせようと嘘を振りまくのとは大違いに、タランティーノとゴダールは、そこに意味などないことを知っている。

いつの時代でも、"現代的である"ということは、"意味"との戦いだということを、この2人は知っている。そのことを、私は『レザボア・ドッグス』と『パルプ・フィクション』から学んだ。

もしかすると… トニー・スコット監督も、そこで戦った人かもしれない。
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