フクシマ、モナムールの作品情報・感想・評価

フクシマ、モナムール2016年製作の映画)

Fukushima, mon amour

製作国:

上映時間:104分

3.6

「フクシマ、モナムール」に投稿された感想・評価

Dick

Dickの感想・評価

4.8
❶あいち国際女性映画祭2016で鑑賞。2016.09.07
この映画祭で一番の価値ある作品。
冒頭、桃井かおりのビデオメッセージあり。
➋最初に映るのは、被災後の福島の風景。
放射線で汚染された土の詰まった、黒いプラスチック袋の膨大な山。
他へ移される予定は全くなく、そのまま、いつまでも積み置かれる。
➌仮設住宅に居るのは老人ばかり。多くの若者は既に他所へ避難している。
❹失恋で傷ついたドイツ人女性マリー(ロザリー・トーマス)は、慰問チームの一人として、被災地を訪れる。
メンバーは外国人手品師のモシェ、ピエロのマリー、ウクレレの日本人ナミの3人。
❺着任の夜は懇親会、翌日からはフラフープの講習が仕事始め。
まだ余震が続く夜、お坊さんと日本酒を酌み交す。
❻日本政府は避難指示地域の解除を行った。測定器は放射線を感知しているのに、許容範囲内と説明するだけ。
❼マリーは、知り合った、この土地最後の年配の芸者サトミ(桃井かおり)と交流する中で、互いに抱えていた喪失感を乗り越え、自分を取り戻していく。
❽最後にデモのシーンが挿入される。
そのプラカードが大写しになる。
そこに書かれている、2つの言葉:
「Don’t Forget Fukushima」
「No Nukes」
これが、本作に込められた監督のメッセージである。
❾全国で12万5千人もの人が、未だに原発事故からの避難者として仮設避難住宅で暮らしている。
彼等は世界から忘れ去られている。
政府は今では、まるで原発事故などなかったように動いている。
来年3月末で、災害救助法に基づく原発事故の「自主避難者」への住宅の無償提供支援が、打ち切られる方針が示されている。
これが日本の現実なのだ。
❿そんな中で、ドイツ人でありながら、福島の被災地に泊まり込んで本作を世に出した、ドリス・ドリー監督以下のクルーに、心からの敬意を捧げたい。人間として尊敬する。

このレビューはネタバレを含みます

とある自主上映会にて。
これ日本でソフト化しないのダメだろ、、、。


お茶を綺麗に飲む事を覚えた。
被災地福島を扱った作品は色々あるが、洋画は珍しい。しかも独語でモノクロときた。結婚の失敗で傷心のマリを演じるロザリー・トマスと、福島最後の芸者サトコを演じる桃井かおりの母娘のようなコンビがよい。桃井かおりも、ディーンとのLA暮らしで、すっかりブロークンイングリッシュが板についていて、聞きやすかった。ちょっとスピリチュアルが入っていて、仮設や原発にもチクりとね。
momocha

momochaの感想・評価

2.8
3.11映画祭(3331アーツ千代田)で観た。
東日本大震災から6年経った今でも行方不明が多数いる現状から「幽霊」を認識する人々の想いを感じることが出来た。
しかし映画だけを見てもそれを感じることは難しいかもしれない。映画祭の今年のテーマである「みえないものをみる力」という部分と直結しすぎているからか。
わたしは映画を見た直後に、被災者の方や大切な人を亡くした方の「幽霊」を見る現象について書かれた記事を読み、震災の恐怖→怪奇現象というような安直なものではなく、行方不明になってしまったまま長い時が経つ「あいまいな死」への、死にきれない想いや死んだことにしきれない想いから表れているものだということを知った。
そのことを踏まえると、映画の中でのghostたちもそんなに怖くは映されていなかったように思う。目を背けたいようなものではなく、どこか寂しげで近い距離感を持っていた。
Y

Yの感想・評価

3.7
Le festival international du film d'amour Mons
hine

hineの感想・評価

3.8
事実が、想像できる範囲を遙かに超えているとき、映画(フィクション)を通してようやく少しは理解/想像できるような感情があるんだなと思った。
Wonkavator

Wonkavatorの感想・評価

3.1
被災地を舞台にし、現地に暮らす人々をエキストラに起用しているのであれば
もう少し政治的にもメッセージ性のある内容での筋書きにすれば良かったのではないか?と、せっかくの機会を活かしきれていない欲求不満感が残ってしまう。

あまり過敏に神経質に危険を煽る必要もないけれど、とはいえ、日本政府が蓋をしておきたい部分に全然、触れていないよね...。
もう少し突っ込む勇気が欲しかった...。

あの様な話、福島が舞台でなくても成立してしまう。
話題性を集めるために、既にある筋書きに被災地という要素を付け加えただけの様な安直なものの様にも見えてしまう。

監督は、「3.11以降ドキュメンタリーではなく、フィクションでの被災地を舞台にした撮影は私の作品が初めてだと思う。」と言っていたが、それは間違いで、既に3.11以降の福島にて園子温が「希望の国」「ひそひそ星」と、2本の実にどうしようもない作品を撮っている。
奇しくも「ひそひそ星」同様に本作「フクシマ・モナムール」もモノクロ映画と、なっている。が、「ひそひそ...」に比べれば良くできている。


被災地を舞台にしたフィクションで、高評価を得るのは非常に難しい気がする。
本当にそこを舞台にする意味や意義が明確であり、売名や偽善でないのは勿論のことだが、フィクションを上回る壮絶な現実があった場所で、それを超える感動や、悲しみを表現出来る作品など皆無ではないか!?
アユカ

アユカの感想・評価

3.2
ドイツ映画祭2016 HORIZONTE にて
監督・桃井かおり・他出演者が登壇

ドイツ語とドイツ語圏の芸術を専攻しているため興味本位でそんなに期待せず鑑賞。
フクシマが舞台ということで相当重苦しい話なんじゃないかと思ったが、桃井かおりさんと主人公のシュールなやり取りには笑わせてもらったし、まさか幽霊出てくるとは思わず、少しゾッとした。
粗い部分はあるにしても、傷ついた主人公とフクシマで強く生きる人たち(ほんとにそこで生活してる方々)とのギャップやそこで得たエネルギーを感じられて、キャストや監督と同じ空間で映画を観るというのは良い経験になった。
ドイツ映画祭2016「HORIZONTE」にて。

本作の舞台である、東日本大震災〜原子力発電所事故の発生した福島。たかが映画なんぞであの未曾有の惨事をどう表象するのか。必ずついて回る根元的な問い。被災者と非・被災者は、実際に映画の中で東日本大震災〜福島原発事故にもろに遭遇してしまった当事者サトミ(久々に桃井かおり本領発揮ではないか!)と、全く関係のないドイツから半ば軽い気持ちで遊びのように「仮設住宅に住む人々を元気づけようと」やってきたマリーとして表象される。

奇妙な流れにより、高濃度放射能ゆえに立入り禁止区域に指定された地区にあるサトミの家で同居することになった彼女とマリーがうちとけるにはさほどの時間は必要なかった。

しかしサトミは「生き残ってしまった苦悩」から自殺を図り、マリーは日本に来たそもそもの「本当の理由」を思い出して号泣する。最後にはまるで実の親子のごとく親密になったとしても、サトミが昔の芸者仲間が連れてきた若い見習いに「昔取った杵柄」でいつになく熱っぽく舞の形を教えている場面に遭遇し、マリーは何かを悟ってサトミの家を出ていこうとする。サトミは涙を見せつつも、明るく送り出す。つまり、それぞれのバックボーンはまるで違えど、いや、違うからこそ互いを尊重し、静かに見守り、理解しようとする。その上で、根源的な違いは厳然と存在し埋まるはずもない。そこに意識的である。

この映画でのこういう「描き方」には批評的な距離感があり、ユーモアも交え、深刻になり過ぎない清々しさがある。何より、フィクションとして良くできている。悲劇的なものをそのまま悲劇的に描くこともできただろうが、ドリス・デリエはそうはしなかった。そこに1つの見識をみる。「最初と最後の新宿ガード下の猫」「サトミとマリーが真似する猫の鳴き声」「サトミがいきなり東京の娘夫婦をマリーと訪ねていくシーンで明かされる猫にまつわる話」。この猫のフックと回収、そしてラストが結びついて何か切ないものが込み上げよう。

一般公開を望む。

※「猫」のエンドロール終了後のとある3枚の写真とそこに付されたメッセージは、ともするとそれまでのフィクションを回収してしまうリスクすれすれである。本編と逆のことをわざわざやっている。ドリス・デリエはそんなことは百も承知でこのシーンを入れたのだろうが、個人的には蛇足の感を免れない。その真意を訊いてみたいものだ。

※邦題はむろんデュラス〜レネの『ヒロシマ、モナムール』から取ったんだろうが、意外に悪くないと思うがどうでしょうか? エマニュエル・リヴァ演じる「女」=マリー。ドイツ語原題は「Grüße aus Fukushima」(福島からの挨拶)。
Roland

Rolandの感想・評価

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ドイツ映画祭にて


他人の過去へ立ち入ることの難しさ。というよりそんなことは本来不可能で、ハチミツの空き瓶や使用済みの歯ブラシを通してしか、彼らの人生の一瞬を知りえない。

彼らが亡くなったということが、なによりも彼らがそこで生きていたことを物語ってしまうという事実。死を含めて、彼らは「そこで」生きていたのだった...

「これがあなたの人生」という言葉は、誰かの死への決意(生への決意)も簡単に妨げることはできないことを意味する。そもそもそれは不在の死者にも言える言葉なのかどうか。

もっと慎重に描かれるべきだと思ったし、これ以上慎重になる必要はないとも感じる。なかなか難しいが、言葉や映像はまだまだ追いつくことがない。
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