ラストムービーの作品情報・感想・評価

上映館(1館)

「ラストムービー」に投稿された感想・評価

えふの

えふのの感想・評価

3.8
 スタジオシステムによって間接植民地に残された(西部劇)映画信仰がペルーでスナッフフィルムの儀式となってアメリカンニューシネマの旗手であるデニスホッパーを襲う、というは構図は面白い。のだけれど、ホッパー自身は反社会の人だからやっぱり旅に出てしまう。歌を歌いながら。もうちょっと自己言及が多ければわかりやすくなっただろうと考えた一方で、それじゃあホッパーじゃないよなぁとも思えなんだか複雑な気分になった。
 ハリウッドシステムから弾き出されてアイデンティティクライシスを起こしたスタントマンが亡霊のように撮影所(跡)を徘徊ってとこはまんまワンハリだけど、タランティーノもこれ好きなんだろうか。
昨年末に観た「デニス・ホッパー 狂気の旅路」でも、中心に取り上げられていた幻の作品。初監督作品である「イージー★ライダー」が、低予算作品であるにもかかわらず、大ヒットを記録し、一躍、注目の人となったデニス・ホッパーが満を持してつくりあげた野心作。南米のペルーの村にやって来た映画のロケ隊が、現地で巻き起こす騒動と、文明の衝突を描いた作品。リアルとファンタジーが交錯する複雑なつくりのため、ハリウッドのユニバーサルが短期間の公開のみでお蔵入りにしたものだが、こうして半世紀の時間を経て観ると、それほど違和感はない。これくらいの作家性に根差した作品はいまいくらでもあるような気がする。

ただ「イージー★ライダー」のヒットの影響下にあったためか、ユニバーサルとしては、ある種の商業主義で算段しながら、この作品を見ていたのかもしれない。死んだ人間が生き帰ったりするなど、一種のマジックリアリズム色が濃い内容は、舞台であるペルーという土地を考えてみれば、至極、納得がいくように思えるし、むしろそういうものとの遭遇が作品のテーマでもあるのだ。狂気に陥っていく主人公をデニス・ホッパーが演じ、「イージー・ライダー」で共演したピーター・フォンダも出演している。1971年のベネチア国際映画祭にも出品されたので、この作品の存在は認知はしていたのだが、日本で劇場公開されたのは17年後の1988年。今回、自分もようやく観ることができた。当時のデニス・ホッパーが何を考えていたのかを知るには、格好の作品となっている。
スタントマン役のデニスホッパー。
デニスホッパーによるデニスホッパー孝。
過去、映画の中で演じられてきた「偽りの死」を供養する映画に思えた。
拘泥

拘泥の感想・評価

4.6
なんか3回目観たので頑張って書きました。

https://note.com/moviecheerkyoto/n/nbbf2e9feb665
シェルタリングスカイの素晴らしさについて長考してしまい集中できなかった 画に迫力なさすぎんだろ
Dick

Dickの感想・評価

2.5
●本作は、初監督作『イージー・ライダー(1969米)』で一躍時代の寵児となったデニス・ホッパーが、最終編集権を含む完全なクリエイティヴの自由を得て、念願の企画を映画化した渾身の監督第2作。編集作業が1年に渡り、1971年のヴェネチア国際映画祭で好評を博したものの、難解な内容と前衛的な構成に困惑したユニヴァーサルのトップの再編集指示をホッパーが拒絶したので、短期間での公開後、蔵入りとなった。この騒動でハリウッドから干されたホッパーは、映画監督としてはその後約10年間の空白期間を迎える(cinemacafe.net)。
❶相性:消化不良。
➋デニス・ホッパーには申し訳ないが、彼の一人善がりとしか思えない。難解な内容と前衛的な構成に困惑したユニヴァーサルのトップの気持ちがよく分かる。

■原題「The Last Movie/最後の映画」
reephan

reephanの感想・評価

3.0
もうほんとに全然わからなかった!
なんだけど、竹細工みたいなものでつくられた映画機材とか土着的な儀式のような文明の進歩のような何がなんだか感は面白いなぁと思った。
おっぱいから出る汁なに!何回もやってくれてありがとう!
『デニスホッパーのサイケデリックなマルチバースで洗礼を受ける。』

ハリウッド業界で異端を極めたデニスホッパーの幻の監督第二作目。
彼はアメリカンニューシネマの象徴"イージーライダー"を創り上げ、二作目の"ラストムービー"もそれに続く世紀の名画になるはずだったが、友人ホドロフスキーの魔術推しアドバイスにより奇々怪々な実験映画へと姿を変えたのだ。
当時のデニスホッパーは、廃人寸前なまでのドラッグライフを送り、業界内でも伝説と化するほどのイカれっぷりであったが、まるでジョーカーさながらの狂気と殺気で、俳優業でも狂った演技を魅せる中、本作では、現実と虚構をトリップしたデニスホッパーの『マルチバース的世界観』を我々も彷徨う羽目になる。
もちろんそんな前衛作品が当時の大衆にウケる訳なく、封印され作家生命も危うくなっていったのだ。

さて、その映画の中身なんですが、まるでアメリカンニューシネマ版フェリーニ、ヤバイやつです。

何がヤバいって、編集がイカれてる。
起承転結をぶっ壊したような実験映画なのだ。


これは、確かに映画会社(ユニバーサル)が怒り心頭したのも納得できる。冒頭ペルーでの現地の儀式か、映画撮影か分からぬ巨大な祭りが映し出され、突如カットインしてくる、荒野を馬で駆ける映像。よく分からない映画関係者の愚痴話なんかが、まるでコラージュムービーのように流れていく。 そしてようやくタイトルが出てからは、ペルーの荒野で、ビリーザキッドの映画撮影を行なっている事がわかる。(この撮影シーンの異様な凄まじさにはビビります)
やがて、撮影も終了しクルーは帰国するが、デニスホッパー演じるスタントマン、カンザスは現地の女性と暮らし始める。
しかし、村人達は、初めて目にする"映画撮影"という祭りに触発され、竹細工のカメラ、マイクを手にスタントもへったくれもない、本物の暴力と破壊で独自の乱痴気騒ぎを続ける。

映画という虚構、言ってみれば『スタント』な創り話をリアルに魅せることで、観客は熱狂するが、本作はスタントマンがハリウッドを離れて、ペルーロケで目にしたのは、映画(スタント)を知らぬ村人の本物の暴力そしてリアル(非映画)がそこには存在した。 本作は実は「映画とは何か?」という根源的な問いを浮かばせるメタフィクションに挑戦しているのだ。

そこには、ドラッグに溺れたデニスホッパーのサイケデリックなリアルが支配する世界に我々は迷い込む。
本作がぶっ飛んでいるのは、それをニューシネマ魂で語った所です。
豪華絢爛なスタジオ撮影に反発し生まれた映画カルチャーであり、外の世界へカメラを運びザラついた映像で映し出す。
ペルーの広大な山脈や、息を呑んでしまうほどの漠々たる荒野に引き摺り込まれそうになりました。

更にミュージカル映画よろしく、前半はエモーショナルな展開で、台詞がほぼなく超ノスタルジーなブルースやウエスタンロックが心象を映し出す。 そして妙にスピリチュアルな自然風景が場面と場面の合間をパッチワークのように縫い合わせ、起承転結をぐちゃぐちゃにシャッフルさせる。

しかし、このカンザスという主人公自体も現実と虚構が分からなくなり、実はトッドフィリップスのジョーカーのように、現実との境界線が曖昧な構造なのです。

デニスホッパー×ドラッグ  アメリカンニューシネマ×映画論  野蛮族×サイケが何重にもグルグルしてる中を彷徨う。
そんな神秘体験にトリップさせられるのだ。
そしてもしも、本作のサントラが存在するなら、ネット上を駆けずり回ってでも手に入れたい。 曲もチョーハマりますので。
ザ・理解不能、映画なんだけど、デニスホッパーの天才っぷりに触れれたような気もして心地良い錯乱を味わえます。
頭がごちゃごちゃして追いついていかなかった。しばらくこの映画について考えてみようと思います(笑)
>|