女という存在を、1人の男がどこまで造形し得るか。
それは情熱というよりも、映画監督としての溝口健二にとって、1つの宿命だったのだろうと思う。たとえば、ジャン=リュック・ゴダール (1930 - 2…
不幸の多重債務って感じ、昔の作品って多かれ少なかれ不幸に不幸を重ねてくるの多いよね。
若い娘を演じるのはだいぶん無理があるけれど、一代記を演じるならこの配役だったんだろうな。
遊郭でお金をばら撒く…
鬱映画の一つだと思う。溝口健二映画の中で一番関西弁なのか標準語なのかどっちつかずな言葉が使われている作品。(東宝で撮られたからやろうか)
大泉ポー。長編かと思ったら1人の人物の中編エピソードを集めた…
容赦がない。
無垢な女を運命と時代と男が、際限なく下へ運び続ける。
次第に、若さ故の美貌も無垢も剥がれ落ちて、そうなってしまったら居場所はもうない。
現代のルッキズムへのアンチテーゼになってる。
…
ひとりの女性の受難史。悲劇的な物語やカタルシスとして包摂することのできない感情を排した冷徹さと慈悲の同居、全編を貫く圧倒的な無常観
カメラは説明することも救うこともせず、ただ流転する生を見続ける、そ…
これまでは、年齢のいった田中絹代を無理やりお姫さまに仕立て上げる作品が多かったゴテ健であるが、本作品では絹代にはじめて汚れ役を演じさせている。溝口健二と田中絹代が単なる映画監督と女優を超えた関係であ…
>>続きを読む溝口健二は「女」を描く映画作家だといわれるが、この表現では不十分だ。彼は「気高い女」の映画を作った。本作にあっては、その「気高い女」とは田中絹代のことである。
上流階級に生まれながら、不幸の連続で街…