女人哀愁の作品情報・感想・評価

「女人哀愁」に投稿された感想・評価

xxx

xxxの感想・評価

3.7
1937年の女性たちに きっと多くの希望を与えたのだと思う。
成瀬巳喜男作品初鑑賞でした。
浮き草

浮き草の感想・評価

3.8
お見合いで幸せになれるの?とこのころから言ってる。ジャズのようなアコースティックギターの音楽で踊る女学生たちがハイカラ。

成瀬は原作があった方がいいかもしれない。これは原作も自分。

人間のなかにはもっと尊いものがあるはずよ。
まるで溝口映画のように、ヒロインは理不尽な要求に耐え続ける。しかし、最後の最後は我慢の限界に達したヒロインの反抗で終わるのは、いかにも成瀬らしい。ヒロインが我慢に我慢を重ねて、最後に怒りを爆発させるこの作品は、メロドラマというより、むしろ任侠映画に近いのでは?笑
浮橋

浮橋の感想・評価

3.0
たか子の嫁ぎ先の家族が、金持ちを鼻にかけていてむかつくのだけれど、末の弟がかわいくて視聴中の心の拠り所とした。いとこ同士の取っ組み合いも微笑ましい。
嫁いだらあんなにこき使われるの!?
入江たか子の目がデカい。怪猫やらされるのもわかる
Masa

Masaの感想・評価

-

このレビューはネタバレを含みます

動き、割り、構図、
無駄なくテンポも良い。
カメラの動きも
たまらない。最高だ。

愛が幸福、とも言い切れない。

美しいものを探していく。
人間にとって、もっと尊いものがあるはず。
カメラが動く動く。
結婚したこと、逮捕されたことの重大事件は写真だけで示される展開の速さにも関わらず、扉の開閉はどのカットにも必ずと言って良いほど律儀に描かれる。
麻雀をしている人々の薄情な声を聞く入江たか子の顔のアップからカメラがパンして閉ざされた襖を映すショットに度肝抜かれた。
harunoma17

harunoma17の感想・評価

4.3

 開始早々からカッティングインアクション(新たな身振りのためのカメ位置、サイズ、構図変えも含めて)、完璧なデクパージュの嵐が吹き荒れ、会話時の移動撮影、ラインの侵犯、繋ぎじゃないショットすらある(この時代の技術的な問題だが、陽光の公園にいる人物たちの抜けは白飛びし、昼間から幻想的な靄が揺曳していく)デクパージュと人物の動かし方、台詞の感じが万田さんの演出を思わせるしどうしたことか。そう、この演出が理想であり、映画教育の正解、つまり然るべきスタッフと然るべきプロの俳優がいれば完璧な演出が文字通り映画に活かされるのだから、金も俳優もいない場所で演出のみ(演出家のみ)を声高に唱える現代の零細企業の詐欺紛いの映画教育は、すぐにやめるべし。オーケストラのいない指揮者一人だけの頭でっかちの舞台で映画は奏でられない。

 入江たか子は、数本しか観たことがないけど、瓜実顔の山田五十鈴、鼻声は高峰秀子、今回はあくまでダウナー版の山本富士子のような瞳、のような印象を受けた。成瀬の男たちの顔は、あるいは人物のあり方は基本的に気持ち悪いと受け取ってしまう。豊満でとぼけた加山雄三と仲代達矢以外もしかしたら好きではないかも知れない...。わたしは基本的にはかなり明確に溝口派だ(1955年、助監督に勧められて、当時大ヒットしていた『浮雲』を観た後に助監督に言った溝口の言葉はこうだ「成瀬君には金玉がついているんですか」。わたしは溝口の感想に概ねほとんど同意するだろう)小津や溝口のモンタージュ(ワンシーン・ワンカットの長回しであっても溝口の1ショットにはモンタージュが内包している)、人物の情動性に比べると、わたしとしては成瀬はデクパージュであり、変態長距離ランナーである。

 いつバーストするかと思っていたら、ちゃんと手紙に爆発と書いてある律儀さ。無神経で無意識的な横暴さを示す普通の家庭のクズたちを、いつ一家全員を殺戮するものかと楽しみにしていたが、成瀬の映画にそんなことはあるはずもなく、74分であっても長距離で落ち着かなかった(であるからこそ、ある観客にそう思わせる意味で作劇は完全に成功している、同じような意味では濱口もまたわたしには焦ったい変態長距離ランナーだ、この人たちは物語を受容する側ではMなのだろう)子どもたちがメインのシュールなギャグには救われた。ここにもナンセンス万田な感じがしたのだが。

 義父義母に及ばず、高校生の娘にも、小学生の男の子にも、用を言いつけられ女中のように働く、夫には物静かで従順な人形のように扱われる。ある夜、家族全員の要求に応えていく和服姿の入江たか子は、目まぐるしく家の中を移動し、迷路のような左右の襖や廊下の障子の、あらゆる引き戸の出入りの彼女の身振りによって日本家屋を迷宮へ変貌させ、玄関でもどこでも、あらゆる場所に現れる入江たか子の忙しない運動とスピードは、スクリューボール・コメディのようでもあり、入江の戸惑いを感受しつつも、反復する運動と扉による空間のダイナミックなあり方は痛快だった。反対に権力構造が反転する後半の大舞台では襖を開けた居間の二間と奥の廊下と玄関まで使い、強力な縦構図で切り返し、あるいはトラックアップを用いて、究極にスマートな闘いを演出する。一人黙って暗がりに座り込み、この世界の不条理な受難に向かい合う凛々しさすらある哀しい表情(声の聞こえない欷歔が彼女の顔全体にみなぎっていた)も素晴らしかったが、下向き加減の顔に、冷たいスノーホワイトのような不穏で不気味ともとれる最上の笑みをきめる入江たか子の男への応答が、この映画の頂点のバーストであった。それにしても、な、長い...。

成瀬のトライアスロンは苛烈である。3つの夜の背中で終えてもいいものを、後日、やはり靄がかった巨大な都市の天上に立つ晴れ晴れとした入江の顔を、確信を持った人生への態度表明の科白とともに、ゆっくりとキャメラは、彼女を中心に回り込み、至高の光を受け取るかのようなその彼女の瞳の輝きをとらえるべく、ささやかに仰ぎ見るように正面の顔がこうして現れ、長い旅は終わり、そして続くだろう、いま現在の東京でも成瀬のトライアスロンは、いや、その闘いは継続中だ。
嫁ぎ先の家はモダンな洋室付き日本家屋で、旦那はエリート、向こうの両親も元気、カツオそのものの義弟もかわいいし、こんな専業主婦うらやましいんですけど。途中出てきたタイすき鍋みたいなのなんなのだ、ハイカラすぎる。嫁入り前は賢くうまくやりますわって言ってた割には見切り早!賢くってそういう意味か。入江たか子のでかいカラコンみたいな目に恐怖を感じる。フェミ通り越して全員極端で面白い。80年前のモダンと古いが錯綜し混乱してしまう。最後の決意表明はすごいストレートに清々しく、晴々とした気持ちで映画館を出た。
か

かの感想・評価

4.1
これもすごい。

成瀬作品の中では古めなので、音声があまり良くなく、編集のテンポも少しつんのめってるように感じた。

だが、内容がすごい。ストイックで、非情でそしてユーモラス。ややサイレント映画的な作劇、人物造形である。つまり「皆が皆極端でプッツンしている」。

この映画も日本の婚姻文化と伝統建築の声筒抜けっぷりを示していて、「個人とは何か?」を提示しているように思える。

良いところの息子と結婚した主人公は、その家族全員に小間使いのように扱われる話です。で、そのうちついに反逆して個人として意見を言って離縁する話。最後に独り立ちしようとする女性の気高いクロースシャット&回り込みトラックインで終わる。

すラスト、空に向かって主人公が意思表明をするのだが、演技としてはいかにもセリフ言ってる感じなのだが、それがとてもしっくりくる。もう一度見たい作品。ソフト化求む。
>|