人も畑も生活様式も、そして撮影技術も何もかもが移ろっていく。諸行無常を感じながらも、より『阿賀に生きる』への愛着が芽生えた。前作から10年が経ち、ほとんどの出演者が亡くなってしまった中、白く小さくな…
>>続きを読むまだ微かに息をしている阿賀。これが2002年なら、真さんと同時に静かに息を引き取ってしまわれたのではと想像したり...
アホがカラスと坊主を間違えたという微笑ましい昔話。おじいちゃん、ちょっと聞き…
「阿賀に生きる」とは
明らかに異なるベクトルで
制作されていて正直こちらの方が好き。
阿賀を通した映画という記憶についての考察。
冒頭から車窓カメラと声という
この監督独特の映像言語でアガる。
この…
阿賀に生きたことのある人にしか伝わらない域に達していて、散漫な映画、というよりもうこの散漫な目線しかこの場所にあるいはこの映画に対して佐藤真は注ぎようがないのだと実感する ヤカンを焚べる囲炉裏が加藤…
>>続きを読む被写体の「芝居」を段取り、曇りガラス越しに光を操るドキュメンタリーの作為は、思いもかけぬ真実を捉えもする。それはすなわち、仏間に向けられたショットが収める陽の傾きであり、その慎ましい光の変化が人為に…
>>続きを読む水俣病が一切現れないこのドキュメンタリーは、ひたすらに日々の生活を撮り続ける映画だった。雑草の目線に合わせたり、家の素材を舐めるように見たり、カメラ位置の高さを意図的に変えること、また、映像と音声が…
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