萌の朱雀の作品情報・感想・評価

「萌の朱雀」に投稿された感想・評価

miyagi

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4.2
静謐。
家族としての共同体内の関係性が解き明かされるためのセリフがほぼない。
そんな中でも人間のコミュニケーションの根源はおはようや行ってきますの挨拶にあると知らしめる。
なんだか見ちゃいけない関係性を覗いている気分にさせられる。
ようやく尾野真千子が心情を吐露した後の、屋根の上でのアドリブっぽいやり取りが白眉。
別れ際にちょうどすぎるタイミングで涙する人々はどうやって演出されたのだろう。
Takuto

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3.4
映画史上最大音量が一番小さい映画なんじゃないかってくらい静かな映画だった。
蝉の声が一番大きかったまである。

悲しい出来事があった家庭と対照的に、笑顔ばかりが切り取られる村の住民のカットが謎だった。

神村泰代さんの纏う空気感がたまらなかった。
カロン

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3.9
普遍的なものを作品の中に見つけたときに、いいな、と思う気がするのだけど。ただ普遍的なだけでも、いいな、と思わないか、と最近思う。「普遍」に内包される異質さ、異質さに内包される普遍性、それらのギャップを楽しんでいるのかもしれない。この作品に限った感想ではないが、山奥の集落(自分にとっては異質)と家族(自分にとっては普遍的)とかの関係性を考えていて思い当たった。

もがりの森が再生と救いを積極的に描いていたのに比べて、どちらかというと喪失や離散、没落の印象を強く受けた。しかしその没落は、決して絶望的な不幸というわけではないのだろう。村人たちをフィルムに収めたショットは最高。
もがりの森のいくつかのシーンでハッとなる体験をしてからこの作品も観なければと思っていたが、ハッとなるシーンはなかった。かと言ってつまらなくはなかった。美しさ、とかよりは、繊細なものを掬い取ろうとした、情緒的な映画なのかな。
集落の中の一家族にスポットライトを当てているので観やすいのだが、関係性が最初分かりにくかった。まあ状況説明的な要素とトレードオフな気もするのでしょうがないかも。そして自然や水の美しさ、音はずっと変わらない。自分が、環境音が好きなのかもしれない、と少し思った。

有名な人の撮影らしい。カメラワークがすごいのはなんとなく分かるのだが、どうすごいのかは知識不足か全くわからん。
尾野真千子かわいい。中学生くらい?
miyazaki

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2.5
これもカンヌ漁る過程で観た映画の1つ

高校2年生のクソガキには難しかった・・・
☑️『萌えの朱雀』及び『小さな大きさ』『たったひとりの家族』『につつまれて』『かたつもり』『きゃからばあ』等▶️▶️
河瀬直美は、ラッキーガールなのだろうか。大方の人と同じく、25年以上前になるのか、アテネフランセでの作家特集が最初で、まぁまぁ位の印象で、8ミリと出自・風土へのこだわり(サイレント・顔と自然・ハイキーやスロー変移、カメラに先行して触れ来る指、重ねと近づき、自分史と周り)は、一見似ててもハイブロウを気取る手法剽窃・自己憐愍のかわなかのぶひろ等より、はるかに誠実・真摯だが、どちらかというと線が細い印象だった。が、伝説的な田村や仙頭・尾野との出会いをバネに、一気にカンヌを賑わせる国際的ビッグ・ネームに。が、個人的には平凡な名のままで、チョコチョコとしか観ていない。フィクションでの圧倒的な地方の空気の存在感とその滅びに誠実な住民、寡黙で徒花も美しい行動力を示す人間。また、ドキュメンタリーのほうは、ベタベタも越える露悪趣味くらいに自己探しに観客も強引に引き込む面が。(ジャンル的に時に交錯してても)その折り合いがよくわからなかった。しかし、今回、『きゃからばあ』という21Cに入ってからの作を初めて目にして、(離れている)肉親と自己正当性主張し合い、日陰の社会から見返りや評価のない真の表現を問う、自己の肉体も急な脚光で失った正体を埋めるに差し出す、乱暴容赦なくも、逃げも隠れもしない世界観の物質的顕在押しまくり、でもどこかで自分への甘さ・弱さも認めてる正直さがある(作品以前のプライベートな部分も25年前は特殊例として聞き流していたが、今は作家を特異に・血縁を超越した生命力の権化?としたものとして、伝わってくる。健在も養育を拒否・その他自分の人生の選択に恥じるを感じない実母、記憶にないくらい前に出ていって成人後まで音沙汰ない実父は、今は別の家庭持ち、元々ヤクザの道の人。養[父]母は、実の祖母、母の母ではなく、実子がない大伯母にあたるのか、独自の距離と近しさがある。)。作品自体にはあまり感心しなくも(決して悪くはない。)、ずっと気になってた、国際舞台でのこの人の自信・見栄えのよさ。他の日本人監督らの、よく言えば虚心、悪く言えば卑屈は、全くこの人には見られない。そのもっとナチュラルな堂々さが結びついた。何かにのっかり、自分を大きく見せようなんて事とは無縁で、自己の直につながる世界だけを信じきり、愛し探りに撤し、臆するところがない、ある面厚顔無恥かも。
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公開時以来の本作を観て、台詞の意味や状況の切迫度も、いまいちピンと来なくも押し通す、それはアマチュアリズムを手離さぬつましさ・節度と以前は思った気もしたが、広い世界・自然への素直な敬意のかたちで、自己のうちは決して醒めた・落ち着いたわけでもないものが持続している、そのリズム・スタンスが貫徹されてるのだ。ただし、河瀬自身の持つ叙述のスタイル・進行形は、才気をかなり欠く、アングル・位置取り・変えはありきたりで平板で厚みを欠く、映画学校出の弱点か。しかし、田村のカメラがスッと幅を決定的に拡げてく。16ミリで撮ったのであろう、粒子・諧調・エッジにそれほど力・余裕はなくも、その自然・光と一体化した色合いやトーン、人工照明の排除の厳かさ、カメラワークや構図の抑制も恐るべき高度さ、自然の偉力の呼び込み・作りだしはは、作品にから、ギスギス感を外すことに成功して、作品をいい意味でミステリアスにしている。田村カメラマンについては、小川プロとセットで捉えて当初は、その美的センスを十分に理解していなかった(少し考えるとドキュメンタリー映画史上の最高作の1本『辺田部落』の美しさ・磁力の尋常なさを始め驚いてたのだが)が、70年代半ばから商業映画にも進出、黒木・柳町作品辺りではっきり認知させ、凡庸な伊丹十でも、唯一の秀作『タンポポ』をものさせてる。
変な言い方だが、河瀬の作品にはあまり興味はないが、河瀬という人・作家のあり方・成立ちには興味がある。
tulpen

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3.0
奈良の村山の風景は本当に美しかった。

でも、あたしはこの監督はやっぱり苦手だ。



静岡市サールナートホールにて。
1998年4月1日 20本目。
光の表現、シーンの切り取り方が匠
そしてこの尾野真千子かわいい
純粋に映像が綺麗。
同じ森でも山奥でも、熊野とも山陰とも違う吉野にしかない温度湿度みたいなものを感じる。
観てるだけでその場所に連れて行かれそう。
森の緑が美しいのは言わずもがなで、その他の色合いも全部、計算されてない自然な均衡が整っている。
俳優さんたちはみんな、せりふで語らない表情や佇まいの演技で作品を作っている。
とても有機的で美しい。技巧を凝らした感がないのにとても文学的。
ノベライズも読みたい。
misaki

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4.3
尾野真千子が茶目っ気あって可愛い。

生と死の混在する河瀬映画の空気感、そしてどこか欠けているようでいて綺麗にまとまってる

生で河瀬監督みれてトークを聞けて幸せだった...。
河瀬監督は実在する生身の人間なんやと実感できた貴重な時間だった...,
台詞がないことがとても素晴らしい。台詞なしで物語を構成するショットの説話能力と、つなぎの文体の安定感と、カメラの禁欲と。すごい。欧州人が好きそうな整い方。マイク・リー的な演出手法でも芝居映画にならないのは、集落と自然と、拝啓部分が主題だからか。やや説教くさい
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