昭和残侠伝 死んで貰いますの作品情報・感想・評価・動画配信

「昭和残侠伝 死んで貰います」に投稿された感想・評価

マキノのイメージといえば『鴛鴦歌合戦』である私にとっては、のっぺりしたテンポ感に些かビックリしてしまったが、傑作であることに間違いはない。雨が非常に美しい。
kuronori

kuronoriの感想・評価

4.0
「…死んで貰うぜ。」

東映任俠映画を初めて観た分際で言うのもなんですが、…いいと思います(笑)。

ヤクザ映画は「仁義なき戦い」から「実録」といわれる、実際に起こった事件をモデルにしたリアルなヤクザ世界を描くスタイルに変わったわけですが、本シリーズは、その一つ前の世代の「任侠もの」とよばれるヤクザ映画の代表です。
本作は、そんな昭和残侠伝シリーズの第7作。シリーズ最高傑作の呼び声高いと聞き、典型的な任侠映画ってどんなものかと観てみました。

任侠もののストーリーを乱暴にまとめると…
主人公の属す「いいヤクザ」とそれに対抗する「悪いヤクザ」がいて、「悪いヤクザ」は色々と仕掛けてくるわけですが、主人公は耐え忍ぶわけですね。最終的に主人公の大切な人に危害が及ぶに至り、遂に堪忍袋の緒が切れた主人公は、着流しの着物に長脇差(ながどす)をぶら下げて殴り込みに向かいます。もろ肌脱いで背中の彫り物もあらわに、ぶっ殺して終わり…という感じです。

このようにパターン化された中で、作の良否を決めるのは、第一に最後の立ち回りにどうやって観客の共感をもってくるかと言う点にあると思います。
その為には、その立ち回りの動機となる「主人公の失うもの」の大切さをどう描き、観客に納得させるかが重要です。
つまり、そこまでに積み上げてくる主人公の生き様、それに絡む人々との情の細やかさを描く部分に魅力が無ければ駄目なわけです。
本作は、そこのところが見事に出来ています。
監督はマキノ雅弘(旧、正博)。
時代劇映画のメッカ、マキノプロダクションの御曹司。数々の時代劇の傑作をものにし、任侠ものでも大きな実績を残しています。
こういった日本情緒のある、人情を隠し抱いた人々を描くのが非常に上手い人だと思います。若い頃、メッチャ遊んだんだろうなぁ(笑)。

「おどる」とは、監督が自ら演技をやってみせることをいうのだそうです。マキノ出身の監督は「おどれる」人がほとんどだったそうで、中でもマキノ雅弘監督は女優の演技まで器用に「おどって」みせたとか。いわれてみれば、マキノ雅弘監督作品に出てくる女性はみんな魅力的で、底の方になんとなく共通した風情を持っているような気がするのは、そのせいでしょうか。
繰り返しますが(笑)、若い頃にメッチャ遊んで知った風情を、映画のサラブレッドが、どうすれば再現できるかを理論化してモノにしてるのだと思います。

冒頭から魅せられます。そぼ降る雨の中、大きなイチョウの木の下で繰り広げられる、ちょっと舞台芝居のようなやり取り。残された大徳利と傘。
何ということのないその数分のやり取りが、互いの心の中に何年も何年も残っていく。
夫の連れ子をかばう後妻。
堅気になろうとする主人公を、その父親から受けた恩を返すために影になり日向になり支える流れ者。
全てを心得た上で、見守る親分。
主要登場人物がみな、表に出さずに互いを思い合っている世界を、雰囲気をもって構築出来ていると思います。

私的には満足のいくものでした。
シナチQ

シナチQの感想・評価

4.8
出汁巻き卵作る健さんの板前姿クッソ似合う!重吉さんとの関係もメチャええな〜男の自分でも惚れぼれする!重吉サンも殴り込みの時は短刀でなく長刀持ってこうぜ!「死んで貰うぜ…」も聞けて大満足。
1970年のマキノ雅弘監督作品。
高倉健と池部良の美しき兄弟分にうっとりする。様式美にのっとった切ないラストが胸にしみる感動を最高のものにしてくれる。藤純子が『緋牡丹博徒』とは180度違う、うぶな演技をしてたのが印象的。長門裕之・津川雅彦兄弟が出てたのも乙だね。

あと、当時10歳の真田広之が高倉健と共演していたのには驚いた。
てつじ

てつじの感想・評価

4.3
雨宿りの大銀杏の樹の下。一本の酒徳利と番傘で、男と女の出会いを流麗で叙情的な名シーンとして刻みつける。その柔らかさが、雄渾なクライマックスと対比して、一気になだれ込む熱量との強弱を生み、シリーズ屈指の出来栄えになっている。傑作!
半兵衛

半兵衛の感想・評価

4.0
製作当時にみんなが見たがっていた任侠映画の形やパターンをそのままに、それを徹底的に美しく昇華した名作。何一つ意外なことは起きないのに、心地よく映画に身を委ねることが出来る。

カッコいい男を具現化した高倉健、美しい日本美人を体現した藤純子、一歩間違えればマンネリになりそうなところをマキノ流の古典や風俗から受け継がれた所作によって一流の美術品を見ているような気になる。

でもこの映画のMVPは山本麟一、新派から飛び出したかのような屈折した悪役キャラを見事に演じ、映画に厚みを加えている。
「イノセンス」でバトーが素子をインストールした裸の義体に無言で上着を着せてやっていたが、この映画のラストの男女逆バージョンをやっていたのか。
出会いは銀杏の大木だったが、死と結びつくということかどうか知らないが、遥かに柳を映すことの方が重んじられているようだった。
藤純子が高倉健を泊めてくれるよう頼みに行くのに傘を置いて行ってしまうが、銀杏で雨宿りはできている。まさか戻って来たら、もういなかったという絵のために酒瓶だけじゃ不足とでも言うのか。
店の権利書は仏壇の引き出しです、遺影を見てよく考えなさい、と言われておいて即持ってくのが最高に可笑しくて、高倉&藤純子デートがあっても、この後ろくなことにならないことが分かって見なきゃいけない。
寺田の親分、襲われてる合間に、目の前で名乗られてびっくりしただろうに。どうしても、刺されてしまうな。
殴り込みでドアを開けてくれる人は、どうしたってアクションの起点のために勢いよく斬られてしまうのだから気の毒だ。
「バカだな俺は」
「バカが好きよ」
言われたい。藤純子に言われたい。しかし高倉健はいつ観ても一切ブレず高倉健ですごい。今回も不器用と人情を突き通している。あのだし巻き卵はスタッフで美味しく頂いたのかな。
昭和残侠伝シリーズの中でも名高い7作目。マキノ雅弘監督ということで観。相変わらず任侠映画は歯痒いがこの融通のきかない実直さがいいんだろうか…。高倉健や鶴田浩二の任侠もの観るたびにヤクザに向いてない、としぬほど野暮な事を思ってしまうので多分任侠映画向いてない。
シネスコの空間使いとイチョウの木の舞台装置と柳の木の絵画的役割がよかった。殴り込みの長ドスの風切り音の鋭さ。お縄で締めるのは正直ダサい気が…
koyamax

koyamaxの感想・評価

-
7作目。

訳あって渡世に身を沈める秀次郎(健さん)。
時は流れて、心ある人々に支えられ堅気でやり直すのですが、過去の因縁もあり、新興やくざにより、今いる場所、そして義理と恩義を抱いていた人々が犠牲に。。
執拗な挑発に耐えに耐え続けてきた秀次郎がついに動き出す。という話。。

彼の心の中枢にあるのが、「義理」や「仁義」となります。ただ、こうした単語を使うと、どうしても様式的になっていまいますが、、。

旧時代的価値観になりつつありますが、、心に秘めた想い抱き、大事な人のために現状に耐える。。(昨今のハラスメント問題等と別にしても!)そんな姿に心動かされるのはなぜだろうとの思いがあったことが鑑賞したきっかけ。。

一般論ではないとおもいますが、、個人的に感じる日本人の内省的な世界観そのものと思われる展開でした。

昔の日本映画は展開にカタルシスを与えるものより、ある状況下における心情、やるせなさの描写を重きをおいて同じような想いを抱く人々の溜飲を下げること自体に存在理由があるものが多い気がします(気がするだけです(^^;)

今作も、そのあたりに力点を注いでいると思います。

「謙虚さと慇懃さは他者への配慮から生まれる」それを体現するのが健さんの役どころ。
健さん演じる秀次郎は表面的には、外れ者ですが、命を懸けて守るものが彼の道理にあります。ですが、彼の感情が全面に出ることはありません。
この男の真実の心を知っているのは、我々観客しかいない。

多くを語らない姿勢の裏には、自分自身の悲しみや苦痛を表すことで、他人の楽しみや苦しみを邪魔しないようにするいういじましさを感じました。

加えて、秀逸だと思えたのは、想いを一人噛みしめ生きる秀次郎の、すべて汲み取り見守る男、池部良演じる重吉の存在です。
観客自身の気持ちの代弁者的存在がいることによって、もう一つ上の視点からの慈愛の気持ちを感じ取れます。

優しい感情とは他者の苦しみを思いやる心といっていいとおもいますが、
この重吉の存在により仁義よりも深い「想い」が浮き彫りになります。
ここで描かれるのは、一言でいえば「思いやり」。

定番となっている二人無言で死地へ赴くこの流れに宿る想いは、
秀次郎(健さん)自身の想い。秀次郎の想いに慈愛の重吉。そんな重吉すらも慈愛の心でも包み込んで見守りたいという観客側の想いと、、。
全部汲み取ることになるわけで、想いにつぐ想い、さらに想い。と、どれだけ想えばいいんだというくらい笑
想いまくりの相互作用として展開されます。

「他人への配慮を考えた上で、感情を体で表したもの」
それが全編炸裂しています。ここで描くものを「究極のおもいやり」としてもいいのかなとおもいました(^^;
健さんの死んで貰いますの台詞はまんま伝説的ですね。
料理をしてる健さんさまになる。でも、背中には大きな仁義を乗っけてる。背中で語る男。
>|