可愛らしいCGでCGとかヴィデオアート黎明期に撮られた、ジュラシックパークは1993年なので、3年後にフランス映画で、コンピュータをおちょくる映画が公開されたというのも反応が早いと思った。
印象に…
メディアやデータこそ記憶か? それとも集積の限界か? 戦争映画に匂いがあれば、誰も見ることはないだろう……
ラストの、こちらに語り続けるカトリーヌベルコジャが局所化されぼやけ曖昧になっていくところは…
いきなりギブスンへの言及もあるが、あまりにも『攻殻機動隊』でビビる。もしかしてクリス・マルケルは観てるのか? 彼岸に渡ってしまったパートナーの幻影をヴァーチャルに追いもとめる押井守的なストーリーライ…
>>続きを読む戦争ドキュメンタリーかーーーー
ローラの言ってるコト理解できずに詩だと暗示をかける思考停止の時間多すぎた
眠りの世界と映画の行き来のせいで夢みたいな時間だった、きょうの夜悪夢見そう
カメラを見つけて…
今日を逃すと、もう二度とスクリーンで観るという千載一遇のチャンスはなかろうという危機感から、十何年ぶりかのアテネ・フランセ文化センターへ参上。
アテネは私がフランス語を始めた母校なので本当に懐かし…
お互いの痛みが絶対的に分かり合えない、2進演算でできたコンピュータ操作も対話でありhow to xxxx ワカリマセーンが似ている。記憶を頼りに対象を対自化することで表象不可能なレベル5へ肉薄せんと…
>>続きを読むゲームの世界で繰り広げられる沖縄戦の再考。
時の流れとともに加速する集団的忘却とそれに伴う無関心。さらに行われる恣意的な情報操作による歴史の改竄、記憶の誤植。それに対する怒りは観客を能動的詮索へと向…
『クローン・オブ・エイダ』の様な物を想定して行ったら何やら珍妙な作品だったが、記憶へのアクセスとその再構築(あちらはクローンだけど)の点では類似性が見受けられた(勿論こっちが先だけど)。日本人の意識…
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