トイレのピエタの作品情報・感想・評価・動画配信

「トイレのピエタ」に投稿された感想・評価

theocats

theocatsの感想・評価

2.6
無名の知らない俳優なんだとあまり気にも留めなかったが、バンドのボーカルなんだね。。
彼でなければならない必然性は何とも言えないが悪いということもなく、タイアップ的なBGMなしに淡々と進行し、エンドロールで彼の熱唱という締めは良かったんじゃないかな。

暴言無遠慮なアホ女子高生:杉咲花にはかなりムカついたが、負の感情体験であっても彼女なしでは何の感情的起伏もなく終わってしまっただろうから、その意味では感謝。

トイレのピエタというタイトルがどうでもよくなったラストに「トイレに壁画」という場面で熱が少しだけこもったと言える。

まあまあ良かったですよ。
プールのシーンが綺麗だった。高校生のときに見て本気でプールに侵入しようとしたりしたけど、結局それが皆んな出来ないって分かってるから映画で消化していたと思う
いち麦

いち麦の感想・評価

4.0
演技の上手い脇のキャスト勢に支えられ感情が死んだような園田がくっきり浮き上がって見えた。彼が絵を描く欲求に駆られるタイミングは別にも幾つかあった様に見えた。生き物を使ったシーケンスが余りに絶望的でそこは残念。
ピエタ : キリストの亡骸を抱く聖母像
なぜ聖母は笑顔を浮かべて我が子の死を見つめていられるのだろう…?
…………
余命3ヶ月の宣告を受けた美大卒青年
RADWIMPS野田洋次郎が、今にも消えそうな生命感
家事と介護で日々を押しつぶされた女子高生
杉咲花は小さくて力強く口が悪い生命力の塊
好対照な二人はまるで、お互いの片割れのよう

[人は何で生きてるんだろう?]
キリスト教の教義は知らないけれど、人は喜びを感じるために生きていると思う
何かを創造する[表現の喜び]
誰かと共に過ごす[共感の喜び]
全てを捧げる[献身の喜び]

[浄化と昇天]
手塚治虫先生最後の日記から着想した物語だったんですね
淡々と力強く、美しいメッセージでした

[前前前世]と[でんでん太鼓]の違いもよく分かってないような私にRADWIMPSの素晴らしさを教えてくれたフォロワー様に感謝🙏✨
にっしーさんいつも有難うございます🙏
名曲[ピクニック]に感動です!

〜僕らは奇跡にも及ばない光〜

このレビューはネタバレを含みます

洋次郎イケボすぎ、学校のプールで金魚と泳ぐシーン好き、ピクニックの入り方完璧すぎて鳥肌が立った。杉咲花は演技が上手いなぁー
洋次郎が最後に言った『僕生きてますよ今』ってセリフには色んな意味が込められてるんだろうな
寅

寅の感想・評価

2.8
半年くらい前に鑑賞。
私にはあんまり合わなかったことを覚えてる。
杉咲花さんとリリーフランキーさんの演技は本当にすばらしい。

このレビューはネタバレを含みます

余命3ヶ月の画家になることを諦めた青年・園田宏(野田洋次郎さん)と女子高生・真衣(杉咲花さん)の少し変わった交流。と、周りの人達の物語。

荒い息遣いが何度も出てきてそれぞれが印象的だった。
それが生きているということなのかなとも思いました。生きている=呼吸をしているということ。宏が亡くなった後、隣のベットにいた前田さん(リリーフランキーさん)に連れて来られてトイレを見た真衣の息遣いが荒くなったところで、宏が死んでしまったことを強く感じました。あのシーンは単純に宏が亡くなってしまった悲しみと、真衣自身が生きる希望を見出せていない状況なのに自分は生きていてまだ生きるべき生命が失われてしまったことへの怒りが混ざっており、より一層深い物語を展開されていました。

真衣もやり場のない気持ちや自分を抑え込んで我慢しているが、感情を露わにする場面も多くすごく揺れ動いてる子であった。高校生という色々悩んだり考えたりする時期である真衣自身の今までの過去や背景を杉咲花さんは汲み取り演技をされていた。
真衣と宏、不思議な関係性ではあったがしっくりきました。死にたくて死ぬわけじゃない、まだ生きたい、生きてるのにもうすぐ死ぬ、死にたいのに死ねない、生きることも死ぬこともできない、入院と退院を繰り返す生活。その中でも人との出会いがありそこから新たな希望や絶望が生まれる。

タイトルの"トイレの"の意味。手塚治虫さんの本編でも語られ日記にもあったトイレにこだわる理由は"浄化と昇天"。意味を掘り下げると、トイレは排泄以外の目的で行く人がほとんど居ない汚いイメージの場所であるが人間が生きていく上で絶対に欠かせない場所であり、排泄物を水に流して体と心を浄化する。そしてそれが死と重なることで死を特別なものではなく排泄と同じ日常の一環だと示したかったのだろう。その証拠に絵を描いて息を引き取った宏の表情は一片の曇りも感じられない爽やかなものであった。二つ目に宏自身が画家志望でありながら癌によってその夢を断たれてしまったという経緯があり、だから彼は何としてでも画家として生きることにこだわり、何とか形にして認めさせたかったのであろう。その証拠に彼は柄にもなく商店街の窓拭きをしたり、病気で苦しむ拓人という子どもの為に絵描きまで行う。彼が一番恐れたことは死と共に自分の存在が消えて忘れ去られてしまうことだったとも読み取れる。こういう紆余曲折があったからこそトイレに描くことにこだわったのではないだろうか。

黒澤明監督の名作映画『生きる』にて名優・志村喬が演じる主人公・渡邊勘治と同じ胃がんに本作の主人公・園田宏が罹ったことからも分かるように、『トイレのピエタ』もまた、「生きる意味とは何か」をひた向きに問い続ける作品だと僕は思います。

主要な登場人物たちは、その殆どが自身の人生について、より正確に言えば"生"の問題に直面していく。余命宣告を受けた宏、わがままなど許されない家庭環境で暮らし、生きることへの疑問を痛烈に抱いている真衣をはじめ、"仕事"という生きる指標をあっけなく失った横田、幼くして病に罹り"元の生活"へ戻ることを希望し神に祈る拓人、息子である彼を失ったことでこれからの自身の生について嘆く母親などがそうである。そして生の問題ともに語られるのが"必要"という言葉だ。それが特に顕著なのが、横田の放った「そもそも人間なんてさ、この地球上に必要ないんだよね」という台詞。しかしながら、それが答えではないことを終盤における宏の行動が示しくれている気がする。宏は死ぬ間際までタイトルにもなっている通り、トイレのピエタを描き続ける。すでに亡くなってしまった拓人のために、依頼してきた彼の母親のために。あるいはこれから死ぬ自分のために、これから生きる真衣のために。

たとえ絵画というものや、それに縛られる自身が世界にとって必要な存在でなかったとしても、それでも"必要"を見出し生きようとする。そして宏が体現した1つの答えにも、真衣はムカつくと怒り、哀しみ、悔しがる。

それが"答え"ではないと訴える。
唯一無二の"答え"を提示するのではなく、あくまで「“生きる”ってなんだよ」と叫び続けます。「“生きる”ってなんだよ」とは、誰もが一度は抱いた疑問の言葉であり叫びの言葉であると思うが、それを二度と思い出さないように、目を瞑り、口を覆い、耳を塞ぐ人がこの世の中の大半である。そうやって逃避する人々に、真衣のごとく「ふざんけんな」という激情をぶつけ、生きる意味について再考させてくれるのが本作のコンセプトであると思います。
人間臭さをすごい感じた話だった。余命宣告をいきなり受けた人に無神経なことを言いながらも温かく包む感じがほっこりした。死にたいのに死ねないのは少なからず生きたい思いがあるから。生きるのに理由は必要ないけどその日その日にある意味を見つけて生きていがなくてはならないと感じた。
死を悟ったとき、求める生と死の狭間の思い
孤独の中で触れたもがく生への魅力
Chihiro

Chihiroの感想・評価

2.0
うーーーーーーーん、、、、
合わなかった、、、

俳優陣は豪華、豪華すぎるほどに豪華。
でもなあー、なぜ野田洋次郎をキャスティングしたのだろうか、本当に、野田洋次郎のPVでした。
たくまくんの絵を、描いてほしかったし、死にたいという杉咲花の死ねない姿、死なない姿に本当は生きたいという声も聞こえて来て、全てにおいてうーーーむ、、、となる映画でした。

わたしには合わなかった。
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