春なれやの作品情報・感想・評価

「春なれや」に投稿された感想・評価

添島

添島の感想・評価

3.6
品のいい吉行和子さんの顔と居心地悪そうな虹郎くんの顔がただ好き。っていうか吉行さんのお兄様吉行淳之介なのですねびっくりした。

若者と老女、好きなモチーフ。
外山文治監督の3つの短編集の1つ

桜が好きなのでこの映画も好きです。

「染井吉野は60年経ったら咲くことができないって。」

実際60年以上咲き続けてる染井吉野ありますからねぇ。

「枯れてるって知るより、咲いてるって思ってた方が、幸せかもしれない。」

3作品とも、途中…不安で行き詰まるシーンがあるんですけど、必ず誰かがいるんですよね…たまたま知り合った男の子だったり、昔お世話になった監督だったり、自分が介護してる奥さんだったり、そしてその後の一歩踏み出す何かに繋がる。

ていうか桜はやっぱいいなぁ。
kuro

kuroの感想・評価

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桜っていつのまにか満開になっていていつのまにか散っている。きっと60年はそんな感じなのかもしれない。想像できない茫漠な時間がゆっくりと確実に近づいてきて、終わりの時と実感してしまったら、僕は多分大切なものを探しに行ってしまうだろう。
それがあるかもわからない、また不安が生まれて負の連鎖。でもそれって実は簡単に抜け出せて、何かのことをちゃんと考えることが大事なのかもしれない。
春がきて桜が咲いたら、ちゃんと今年も綺麗だなって気づいて、感じれるような。
短編作品集の2番目の作品。
桜の美しく咲いた時に撮影された、本当に美しい作品。
ラストで、少年が、「やはり来年は…」と背中越しに話すところでしみじみ来る。
3作品の中で一番好き。
一編の詩を味わうような感覚。
セロリ

セロリの感想・評価

3.2
ほぼ虹郎くんの雰囲気だけで保ってる感は否めない。キットカットとかに昔よく付いてた、おまけムービーみたいな感じ。
桜って美しいけど儚い。思い出とかも同じ。でもその思い出は桜が咲いていてもなくても確かにそこにある。でも咲いていると思うことが希望になるのならそれで良いんじゃないか。静かに、確実に響くものがあった。村上虹郎くんはこういう風景に馴染みますよね。ただのイケメンじゃない。

このレビューはネタバレを含みます

春なれや 名もなき山の 薄霞

芭蕉、野ざらし紀行の一句。

名もなき山は目の前にあって…
いつもは目にも留めない。

でも、そこに薄霞のように桜が咲いた時…

人はその淡い色に目を留めて…

春の訪れを知る。


「枯れてたら?」


「咲いてたって言います」


永遠には、生きてる人は永遠に届かない。
ほんのひと時、それに触れたような気分になって…思いを揺蕩わせるだけ。

何を想うかは…人それぞれ。

私には見えないものを見てる人もいる。
誰にも見えないものが見えてる時もある。

暖かな陽射しに揺れる桜の花を見上げれば…自ずと視線が上を向いているはず。

それだけでいい。

たった20分が与えてくれる、人生の彩り。
うららかな余韻。


春なれやー

外山文治監督、短編三部作の二作目。
KHinoji

KHinojiの感想・評価

3.1
「春なれや」は松尾芭蕉の俳句からだそうです。
そして、
「宿命も春に及ばず」・・・ 人間はいつか死んでしまうわけで、生きていくことが無意味に感じられてしまうこともあるけど、春の桜咲く日の一瞬に、必ずしもそれだけでは無いことを感じとるのも、また同じ人間である。
約20分弱の短編映画です。
エンディング曲の歌唱は Cocco

こういう映画は見る人のその時の状況によって価値が分かれるかもしれません。今の私には必ずしも必要な映画作品ではありませんが、いつか思い出すときが来るかもしれません。


ps. ソメイヨシノの60年寿命説について
何の手入れもしなければ40-60年くらいで枯れてしまうらしいことからこの説が出てきたようです。なので、60年後に生き生きと咲き続けていられるということは、人間が世代を越えて手入れをしてきたということです。
人が生き続けることを諦めてしまえば、ソメイヨシノも咲き続けることは出来ない。

(2018/9 レンタルDVDにて)
外山文治ショートムービー3部作の2。

雰囲気や作りは1と同じでテーマは「永遠」かな。
60年前に植えた桜をみにいく。
本当に短いですが心になんか響きます。
感動とかそういうのじゃないのですが。

引き続き2も主人公に感情移入できたらいい作品と感じれると思います。
nonzk

nonzkの感想・評価

3.6
この映画を観ていると人間はいくつになっても
"期待"して生きていくのだなぁと思います

期待をするから失望してしまう可能性も
一緒になってやってくるんだけど
期待できない人生なんて色がないし
真相がわからないまま信じ続けるなんて
正直できるような人間でもなさそうで。

これまで生きてきた時間が
多分これからの残された時間より多いのだと
自分自身が何となく感じている時、
僕は何に期待して生きていけるのだろうか

自分の人生の範囲内で
わかることが遥かに多くなっていった時、
僕はそれでも
わからないことに可能性を感じれるのだろうか


これはきっと、僕の願望としてだけど
僕がおじいちゃんになった時

叶わなかった恋心とか、叶えられなかった夢とか
時が経つに連れて、時が経つと同時に
想い出という形として報われたらいいなぁ

あの人の事が大好きだったなぁとか
夢の在り方が少しづつ変わってきた面持ちとか
そんなもうずっと昔の記憶を辿りながらも
春のサクラのピンクと一緒に
想い出として報われることができたらいいのになぁ
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