ダイ・トゥモローの作品情報・感想・評価

「ダイ・トゥモロー」に投稿された感想・評価

卒業式を明日に控え、ホテルではしゃぐ女子学生。
久々の帰省を惜しむように、自分の故郷や家族を愛おしそうにカメラに納める女性。

タイの作品ながら日本でも馴染みのある風景がいくつかのフェイクドキュメンタリーとして作中に繰り広げられる。これらに共通するテーマは一つ。それは「死の前触れ」を捉えているということ。

しかし、死をいたずらに悲観する内容ばかりではなく、死が訪れる直前も、ありふれた日常と変わりなく、穏やかな時間が流れる様子を描くものが多かった。それはきっと、監督が「死は自然現象で、今を生きるその延長線にあるもの」と捉えているからだろう。

確かに、死は決して特別なイベントではないのかもしれない。今作では「世界では1秒に2人が亡くなっている」という統計データが引用されている。

今作を見て発見したのは「人生において死は確かに悲劇だけれど、同時に色んな感情をつれてくる」ということ。

例えば、姉の死をきっかけに「人生で与えられた時間は有限だから、愛する人にはためらわず愛していることを伝えよう」と悟った男性や、同僚の死が原因で憧れだったブランドのイメージキャラクターの仕事を手に入れ戸惑いながらも家族に電話するモデルなど、死を契機に言葉ではなかなか表せない感情が湧き上がる様子を描いている。

日本人は死という話題を避けたがる。
だって死とは穢れだから。でもこの作品を見て、死を見つめる望遠鏡の反対側にはきっと生があるんだろうなと思った。

ーーー「東南アジア映画の巨匠たち」に参加してーーー

監督曰く、この作品がフェイクドキュメンタリーとインタビューを織り交ぜるのは「雑誌のような作品を作りたい」という意図があったからだそう。
センスが良い。
ちょっとお洒落すぎる気もするし、もっと毒があって良い気もするが、今後目を離せないアジアの新世代監督であることは間違いない!
Eriko

Erikoの感想・評価

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絶対に忘れないぞと思ってたのに、時間が経過して忘れかけてたいろんな記憶がぶわぁああっと呼び起こされる不思議な映画でした
Kimura

Kimuraの感想・評価

5.0
2017.12 バンコク
2019.7 東京
ナワポンの大傑作作品。みるべし
クワン

クワンの感想・評価

3.7
「東南アジア映画の巨匠たち」にて有楽町スバル座にて鑑賞。

明日、死ぬとは思わなかった。

明日、死ぬとは気づかなかった。

明日のことは誰にもわからない。

タイの新鋭ナワポン監督が「死」について思い巡らし、少年や104歳になる老人に死の恐れや捉えをインタビューするパートと、明日死ぬとは知らずに過ごす今日のドラマパートで構成される。繋ぐ時は、真っ黒な背景で、実際の死の例を、文字とナレーションで描く。その左上には1秒で2人が亡くなるという世界の今、死に行く人の数がカウントされている。

タイ🇹🇭と日本🇯🇵は死生観が近いのか、すっと入ってくる。死は日常の一部であり、人生最後の1日も日常の中に訪れるという観点。優しい余韻の映画だった。

印象に残ったのは心臓のドナー待ちだが現れず、今年で自分は死ぬと思っている女性とアメリカへの出張前に寄った彼氏との病室でのシーン。

彼女は彼の爪を切る。右手の爪を切り、左手の爪を切り、もういいと言う彼を、私が切りたいの、と足の爪を切ってあげる。

私が死んだら、次の彼女に切ってもらって。

君以外にいないよ。。

2人を並行のパン撮影を行ったり来たりして見せる、静かで切なくとも愛おしい時間。

彼がじゃあ行ってくるよと病室を出る。

ふと、彼女の頬を涙が伝う。

でも観てる私は知っている。翌日に死ぬのは彼の方だったことを。

私が一番死を恐れ、死を考えたのは、5歳の頃だ。

一番年が近かった従兄弟が急死した。

先週、一緒に遊んでた。

翌週、棺で眠っていた。

叔母さんは憔悴仕切っていた。

死という概念を一瞬に理解した。

それから一年、電気を消して眠れなかった。

自分が消滅する恐ろしさがこびりついた。

幼稚園の先生が教室を暗くして軽い怪談話をしたら、耳を塞いでうーっと唸り始めて、まもなく中止になったらしい。

後日、自宅まで謝りに来たと母は言っているが記憶にない。

なぜ、こんな恐ろしいことが待っているのだろう。

なのに、なぜ人は生まれてくるのだろう。

真っ暗な砂の中に吸い込まれ、どこまでも下に落ちていき、沈んでいくような恐怖。

小学校に上がってからは段々と、死への恐怖が薄れていった。

死を考えるのを諦めた。

大人になって、友人には輪廻転生を信じる人も多くいた。

そっちの方が死の恐怖が薄れて羨ましいなって思った。

ある友人がいった。

輪廻があると思って死んであったら、やっぱりあった!と思えるし、無かったらその時は気づかない。だってもう死んでるから 笑 だったらその方が人生幸せに生きれるでしょ。

たしかに、、

でも、今の記憶観念と自己が消滅したら、意味がないけど、、

無理に信じるのも諦めた。

いつか消えるのを安らかに受け止められたらいい。

死の直前まで死のことを考えずに過ごすか

死を想い、限りある人生を豊かにする意欲にするか

ひたひたとした怖れを感じつつも、日々の生を慈しむか

輪廻転生を信じて、死を怖れとは思わぬか

どの態度でも間違いはないと思う。

正解はない。

自分が生きやすいように選べばいい。

全員一緒の運命だから。

だから亡くなった人への敬意が浮かぶ。

死の恐怖を受け入れたにせよ、怖れに慄いたにせよ、乗り越えたのだから。

そんな死に対する自身の落とし所を、巡らすことができる貴重な75分だった。

わかっていることはただひとつ。

今、あなたも私も生きている。
KUBO

KUBOの感想・評価

3.0
「東南アジア映画の巨匠たち」にて鑑賞。

「死」は誰のもとにも訪れる。しかも突然に。事故死、病死、自死などなど。

この作品がおもしろいのは、その死の瞬間は描かない。描くのは、次の瞬間死ぬ人のごくごく普通の日常だ。日常は死と隣り合わせ。死は突然にやってくる。

画角が頻繁に変わる。死ぬ前の日常はスマホで撮ったような少し粒子の粗いスクエアの画面。死した後の世界は横長のフルサイズ。上映後のQ&Aで監督のナワポン・タムロンラタナリットさんに伺ったところ、スマホ撮影ではなく、左右を切ってスクエアな画角にしたのは昔の映画館で流れていたニュース映像的な雰囲気を狙ったとのこと。どちらにしても効果的な演出であったことは確かだ。

ナワポン監督は「ヨーロッパでは本作は驚きを持って迎えられたが、アジア圏、特に日本では安心して見ていただける。それは根底に仏教の考え方があるからだろう」とおっしゃっていた。

映画祭での上映はあるが一般公開は決まっていない。興行的には厳しいだろうが、たいへん興味深い作品だった。
左上のカウンターが効いてた。

「誰しも死ぬ直前は、自分が死ぬことを知らずに普通に生きている」ことを切り取ったのが良かった。
ちょっと説教くさいけど。

東南アジア映画の巨匠たち にて
TAKE

TAKEの感想・評価

3.7
人は一秒に2人死ぬ。
最後に左上のカウンターを見たとき、貴重な70分だったなと心から思えた映画でした。
しゅん

しゅんの感想・評価

3.5
「東南アジア映画の巨匠たち」にて。これは1984年生まれの若手監督による映画。

死にまつわるいくつかの実話を、フェイクドキュメンタリー風にドラマに移し替える。我々が日常的に死に囲まれていること(「人は一秒に二人死ぬ」)を音響で表現する、そのアンビエント性に強く惹かれた。
女の子たちの将来の夢と星占いも、姉と弟の気恥ずかしそうな会話も、病気の彼女を思いやる彼も、全てがあっさり消えていく。短い時間で観るものを感情を喚起する手腕が冴えていて、ずっと儚い気持ちだったよ。呼吸の音の扱い方、無人の部屋の固定カメラのポジション、どの話の中にも登場する花の反復など、かなり細かく調整された繊細な作品。

女の子が着信を無視してかけ始めるインディっぽい音楽がかなり良かったのだけど誰の曲だろう。
「マリー・イズ・ハッピー」のタイ映画の新旗手ナワポン・タムロンラタナリット監督の最新作は「死」をテーマに、監督が見聞きした死亡事故や事件を再現するドラマと、人々が死について語るインタビューとで構成されている。
映画の冒頭、我々の人生を刻む“時間”が印象的に出てくるが、毎時、毎分、毎秒、人が産まれるのと同様に、世界の何処かで人が亡くなっている。
そこから浮かび上がるのは、三法印の一つ「諸行無常」を根本とする仏教の「死生観」。
映画の再現ドラマに登場する人物達は、それまで元気だったのに様々な要因で呆気なく死んでいく。
ただ本作は「死」が興味本位にならないように直接的な表現は取らず、独特な手法で「喪失」を描き出す。
本作を観ていると、ここ25年間に日本で発生した大規模災害、阪神・淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、平成30年7月豪雨によってもたらされた掛け替えの無い多くの人命の喪失や、無差別殺人、相次ぐ高齢者の自動車運転による死傷事故等を思い浮かべてしまう。
これら天災や人災での犠牲者の殆どは、平穏に幸せに暮らしていた日々を突然、ある意味不条理に奪われてしまっている。
本作は、この何時訪れるかもしれない「死」を描くことによって、逆にどう「生きる」か、どう「生きねばならぬ」かを我々に突き付けているような気がする。
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