あの頃。の作品情報・感想・評価

「あの頃。」に投稿された感想・評価

みさき

みさきの感想・評価

4.5
念願の「あの頃。」を観賞。推しがいることも、仲間がいることも素晴らしいこと。推しがいて、仲間がいて、今が一番楽しいって感じることの素晴らしさが伝わってきた。

とにかく笑える場面が多くて、つい吹き出してしまって笑いを堪えるのに必死だった。でもしっかり感動できるラストもあり、素晴らしい作品でした。

仲間と一緒に推しの素晴らしさを共有する物語を想像していたが、それは結構前半がメインで、後半では推しを通して出会った仲間との物語が中心だった。

前半はとにかく共感できるところが多すぎた。物語の舞台自体は私が生まれた頃の話なので、さすがにハロプロにこそ詳しくは無いものの、部屋にグッズが増えていったり、とにかく同じ趣味の人と話すのが楽しかったり。

後半では本当の仲間を見せてもらった。たまにぶつかりあうけど、一緒にいるととにかく楽しくて笑っていられる、そんな仲間に私も出逢いたいと思った。そしてこの映画の仲間たちはとにかく見ていて楽しい。映画でも言っていたようにまるで中学10年生みたいに。また、それぞれのキャラクターに個性があって、全く飽きることがない。

あの頃は楽しかったって思えるのは、今が1番楽しいから、そんなメッセージも込められていたような気もします。

推しがいる方もいた方もいない方もぜひ見て欲しい作品です。
みさき

みさきの感想・評価

3.4
ハロプロが好きなので観た。
曲がかかったり、MVやライブ映像が大きいスクリーンに映ったのは感動した。
「あの頃はよかった。」と思うと同時に「今が1番楽しい。」と断言しているところが、「ハロプロ」そのもののあり方と重なった。「ハロプロは常に全盛期」なので。

ただ、時間の流れが分かりにくかったのが残念だった。
つちだ

つちだの感想・評価

3.5
当時ハロプロ大好き女子小学生で、友達と机の上に登ってステージに見立ててコンサートごっこして楽しんでた自分からすると、リアルなハロヲタってこんなんだったんだ…っておもしろかった。
きっかけがハロプロってだけで最終おじさん達の青春ムービー。もっとゴリゴリにヲタクしてるのを見せてくれると思ってたからこれじゃない感あったけど、最後は泣いてたから恋INGすごい
映画館出る頃には太賀のファンになってた
帰り道絶対みんな恋ING聴くでしょ
なこ

なこの感想・評価

3.4
アイドルオタクというこすられまくったモチーフを、しっかり内面の繊細な部分も含めて描写されている。
あややを見ながら何故か涙が頬を伝う瞬間を見ただけで、このドラマがとても良いものだと感じた。
CO2

CO2の感想・評価

3.8
間に合った、よかった。
すごく雰囲気が良かった。

バンドとフリーターの掛け持ちの主人公が、
松浦亜弥に出会ってハロプロオタクになって、
友達ができて、
でもいつまでも変わらないって事はなくて、
緩やかな変化は現在進行形で続いていく。

もっとハロプロオタク全開かと思ってたが、
最初のきっかけだけでいい感じにハロプロオタク感はフェードアウトしていって、
おじさん達の青春ムービーへと変わっていく。

本当に雰囲気が良くていい映画でした。

劇中の世界観だと松浦亜弥は松浦亜弥なのだが、
握手会のところだけ別人なのが謎でした。
きた

きたの感想・評価

3.5

このレビューはネタバレを含みます

予備知識無しで観たつもりなのですが、予知夢なのか何なのか、観る前に「コズミンが膵癌を患い、、、」というあらすじの夢を見た。
実際は肺癌でしたが、、
どうしてこんな夢見たのか、、ほぼ当たってるじゃないか😱

さておき。
私はハロプロ推しではないけど推しはいるので、胸が熱くなる作品でしたな。
りかちゃんの卒業コンサートの場面で、、私も推しバンドのメンバー卒業ライブにどうしても行きたい、、と涙。
ラストシーンもよかった。私も最期は推しに寄り添ってもらいながら迎えたい(家族や大事な人がいたらもちろんその人たちにも寄り添ってもらいたいけど!)。


この熱を理解してもらえないこともあるけれど、推しがいる生活はハッピーだぞ!!!
映画が超絶おもしろいというよりは、そのことを再認識した映画。
アイドルに対する特殊な「好き」を描く映画。彼らオタクがモー娘。に魅せられていく様子もとても美しく、面白かったけどなにより俺に刺さったのは男たちのクソほどくだらない友情だった。倫理的にギリギリアウトな内容で「中学10年生」のようなやりとりをする彼らは、男子校生の自分と重なってすごく共感できた。
映画館で嗚咽するほど泣いたのは久しぶり。すごくよかった。
PST

PSTの感想・評価

3.0
「あの頃。」100点満点中60点
松坂桃李演じる主人公がハロプロにハマり、ヲタ仲間達と交流&友情を深める物語。
大衆向け映画でなく、ある程度のハロプロ知識がないと楽しめないと思います。
 何かにハマって熱中する楽しさ大切さについて気づかされる作品でした。タイトルの「あの頃。」の言葉通り、「あの頃は良かったね!」と過去に囚われだけでなく、「今も楽しい!」と言うメッセージ性もあったのが良かったです。

ただG指定にしては下ネタが多いので人によっては嫌悪感がでるかも。またハロプロを題材なら卒業メンバーとかがサプライズ出演してもいいのな💦と思いました。
Ryoko

Ryokoの感想・評価

3.5
展開が単純に好みではなかった。原作に忠実なのだとしたら監督さんは悪くない。随所随所はとても面白かった。
湯呑

湯呑の感想・評価

4.5
私はこれまでアイドルにハマった、という事が一度もない。そんな人間でも毎週欠かさず「ASAYAN」を見ていたぐらい、当時のモー娘。は飛ぶ鳥を落とす勢いだった。つんくによるツボを押さえた楽曲もさる事ながら、加入と脱退を繰り返すメンバー編成によって、常に新鮮さを保ち続けた事が成功の原因なのだろう。しかし、私はその目まぐるしい変化についていけず、第4期を最後に完全に興味を失った。だから、『あの頃。』で描かれている第6期以降については全くの無知と言っていい。第5期以降のメンバー、高橋愛とか道重さゆみは名前を知っているだけで顔が浮かばないし(正直に言うと、道重さゆみは重盛さと美とごっちゃになっていたのだが…)、その他のメンバーは名前すら知らないのだ。それでも、2000年代初頭のハロオタ達の青春を描いたこの映画は非常に面白かった(と共に、こんな最近の事ですらノスタルジーの対象となってしまう事に愕然とする)。
本作は劔樹人によるコミックエッセイ『あの頃。男子かしまし物語』の映画化作品である。大学院受験に失敗し、音楽で食っていくという夢も果たせず、悶々とした毎日を送っていた主人公の劔はある日、友人から借りたDVDで松浦亜弥の『桃色片想い』のPVを見て涙を流すほどの感動を覚える。それ以来、ハロプロアイドルにのめり込んでいった彼はある日、「ハロプロあべの支部」というファングループのイベントに参加し、強烈な個性を持ったハロオタ達と邂逅するのだった…
アイドルオタの世界に興味があったので原作も買って読んでみたのだが、驚いたのは映画版が原作にほぼ忠実な作りとなっていた事である。『あの頃。男子かしまし物語』は杉作J太郎が命名した「マンコラム(マンガと活字コラムが合体した表現形式)であって、時系列に沿った物語というより、執筆時点の著者が記憶している面白いエピソードを徒然なるままに語っていくエッセイ的な性格が強い。それを一篇の青春映画として再構成するにはそれなりの脚色が必要となりそうなものだが、本作はそうした改変を最小限にとどめ、各挿話をできるだけ忠実に再現しながら、その配置や構成上の工夫によって、青春映画として首尾一貫したドラマを作り上げているのだ。このあたり、末井昭の自伝を映画化した『素敵なダイナマイトスキャンダル』の冨永昌敬による脚本の力が大きいのだろう。しかし、この見事な手際と言ってもいい脚本が、別の問題を生んでいる様にも思えた。
主人公の劔が所属するハロプロファングループ「ハロプロあべの支部」、及び彼らの主催するイベント「恋愛研究会。」の本作での描かれ方に、少なからず違和感を覚えた方も多いと思う。全体に漂うホモソーシャルな空気は当時のアイドルオタを取り巻く環境から仕方がないにしても、「だいたいのことは笑ってしまえばいい」という仲間内で共有されている「ノリ」が、他者を深く傷つけるという可能性に彼らは最後まで無自覚なのだ。それが最もグロテスクな形で表れたのが、仲野太賀演じるコズミンをめぐる公開裁判のシーンだろう。「恋愛研究会。」のメンバー、アール君の彼女である奈緒ちゃんを口説き落とそうとしたコズミンの所業を公開イベントの場で暴き立て糾弾するこの場面は、最終的にコズミンとアール君の和解、という形で決着するものの、奈緒ちゃんという1人の女性の尊厳や人格は完全に無視されている。極めてプライベートで繊細な話を本人の許可も得ずに公の場で笑いものにする主人公たちの態度は、彼らが寝取ったとか寝取られたとか、その様な対象としか女性を見ていない、という事実を示している。ならば、彼らが崇拝する松浦亜弥やモーニング娘。もまた、結局は消費の対象に過ぎないのではないか。彼らのアイドルに対する純粋な想いが物語の肝である筈なのに、身近にいる女性に対するこの無神経な扱いが、本作の青春映画としての輝きを曇らせてしまっている様に思う。
この公開裁判の話は確かに原作にも存在するのだが、映画版に比べるとなぜか読んでいてそこまで不快な気持ちにはならない。これはひとえに、原作がエッセイという形式を採用している事と無関係ではないだろう。このエピソードは著者が綴る下らない思い出話のひとつとして紹介されるだけで、物語上そこまでの深い意味がある訳ではない。映画版では割愛されているが、奈緒ちゃんはこの後アール君に愛想を尽かし、三下り半を叩きつける(もちろん、コズミンに乗り換えた訳でもない)。思い余ったアール君は奈緒ちゃんの家に押し入り、別れるぐらいなら殺してくれと騒ぎ立て、そのクズっぷりを存分に発揮するのだが、要するに、原作では作者の劔樹人も含めた当時のハロオタ界隈のダメさ加減を自虐的に描く、という客観的な視点が存在しているのである。Berryz工房の握手会を前に興奮を抑えられず拳で自分の顔面を殴り続ける男や、ハロプロアイドルのイベントやライブに必ず現れる、近鉄バッファローズのユニフォームを着た双子の中年(落合博満似)など、原作ではこうしたアイドルオタの闇というか、どう考えてもヤベえ奴が面白おかしく紹介されているのだが、つまり、当時のアイドル業界にはこうしたアンダーグラウンドな側面が存在したのである。AKB48の出現によって、その様な地下世界にもスポットライトが当てられ、アイドルオタはアイドルファンとして市民権を得た。だから、ひと口にアイドルオタと言っても、『あの頃。男子かしまし物語』で描かれた時代と現在の間には大きな断絶が存在する。
しかしながら、映画『あの頃。』には原作の自虐的な視点が抜け落ちている。なぜなら、この映画化にあたって「生きがいを失った若者がアイドルの存在によって救われ、様々な仲間との交流を通じて人間的な成長を遂げていく」という、作品全体を貫く物語が用意され、全てのエピソードがそれを引き立たせる為に配置されていくからだ。「あの頃があったからこそ、今の自分がいる」というのは原作でも映画版でも共有されているテーマだが、エッセイの形式を採る原作と比べて映画版はかなりあざとくなったというか、登場する友人もアイドルも、結局は主人公が成長する為の養分に使われるので、いくら何でも都合が良すぎるんじゃないか、と感じてしまう。特に、上述のエピソードは奈緒ちゃんがこの後いっさい登場しなくなる、という面も含めて、男たちの物語に都合よく利用されている、という感が否めない。これは劇映画として物語性を強調したが故に生じた問題と思える。
さて、原作者の劔樹人は「神聖かまってちゃん」の初代マネージャーを務めた後、アイドルにまつわるエッセイを執筆する傍ら、現在はダブバンド「あらかじめ決められた恋人たちへ」のベーシストとしても活動している。つまり、「消費する」存在から「消費される」存在へと「成長」した訳だ。オタクというのは、自分が他者の作ったコンテンツを「消費する」だけで、決して「消費される」側に立つ事はできない、という残酷な現実に常に曝されている。その残酷さに耐えきれず、消費の対象(アイドル、ゲーム、アニメ何でもいい)について言葉を費やせば費やすほど結果的にその対象から遠く離れていく。「ハロプロあべの支部」の面々が定期的にイベントを開催していたのも、自分たちも「消費される」存在になりたい、という欲望の表れだろう。コズミンが私たちに強い印象を残すのも、ガン細胞に侵されていく彼の姿が、ただ「消費する」だけの存在として生きやがて死んでいく、言わばオタクの求道者の様に映るからではないだろうか。
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