鈍い外光を受け止めつつ出入り口を往来するストローブと編集台の点滅するモニターに向かうユイレという、変わり映えしない被写体の強度がまるで彼らの映画のよう。視線を合わせず「声」だけで交感する二人。
ワ…
数年前に、当時好きだった異性にこの映画を観ようと誘ったが未だ実現していない。おそらくそのひとはそんなこともう忘れているだろうが、やはりこの映画内のストローブとユイレは男女関係としか言いようがない、相…
>>続きを読む初見時20代だったからか、わからないところ、わかろうと背伸びしたところが多く、いつかは見返したかった作品。本作を教えてくれた知人は「理想的な関係」と評していたが、知人の当時の年齢を越え、それなりにも…
>>続きを読む「編集は運動である」
よくわかるないが、彼らは運動が始まる直前の一コマからカットを始めていた
あまり方法論を固めるのも一長一短あると思うけど、たしかに、演出という「味付け」を「引き出す」ためには、そ…
ロング版も見ることが出来た。
ユイレが喋ってるのがショート版より多い気がする。
ノリツッコミみたいな2人の関係性の中から映画が立ち上がってくる。
ノイズが理論になったり、何となくそれがエッセンスにな…
漫才としての編集室。壮大な理論を捲し立てるストローブと、その演説を「うるせえ」と断ち切り淡々と編集に取り組むユイレ。巻き戻しされるフィルムの可塑性、2人が編集者として着目するアスペクトの違い(「俳優…
>>続きを読む一向に暗室から出ないとこの閉塞感に作家性を感じてしまう
ユイレがたまにドア開けるから、廊下が見てみたくなる
天才とは忍耐強さ
直前に氏がストローブ=ユイレは世界を信じている監督とかおっしゃってた…
先日観た、ヤン・シュバンクマイエル夫婦のドキュメンタリーでもそうだったけど
芸術家夫婦特有の拗らせ者同士の価値観のズレによる対立、その後のお互いがそれぞれを受け入れている余裕の関係が見ていて本当に微…