若き司祭がひっそりと村にやってきたとき、胸に響いてきたのは「なんて真っ直ぐな人だろう」という共感。
村人に無視され、体調は悪化するなかで、彼が日記に書いた「僕は何も間違っていない」という言葉が、彼に…
エンディングの意味
ロベール・ブレッソン監督の作品は、この作品ともう一本、「罪の天使たち」しか観たことがない。従って、二つの作品のストーリーは似ているなと思うものの、それが偶然なのか、ブレッソ…
なんか感情移入するところが多くて泣けてくる映画だった。静かな映画ではあるけど、たぶん響く人にはどんどん心に迫ってくると思う。
田舎町に派遣された司祭。本当に良い人なんだけど、純粋過ぎていつも真剣だ…
ブレッソンらしい救いのない状況が淡々と続いていく。ただ物事を静かに観察するのみという、ブレッソンの作風が完成された作品とのこと。
教区に赴任してきたばかりの若い司祭の、聖職者としての意識と村人から向…
とりあえず難しいガーエー。会話の中にキリスト教用語がたくさん出てきて、概念のベースがキリスト教的考え方なので、会話の内容はよくわかりません。なので、ざっくりと大枠で捉えて鑑賞しました。
そのため…
フランスの田舎町で、若い司祭が受ける処遇が、彼の日記を通して描かれる。村民とのいざこざは彼の目を通して描かれるため、通俗的なことばよりも信仰のことばが目立つ。司祭は村民に自らの病気を打ち明けずに教会…
>>続きを読む今年は劇場でご縁のあるロベール・ブレッソン〜
短編小説読んでるみたいでした〜〜!
飽きて眠くなってしまうんじゃないかと思ったけど、小難しい聖書のアレコレや深読みさせようとする心理描写がなくてとても観…
「それがどうした、全てが聖寵だ」で映画は終わる。
キリスト教信者の葛藤を描く作品は数多多くある。この映画はどんな描き方をしていただろうかと考えた。
葛藤つまり「聖」と「俗」の間で揺れる展開のパターン…
予備知識なしにて観賞。自分には難解でした。
胃痛持ちの病弱な若い神父が田舎町へ派遣される。彼と領主一家が主な登場人物。領主は若い家庭教師と関係を持っている風。妻は溺愛した息子を失ってから神を憎むよ…
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