たぶん英語圏だけでなくキリスト教を文化的背景とする国や言語には「leap of faith」に相当する表現があるのだろうと思います。「信仰への跳躍」と直訳されているように、日本語にはそれに相当する言葉はたぶんないはずです。
ジョー・ライト監督による『つぐない』(原題:Atonement)は原作小説イアン・マキューアン著『贖罪』に寄り添いながら、その根底に「leap of faith(信仰への跳躍)」という要素を潜ませた素晴らしい映像作品のように思います。そこには人間がギリギリの絶壁に立たされたときにのみ、目の前にひらけるような思いや風景が描かれています。
そしてここにもまた暗喩としてこだまする雨の気配が宿っています。
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leap of faith(信仰への跳躍)という言葉は、19世紀前半にデンマークに生きた哲学者キルケゴールによって僕は知ったのですが『おそれとおののき』という著作のなかに出てきます。そして数年後に書いた主著『死に至る病』によって彼の思索は1つの完成をみます。
いっぽうこの『つぐない』では事実を1対1の関係で翻訳しようとはしません。そうではなく「贖罪に代わるほどの価値が虚構にはありうるのか?」というギリギリの断崖に立ち、物語る海へとその身を投げ入れるような手法をとっています。それは虚構の力(物語る行為)への leap of faith(信仰への跳躍)ともいえるものです。