隣る人の作品情報・感想・評価

隣る人2011年製作の映画)

製作国:

上映時間:85分

4.3

あらすじ

新聞やテレビで、「児童虐待」のニュースを目にすることがまれでなくなった昨今。しかし、そのニュースはセンセーショナルに報じられるだけで、子どもが生きる現場に寄り添い、なにが大切なのかを深く洞察した報道は少ない。「隣る人」は「子どもたちと暮らす」ことを実践する児童養護施設、「光の子どもの家」の生活に8年にわたって密着しその日常と人々の姿を描いたドキュメンタリーである。

「隣る人」に投稿された感想・評価

親は必見の作品。

映画鑑賞後、
トークショーに来ていた刀川監督と
話の流れで、飲みに行くことになった。
映画を見たあとで、
その監督とお酒を飲むというのは
最高の贅沢だと思う。

そこでいろいろ聞いたのだが、
お酒を飲んでいたので、
大分忘れてしまった笑。
刀川監督は、映画監督というより、
その辺の酒好きのおっさんという感じだった。
(いい意味で)

一見、寝るまで働くという環境は、
労働基準法に違反しているようにも思うが、
実際にこの施設の平均勤続年数は10年以上で
(詳しい年数は忘れてしまった)
普通の法人よりだいぶ長いらしい。
それだけ辞める人も少なく、
労使トラブルなどもないようだ。

辞めた職員が担当していた子どもは、
大人になり、施設を出てからも
その職員の自宅まで
たまに帰省したりするらしい。
その子にとっては、
その職員こそが親であり、帰る場所であり、
故郷なのだろう。
職員も不満はない。

この施設で働く以上、
自分の家庭を築くのは難しいのだ。
施設の子と寝食を共にするあいだ、
自分の子どもをほったらかす訳にはいかないだろう。
そこは理解して働いているという。


ナレーションを入れるか入れないかは、
最後まで悩んだ、と言っていた。
個人的には、
ありのままの生活を見せたかったので
ナレーションは入れたくなかったそうだが、
周りのスタッフが反対したそうだ。
結局、
ナレーションなしという事になったが、
その結果、若干分かりにくい部分
(職員と子どもが引き離されることになった原因など)が
できてしまったことは、
監督も承知の上らしい。


児童虐待や育児放棄について。

私も親なので、
子どもを育てるということが
どれだけ大変か、わかる。

仕事がうまくいってないとき、
疲れて帰宅して、
子どもが泣き止まないと
ひっぱたきたくなる。
なんで言うこと聞けないんだ!
と苛立つ。
児童虐待のニュースは
子どもができる前より、
子どもができた今現在の方が、
むしろ、理解できる部分もある。
躾の度を越えてしまったこともある。
反省している。
私も未熟なのだ。
私が怒りを鎮めることができるのは
私の周りに、私を支えてくれる人がいるからだ。
私は単に運がよかったのだ。

今の時代、
たった一人で子育てをしている親も多い。
悩んでも、相談する相手がいない。
自分がそうなった時、
はたして子どもをしっかりと
守り抜くことができるだろうか。

保護者に問題があるというより、
環境に問題があるのだ。


私はひとりの親として
子どもに何ができるだろうか、
とよく考える。
私は大したことない平凡な人間なので。
英語は喋れない、楽器はできない、歌もうまくない、
絵も描けない、運動神経もよくはない。
うーん、平凡以下か。
父親コンプレックス。

しかし、
この作品をみて、
何ができるかわかった。

一緒にご飯を食べて
一緒にお風呂に入って、
隣で眠ればいいのだ。

それでいいのだ。
それが大切なのだ、
とわかった。

「光の子どもの家」の子どもたちは
ある意味では恵まれているのだ。
小一郎

小一郎の感想・評価

4.2
終盤、ある人の涙を見て、その理由を想像し、なるほどこれは“隣る人”のドキュメンタリーだと思った。

埼玉県の児童養護施設「光の子どもの家」は、親と一緒に暮らせない子どもたちと、保育士が親代わりとなって一緒に生活し、可能な限り普通の暮らしを実践することに取り組んでいる。

施設に預けられる子供たちは皆、狂おしいまでに愛情に飢えていて、親代わりの保育士たちへの甘え方が凄い。まるでこれまで与えられてこなかった分の愛情を取り返そうとしているかのようだ。

そんな子どもたちだからかもしれないけれど、保育士たちの対応は、私が娘にやってきたことと同じ。ぎゅうぎゅう抱きしめ「どんなときでも大好き」と言葉で伝えること。

私と違って保育士たちは、そうするように教えられているのかもしれないけれど、たとえ親からでなくとも、誰かに承認してもらうということが子どもには是非とも必要なことなのだ、と私は信じている。

育児や教育に正解はなく、私の娘がどうなるかわからないけれど、私はそう信じている。だからこの施設の子どもたちは幸せで、ここでの経験はきっと彼らの人生の支えになるだろうと信じている。

一方、子ども達を育てる側はどうなのか。親の場合、子どもたちを承認することで親としての自分も承認しているのだと思う。子どもたちと一緒に笑って、怒って、悲しんで、子どもたちとでなければ体験できないことを体験して、人生を与えてもらっている。

お互いを承認し合うのに、親子の関係なら遠慮はいらない。しかし、親ではなく、親代わりで、できることなら親と子どもを一緒暮らせるようにするのが役割の“隣る人”は子どもからの承認を、素直に、思う存分受け止めることができない複雑な思いがあるのではないかと思う。

親が子どもを承認するのに涙はいらない。子どもに承認された親は嬉し涙は流すかもしれない。しかし、“隣る人”の涙は子どもの承認を受け止めきれない悲しみも入り混じっているのではないだろうか。

やがて子どもたちは施設を離れ、新たな居場所を見つけるだろう。親ならばいつまでもお世話やお節介を焼き続けることができるけれど、願わくば大人になった子どもたちが、“隣る人”を忘れずに連絡をとったり、会いに行ったりして欲しい。子どもたちがそうしてくれたとき、“隣る人”は自らを心から承認できるのではないだろうか。

●物語(50%×4.5):2.25
・子どもよりも大人に焦点が当たっているように感じられたのが良かったかな。続きが見たいかも。

●演技、演出(30%×4.0):1.20
・8年間密着しただけあって、ナカナカのシーンが詰まっている感じ。

●画、音、音楽(20%×3.5):0.70
・普通かな。撮影に『アヒルの子』の小野さやか監督の名前を見つけて、ちょっとだけおおっと思った。
いみ

いみの感想・評価

3.8
人の親になって早5年。
児童虐待や親子関係の歪みで起こる事件が他人事とは決して思えず、いろんな本を読んだりしてきましたが、先日の目黒区で起きた児童虐待の事件後、夫が実は献花に行っていたことを知り、ものすごく衝撃を受けたので、わたしも何か行動しなくては、という気持ちになり鑑賞してきました。
(この映画は、直接的に児童虐待を扱うものではありませんが)

児童養護施設の日常を8年間にわたって撮影しただけあって、子供も大人も日々の暮らしをさらけ出しているように思えました。
誰が主役というわけではないけれど、保育士のマリコさんと、マリコさんが担当する小学生のムツミとマリナがメインで構成されていました。
はじめの方のシーンで、ムツミが他の子にちょっと意地悪をしていて、その時の表情が正直少し怖かったので、この子はちょっと意地悪な子なのかな、と思いながら見ていたのですが、あとからムツミを取り巻く環境がわかるにつれ、その印象はなくなりました。
ムツミの口をついて出てくる攻撃的な言葉は、きっとどこかでムツミが耳にしていた言葉なんだろうなと思うと、胸が痛くなりました。

上映後のトークショーで、ムツミは今二十歳で、今は実母と一緒に暮らしているけれど、時々施設の方でサポートもしているという話を聞き、ホッとすると同時に、離れていた親子が一緒に暮らすことの難しさも感じました。

一番印象的だったシーン。
担当する保育士が異動になってしまい、号泣していた女の子が気になっていたのですが、今は一児の母になり、時々旦那さんの愚痴を施設の職員さんに聞いてもらいながら、生活を続けているそうです。

最後のムツミの誕生日のシーンで、マリコさんが涙ながらに「どんなむっちゃんも大好き。ずっと一緒にいようね」と言うのですが、先に出てきた号泣する女の子のことがひっかかり、そんなこと約束しちゃって大丈夫なのかなぁと少し切なくなりました。

トークショーでは、保育士さんが子供たちとともに生活をする施設なので、自分自身の家族やプライベートと仕事と、どのように両立しているのか、という質問が出たのですが、ここで働く担当保育士さんたちはみんな独身なのだそうで、これには会場内がどよめきました。
結婚や出産などで自分の大切なものができてしまうと、このような働き方はできなくなるとのことで、創設者で現在の理事長でもある菅原哲男さんも例外ではありません。
生半可な志では絶対に勤まらない仕事だし、このような人たちがいるからこそ、生みの親が一緒にいなくても生きていける子供たちがいるということを知りました。

血が繋がっているからといって胡座をかいてはいけないし、血が繋がっていないからといって本当の親子の絆が結べないわけでもないんだろうな。

わたしは、娘の隣る人になれているのか、はっきりとはわからないけれど、いつまでもそうありたいと心から思う。
tuutikii

tuutikiiの感想・評価

4.6
表題にすべてがつまっている気がする。
「どんなあなたも好きです」
そんな風に想ってくれる人が側にいる。
それがどんなに心強いことで人を形成する上で大切なことか。
色んな感情で胸がギューっとなる映画だけど、1番の感情は愛おしいという感情でギューッがいっぱいになる映画。
自分の為にも定期的に観たい映画だった。
milagros

milagrosの感想・評価

4.4
子どもが大人びてしまう瞬間と、大人が子どもみたいに振る舞ってしまう瞬間のどちらもがありのままに映ってる。どちらにも共通しているのは自分の感情を守ろうとしていること。
子どもがカメラにむかって「撮らないで!」と言うシーンが2つある。カメラに共有されたくない、自分だけの感情を守ろうとしているのだ。その感情の種類は2つのシーンで真逆で、どうしようもなく幸せで、どうしようもなく悲しい瞬間がそこにある。
さとう

さとうの感想・評価

4.5
以前キネカ大森で観た以来の6年ぶりの鑑賞。痛いくらいにむき出しの子供達の感情。それに向き合う保育士さん達の姿。本当は甘えたいのに強がってる子供達。それを観てただただ泣いている自分は何なんだろうと思った。私もこんな風に誰かの隣る人になれるんだろうか。そうでありたい。
紫色部

紫色部の感想・評価

3.0
2018.6.13 ポレポレ東中野(中村泰子(We誌編集長)、稲塚由美子(本作企画)トークイベント)

撮影した650時間の中から敢えてピノキオの絵本読み聞かせシーンを切り取ってみせた気概!ブランコを「守って」おくムッちゃんの表情変化、画面を横切っていく自転車のおじさんと言葉を交わすシーンにおけるムッちゃんのロングショットも素晴らしい。終盤はなんとなく『君の名前で僕を呼んで』が連想された。トークイベントにて伺ったムッちゃんとマリナちゃんの後日譚で少々複雑な気持ちになりながら帰路に着く。
lp

lpの感想・評価

3.8
様々な事情で親と一緒に暮らせなくなった子ども達が集まる施設「光の子どもの家」を舞台にしたドキュメンタリー。ネグレクトを題材にした『子宮に沈める』を観たばかりということもあり、とても胸に響いてきた。

「光の子どもの家」の職員の方々には頭が下がる。子どもたちと寝食を共にする「親代わり」であり、長い時間を一緒に過ごす子ども達への「愛情」も感じられる。しかし、彼らのやっていることは飽くまで「仕事」だ。時には異動もあり、可愛がっていた子ども達と離れなければならない時もある。そんな辛い局面にあっても、いつもと変わらぬ態度で子ども達に接する。この素晴らしいプロとしての姿勢に、敬意を抱かずにはいられなかった。

「光の子どもの家」の子ども達と大人達の間には、何かお互いが超えられない最後の一線を抱えているようにも、映画の端々からは感じられた。それが何処から来るものなのかは分からない。しかし、例え超えられない一線があったとしても、確かに信頼関係は存在する。血が繋がっていなくとも、「家族」でなくとも、愛情を持った誰かが隣にいてくれれば良い。そんなメッセージを、映画は雄弁に語りかけてくる。

『万引き家族』で「家族の繋がり」について少しでも考えた人には、ぜひとも観ることをお薦めしたい。
菩薩

菩薩の感想・評価

4.0
人は「隣る人」がいるから「人となる」、そんな一瞬を見させて貰った気がする。軸「となる人」がいて、居場所「となる人」がいる、そうして可能性は無限大に広がって行くのだろうと。俺はキリスト教徒では無いから「隣人を愛せよ」と言われてもいまいちピンと来ないし、右の頬を叩かれたら左の頬を差し出せる程の器も無い、金を稼ぐ才能が無いから当然金は無い、となると生活力も養育力も無いから、俺が父親になる事は一生無いだろう。だからこそ無責任とは知りながら、子供には幸せであって欲しいと、そう思わずにはいられない。その為にはどうすればいいか、貧困家庭に対する経済的援助、子育てをする親が孤立しない社会構造の形成、親はこうあるべきだと言う既成概念の破壊、簡単な話では無いだろうが、社会が出来る事、しなくてはいけない事は沢山あると思う。

俺のかつての親友は双子を授かった。かなりの早産で出産時は共に体重1キロ未満、幸い障害等は無くその後はすくすく育ち、なんとか本来の出産予定日にはようやく標準体重まで持ち直した。そんな時に俺は育休中のそいつと再会した。さぞかし親バカ発言が出てくるのかと思って期待をしていたら、彼の口からはこんな言葉が出てきた。

「四六時中一緒にいると時々首を絞めてやりたくなる。ミルクあげてるとこのまま握りつぶしてやろうって。こっちは夜も寝れないし、本当に精神的にきつい。」

正直ゾッとした。前半部分は恐らく冗談のつもりで言ったのだと思う、けどそんな考えが例え冗談だとしても頭に浮かんでしまった事実がショックだったし、後半部分は彼の本音なんだと思った。けど俺はあいつを責められない、俺は親にはなれないから、子育ての苦労を分かってやれないから。だから「新聞紙面を飾る前に俺を呼べ。」、そう言ってやるのが精一杯だった。そんな時が来るのかすら分からないが、果たして俺はあいつの隣る人になれるだろうか、彼で無くとも、この先誰かの隣る人になれるだろうか、親が子を抱きしめる姿ほど美しいものは無い、そんな光景を守ってやる為に、自分に出来る事は無いだろうか、そんな事をひたすら考えてしまった。

誰も一人では生きられない、そんなコピーがまた胸に突き刺さって来る、汝何者かの隣る人であれ、例え愛せずとも、寄り添う者であれ、そんな覚悟で、俺は俺なりの社会に対する責任を果たしていきたいと思う。俺にも何か、出来ることがあるはずた。
どうにもならないことをどうにかしようとがんばりつづける子どもと大人の物語。切ないし残酷だけど、その営みとあがきの歴史こそが、血が繋がろうが繋がってなかろうが、親子の関係なのだろう。

むっちゃんむっちゃんむっちゃん…
>|