DOG STAR MAN [完全版]の作品情報・感想・評価

DOG STAR MAN [完全版]1961年製作の映画)

DOG STAR MAN

製作国:

上映時間:85分

3.8

「DOG STAR MAN [完全版]」に投稿された感想・評価

2020.02.02 YouTube

スタン・ブラッケージ
jun

junの感想・評価

3.0
大学の講義で鑑賞。ストーリーを最も大切にするなら、すべてを映像化できる訳では無い映画は原作にかなわない。
映画の鑑賞の仕方に正解はないが、映画において映像を最も大切にする鑑賞の仕方もある。スタン・ブラッケージがつくる実験映画では、物語性よりも映像の芸術としての映画が強調された。

かと言って意味のないものは楽しめないので、意味を見い出せるような人になりたいと思った(笑)
全部見たけど今のエムブイとかに影響与えてるんやろなーくらいにしか思えんかった でもフィルムに傷をつけてどんな風に見えるかとかの追って探ってる感じがこっちもおもしろさとして感じた
TJ野

TJ野の感想・評価

4.0
これは、頭で考える映画ではなく、目で見る映画である。目で見ることを強いられている。
CHEBUNBUN

CHEBUNBUNの感想・評価

4.0
【静けさは貴方の脳髄を刺激する】
ジョン・ケージは《4分33秒》沈黙することで、会場に漂う音の世界に観客を誘い、一回性且つ個人個人独立したドラマを生み出した。

スタン・ブラッケージは、情報密度の高い業火に包まれた世界を無音で提示することで、観客のイマジネーションを拡大させていった。

フィルムに傷を入れ、街並みや血液、乳房を無数に重ね合わせ、官能な走馬灯を作り出す。汚い『コヤニスカッツィ』か、あるいは『2001年宇宙の旅』のワープをアリーナ席で観てしまったかのような、地獄の魅惑に満ち溢れていた。
どなべ

どなべの感想・評価

3.0
無教養で観て感想を得るのは非常に難しい映画だったので、鑑賞後はこの場に既に存在する解釈や感想に手を合わせました

一つだけ感想を言うとすれば、短い映像と映像の間のノイズが心地よかった
赤ちゃんが泣いたらビニール袋ガシャガシャやると落ち着くってのを思い出した
スタン・ブラッケージによる前衛フィルム。特に何の繋がりもない象徴的な画面の羅列。しかもサイレント。どこか郷愁を覚える麻薬的な映像体験だった。グロテスクながら美しいという矛盾。🤔

この手のヴィデオアート作品ははっきり言って「映画」というカテゴリーには分類されないのかも知れないが、ゴダールからウォーホルまでガチで前衛的な事をやりたい人達に共通する現代社会への懐疑心にちょっと共鳴したりする自分。

楽しめるか楽しめないかは各人によってはっきりと別れるが、ある意味動く写真集のように鑑賞すればいいと思っている。ただ直感的に「綺麗だ」と思えればいい。面白いとかつまらないとか、もはやそういう言葉以前の感覚。そういう感覚を大事にしたいと思っている。
「観た」とゆうより「体験した」とゆうほうが鮮やか。地下のオールナイトの青春時代に、とゆう。
☑️『ドッグ・スター・マン』及び『幼年期の情景』『モス・ライト』『夜への期待』『キャッツ・クレイドル』『クリエーション』▶️▶️
一昨年、『マルケータ・ラザロヴァ』をやっと観ることが出来たが、まだまだ映画史上のTOPに挙げられるかもしれない、未見の映画は多くある。『アート・オブ・ビジョン』など、その筆頭だ。いうまでもなく、『ドッグ・スター・マン』の素材を、上映時間を3倍の4時間にして再構築・再編集した作品である(淀川さん以上かもの映画博学スコセッシが、最大の米国画家に匹敵する程の位置のブラッケージの代表作としていた)。『ドッグ~』の、ブラッケージとしては初期を除けば珍しい、ストーリー・演技の要素を入れ(神話性)、比較的ゆったりした1部の頃ならともかく、密度・速度が著しく増して判別もつかないところさえあるような、3・4部(上映時間自体が1部の数分の1なのに、情報量の総体はむしろ増している)等、その巨大化・周到化した作品でしっかり正体を見極めたいとも思う。十数年前か、阿佐ヶ谷の海外生活・その文化にも精通してるVIDEOショップの若いご主人から、ブラッケージ全集のDVDを何回も絶賛・薦められたが、高価だし仕事帰りならともかく、うちではビデオなど観る時間は皆無なので、とうとう買わなかった。
当初は『犬星人間』とか『犬・星・人』とか表記・呼ばれてた本作、アングラ・ブームが去ってよりは、上映の機会少なく、個人的にはじめて観たは’78に多摩美で『序章(プレリュード)』のみ(十代の内には、メカスやアンガー位しか観れなかった)、プラス1~4部の全編は’90年代初頭だったか、輸入版ビデオで一応(VHSの画面でも美しくスマートな予告編であり総集編である『プレリュード』が二重・三重に乗り越えられてゆくのがわかった)、16ミリ原版で観たのは1994年アメリカン・センターの所蔵の物の埼玉の美術館上映でだったが、性を対象・テーマとして性器のクロース・アップも多い3部を税関カットされた’60年代輸入のプリントだった。そして、2000年だったか、ブラッケージ本人とも懇意になっていった水由章さんが、やっとフィルムの完全版上映にこぎつけた。
会場で水由さんの奥さんだろうか、今回私たちが引き揚げる前は、日本ではあまり人気がなかった作家と盛んに言っていて少し驚き、そんなことはない、’60年代から映画史上最大の作家のひとりとして崇められてた筈と返したが、冷静に周りを見れば案外そんなものかもしれない(彼が亡くなった年、米国では対極の商業映画の祭典アカデミー賞授賞式ですら追悼の映像を流し、想定外の興業・経営の担い手に膨れた『S W』を手放したルーカスは当初のブラッケージの本道に戻りたいと発言したのに対し、日本では老舗のキネ旬の決算号に追悼文どころか物故者一覧表に名前すら載っていなった)。商業映画に近いアンガー、デレンらの方が人気を集めて来たのかもしれない。ただ、’90年代半ばに、ライブを記録・音源を提供し、逆に自作の音楽を担当してもらったバンドが、本作に心酔・陶酔していて、可能な会場なら上映し、サイレントを自演の音楽で埋め、一大ページェント化している、と聞き、我が事のように本当にうれしかった。確かにこの国では、ヴィスコンティのような明確・荘重な外の偉容・内の悲劇、D・ジャーマンのように実験的も学生的こじんまりコンセプト・処理の作は受け入れられても、この作家のような、抽象・不明瞭・音無・極私・無境界の作品は、他分野のアーティストのほうに世界が近いのかもしれない(分化してない他国では別)。モネ・ターナーの人気も強いこの国で受け入れられやすいはずと思ってたのだが。
多重露出、画像歪みと動めき、ピンぼけ、フィルム自体への傷・破壊(破れ目からの合成も)・ペイント・よごれ・ゴミ、猛烈カッティング・フレーム内流れと世界の往き来、モノクロ要素、マクロからミクロまで同列(太陽コロナから臓器内部・細胞)、大自然・神話(木こりの寓話)から個の性・生の始点(女体・各部から赤子・雪結晶まで)、原色フィルターやネガ画面、フィルムのパフォレーション提示、それらの手法・世界は、商業映画でも、ソクーロフ・スコセッシ等にそのまま引用・活用されてる。しかしまた、ブラッケージの目的・目指す方向は、それら自体の提出ではなく、それらを一体化・その表面性を無化する、網膜のむしろ裏側に位置するようなもの、視覚の触覚化、とでもいった感覚の根っこの体感の繊細・自由な解放・世界への真のフィットの試み・実体化である。イメージ・感触ではなく・対象の確たるものを求めるひとには、モヤー・ボワッとして、なにが写ってるのか・もう次に変わってるなんてことになる。いつでも、表現の確定・特定の宣言を避ける。実際は唯一絶対の瞬間であっても、権威化は外す。全てはもう動き流れ始めているのである。かつ、そのまま、無理なく自然に、誰も踏み入れたことのない、領域に浸入、自己世界と同一化し、感じれる人だけの、深く何処までも続く宇宙を見、創っていくのである。それにしても、本作の終盤の感知能力の限界を超えた細密度・速度・多世界・発見・内的インパクトの連続は、映画史上最も素晴らしい僥倖の瞬間の持続の奇跡といえる。
もうひとつの代表作、より厳かに美しい『幼年期の情景』を始めとした(『モス・ライト』『夜への期待』『キャッツ・クレイドル』『クリエーション』等真の傑作は10本や20本ではきくまい)膨大・巨大な山脈如き作品群を併せ、まぎれもなく、ブラッケージは、商業映画の頂点・ルノワールや溝口と並んで、映画史上最大の作家である。実験映画の世界でも、ニュー・アメリカン・シネマを中心として、スノウ・メカス・クーベルカ・Tコンラッド・ジェイコブス・Jスミス・ベニング・Pハットン・奥山・牧野等、真の巨匠は多いが、どんなケースでも最初に語るべきは、この人である。2003年回顧展に併せ来日予定だったが、前年に癌で亡くなった。私の夢、ルノワールとブラッケージに直接遭うこと、その二人の映画祭の実現に携わること(2~30年公言していたが)、両方とも叶わなかった(溝口と併せ本当の個人的3大創造神となった)が、電話や会場での印象だと全く作家について知らず海外の評価に乗って朝日新聞の権威の行使としてのイベント、主催責任者の立ち位置がいかがわしい前者に比べると、少しは旧知の人が企画・本人の信頼を得て遺志として実行した後者には救いがあった(作品選定他に少し異論はあったが)。
No.384[どこの洗脳映画だよ] 50点

洗脳映画ってこういうイメージ。流石に意味不明だが、途中突然フワッと出てきたスカートの女性の後ろ姿が忘れられない。第一章から第四章は春夏秋冬と人生の生きる過程を示しているらしい。木こりのおじさんは監督のブラッケージ。人生の74分を消費したから彼には感謝してもらいたい。

あと最初驚いたんだけど、完全無音であってるらしい。
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