小津安二郎の映画に憧れ、東京に来たヴェンダース。すでにそこには小津の撮ったような人々の様子は無くて、テレビから流れる意味のない雑多な映像で溢れていた。
小津安二郎の墓石に名前の代わりに書かれてい…
小津映画と対比で撮ったはずの83年の新幹線が、2025年の私たちには汽車と同じ効果をもたらすので…
ナレーションで嘆くテレビ全盛期の時代も、2025年からみると失われつつある景色。
ドキュメンタリー…
なんて美しい東京なんだろう。
ドキュメンタリーでありながら、一つ一つのショットに狙いがある。電車で始まり電車で終わる。そこには東京の過去と未来が小津の唯一現物で撮るというこだわりがある電車が変わらず…
"小津の東京はもう無かった"
当たり前のことだけれど、時代は過ぎていく。そこにあった風景は消え、人々の営みもやがて無に還る。映画だけが残っても、そこに映された社会や日常は、もうどこにも存在しない。…
「混乱を増す世界に秩序を与える力を持つまなざし、世界を透明にしうるまなざし、それは今やもう不可能な視線なのだろう、小津にとってさえも⋯」
厭世的で悲観的、皮肉に満ちたヴィム・ヴェンダースによる、小…
ヴィム・ヴェンダースの目を通すと小津への解像度が上がる。人生そのものと同時に人間の習性を眺めているようだった。
"描かれるのは日本の家庭の緩慢な崩壊とアイデンティティの衰退だ。だが進歩や西欧文化の…
© Wim Wenders Stiftung 2014