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「都市とモードのビデオノート」に投稿された感想・評価

hiroko

hirokoの感想・評価

3.5
時間をデザインする...。
複数の映像を映す編集が良かった。言語は交互。
この監督の撮るブラウン管の映像が独特で好きです。

そういやヨウジヤマモトって何故か持ってないなぁ。。影響を受けたであろうブランドの服は持ってるんだけど。。
2022-146
ヴィム監督と山本耀司ね。

この監督、こういうインタビュー&風景というの好きね。
さすがにタイトルの語呂が良すぎるおはなし。


──絵画の複製が模倣と見做さるゝのに対して、フイルムの複製は模倣と見做されず。世界の主流が絵画から映像へ遷移したことで、複製は最早や模倣ではなくなつた。複製だらけの現代に於いて、独自性(アイデンテイテイ)なるものは、既に流行(フアシヨン)遅れである──

成るほど、個性個性と小煩き者ほど凡百に見えるのは其の為めか。幾百もの模倣の果てに在る自らの"個性"を高らかに叫ぶ若者には、どうにも拭へぬ違和感を覚えてゐたが、彼れの言葉で漸く溜飲が下がつた。

たゞ、其んなベンダアスが邂逅をしたフアシヨン・デザイナア山本耀司は、たいへん独自性を持つ人物であつた。
ベンダアス曰はく、彼れは相容れぬ二種の性格を有してゐるといふ。即ちクラシツクとフアシヨンである。

──二十世紀以前には、人々の顔や服装に、其々の経歴や職業が描出せられてゐた。然し現代に於いては、其れが無い。彼れらの服装を視ても、彼れら自身のことは何も判らない。皆な、同じに視ゆ──

──コートが美しいのは、其れが生きる為めのコートであるからだ。其の人は其の服を生涯着用す。故に、其の服は其の人を大いに表す。
然し、技術が発達し、金の巡りが活発に成り、消費社会へと変貌を遂げた現代に於いては異なる。何んでも買へると勘違ひした大衆は、身の周りの何も彼もを無駄遣ひしてしまふ。故に其の、目の前に在る"物"の本質が判らない──

彼れは、目まぐるしく変はりゆく流行ではなく、"物"本来の実用性を重んじてゐるやう感ぜらる。然しながらベンダアスの云ふやうに、彼れの生業は、其れとは正反対のものである。此の何んとも云へぬ矛盾が面白い。二種の性格。新しきものとクラシツク。クラシツクを愛してゐながら、遣りたることはフアシヨン即ち最先端。浅学の私しには未だ判らぬが、解きほぐすことの中々叶はぬ此の矛盾こそ、自身の体系化の甚だ困難なことこそ、最も純粋なる証しなんではなからうか。
ヨウジ ヤマモト。まさか此んなにも面白い方でいらしやつたとは思はなんだ。非常に惹かれる。

むろん其れだけではない。彼れの言葉には、何処か照れが見ゆ。詰まり、謂はゆる欧米かぶれの馬鹿に有りがちな、過剰な自信と下品な高慢とが丸で無いのである。何んだか彼れ自身の言葉とは裏腹に、非常に日本の人といふ印象を受く。
又た彼れは、少なくとも日本語に於いては、特別饒舌といふわけではない。舌の巧みな日本語話者は大体いつも滑稽であるが、彼れには其れが無いのである。心から捻りだしたる一言々々。真に日本人たる、真に表現者の観が有る。

──形で表現したい。黒は最も単純。余計な色は意味を持つてしまふ──

──シンメトリイは美しくない。非対称であるからこそ、人は他者を思ひやつたり、優しくなれたりできると思ふ──

自然に出づる独自性。色を排して為さるゝ表現。決して奇を衒うてゐるわけではない。彼れの表現は純粋である。
だから自信を以て云へるのだらう。
「誰れにも盗めないよ」
笑ふ其の姿は、余まりにも格好よい。

未来に就いての話しも亦た面白い。

──何かが始まるといふよりも、何かが終はることしか視えない──

象徴的に映ぜらるゝ墓場。過去の未来たる現在が然うであるやうに、現在の未来たる未来にも同様のことを思うてゐるのだらう。言葉の端々に、得も云はれぬ果敢なさを覚ゆ。
自分の服を、女性に捧ぐる山本耀司。何処までも興味が尽きない。

たゞ此の作品自体は、フアシヨン・デザイナア山本耀司に邂逅をした、ビム・ベンダアスのビデオノオトである。純粋に山本を追うたドキユメンタリイといふわけではない。其処には、常にベンダアスの目が在り、ベンダアスの言葉が在り、果ては畑の異なる二人の共鳴する姿が在る。
故に山本耀司の魅力等々を書くだけ書いて終はるのは、何んだか違ふ気がしなくもない。とはいへ、凡庸な私しの脳味噌に取りては、もう色々と限界なので、此処らで了ふことにする。
とかく、真に表現者たる二人の出会ひはたいへん面白かつた!
さて最後に蛇足を加ふるならば、奏づる音楽が亦た素敵であつた。
K

Kの感想・評価

4.0

このレビューはネタバレを含みます

個人的見どころメモ
ヨウジさん若い頃もイケメン過ぎる
昭和の映像感が楽しい
今見ても色褪せない、むしろ既に完成されてた
日本のモード代表と呼ばれることへの葛藤
素材から形状
仕事を知るには「何から始める?」
情報やアイディアに価値はなく、アウトプットに価値がある
シンメトリーは美しくない
フォロワー型リーダー
一年休んだら終わったと言われる、だから多くのデザイナーが短命で終わったりするのかな?
黒は余計な情報が無いから良い、素材や形状に集中できる
仕事変えられるならヒモになりたいヨウジさん
いの

いのの感想・評価

4.1
1989年制作のドキュメンタリー。デジタルの時代に入ってきて、オリジナルと模倣との境目がなくなっていく。オリジナルとはなんぞやというヴェンダースの問いかけが深まっていく。そんななかで、まだファッションにはオリジナルが存在するのではなかろうか?という仮説を立て、ヴェンダースは山本耀司に会いに行く。わたしは山本耀司という方をよく知らないけど、多分他者にはそうそう簡単には語らないであろうことを、ヴェンダースには語っているのではないかと推察した。ヴェンダースの問いかけは深く、そして合いの手がとてもうまいと思う。深淵までいこうと思っている者同士が共鳴しあってる感じ。迷えるヴェンダースは、対話を通し、どこかしら希望を見出したのだと思うし(フィルムにこだわるのではなく、途中からビデオ撮影も楽しくなってきたみたいだ)、山本耀司もヴェンダースという素晴らしい聴き手を通し、語ることでどこかしら開放されていったのだとわたしは思う。山本耀司の心の根には母に対する思いがあり、そこから全ての女性への敬愛の念へと広がっていったのだと思うと、女性男性の枠を越えて全ての方にこの映画を観て欲しくなる。そして、女性への敬愛の念の広がり方が、ランウェイでのスカートの裾のふわっとした広がり方と重なって(ふわっとした広がり方という言い方はホントはちょっと違う。適切な言葉を見出せなくてもどかしい)、心のなかが熱くなった。フォルムの美しさ。服に対する考え方、「黒」へのおもい、古き写真集から得るもの。
いつか見直したいドキュメンタリー
山本耀司はヴィム・ヴェンダースが構えるビデオカメラに向かって、完全なるシンメトリーは壊したくなってしまう、非対称でなければ落ち着かないと語る。そのビデオフッテージの映像を収めた35mmのフィルムカメラは、山本耀司の言葉にすなおに呼応して、山本を中心に据えたシンメトリーを壊すかのように左右にパンをする。これは山本耀司についてのドキュメンタリー作品でありながら、また同時にヴェンダース自身の思索の記録である。彼はひとりでバブル全盛の狂騒のうちにあった東京に身を置いて、山本耀司の仕事を追いかけながら、60秒しか回すことのできない小型のフィルムカメラと、デジタルなビデオカメラの狭間で、来るべき映画表現の独自性(Identität)について思い悩む。そんな二人が共通して私淑するのはアウグスト・ザンダーの遺した『20世紀の人々』である。山本はこの写真集をたびたび手に取っては、被写体の労働者たちが流行り廃りのはげしい「ファッション」ではなく、自身の生きる「現実」そのものを着ていた、20世紀の初頭までの前近代の時代へ思いを馳せる。衣服そのものが着る人の現実を顕わすような、そんな衣服をつくりたいのだと語る。そのような衣服の、あるいは映画の独自性はいまもなお可能なのだろうか。あらゆる芸術家の仕事は似ている。あらためてそのありかたを証するすぐれたドキュメント。
AW

AWの感想・評価

4.2
「ぼくの中で戦争は終わっていない。大戦で死んでいった人たちの代わりに、これをやってるんじゃないか。そう思うことがある」

1943年生まれの山本耀司は、撮影時点、すでに西洋のモード界で敬意を集める日本人になっている。

驚異的な仕立ての技術、服飾に関する膨大な知識、風合いとフォルムに対する豊かで鋭い感覚。
パターンの理論を示し、生地をハサミで裁ちながら、圧倒的なカリスマ性と判断力、技術でチームに道を示す彼は、さながら高潔な宗教者だ。

普遍と革新の両方を噛み砕いて、生地に乗せることができるようになってしまった自分は、経験を積み過ぎたせいだろう、まるで怪物だ、とほとんど自嘲気味に言う。自分は何か弾みのような感じで、こうして西洋の只中で仕事をやらされている気がする、と。

闘いは続いている。

自己と向き合い、時代を見つめ、技術を磨き、人を感じ続けた果てに、西洋世界で屹立する日本人。その男から、同様にして世界的映像作家になったドイツ人へ伝えられる言葉。それがこの映画の核だ。

ひと言ひと言が、青山店の入口のシグネチャー同様、碑文のように深く切り立つ。

未来は信用しない。
過去を背負い、今に集中しきる。

このような姿勢で生まれたものが、結果として、未来を内包する。

ビデオノートに残されたYohji Yamamotoの衣服たちは、2022年という未来から見ても、まったく、何ひとつ古びていない。
ヴェンダースがポンピドゥセンターの依頼で制作した山本耀司のドキュメンタリー。
「複数」の映画である。画面は小型モニターが混在するメタ画面だ。そして35ミリカメラ(60秒しか撮影できない)とビデオカメラ、日本語と英語、東京とパリ、様々な2つの項目で展開される。
山本耀司の哲学が面白い。「タッチ,素材、形が大切」「目指すのは新しさとクラシックという矛盾だ」「シンメトリーは醜い。やさしさ、上品、寛容という大切なものは、不自然なシンメトリーからは生まれない」「私はデザイナーではない。仕立て屋=ドレスメーカーだ」「常に本物を探している」「色は邪魔だ。黒でいい」「デザイナーはビジネスと尊敬が必要だ」
母の影響。足へのこだわり。
カラー・スタンダード。
梅田

梅田の感想・評価

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「ビデオノート」とは言い得て妙で、あえて低解像度のビデオを回して、その再生画面をフィルムで撮っていた。テレビの画面をスマホで撮る行為がいまやありふれていることを考えると、80年代的な空気に満ちたこの映画の世界と今との連続性に違和感はなかった。
山本耀司のことはイチローが契約更改のときにヨウジヤマモトのスーツを着るらしいということくらいしか知らないけど、とても明晰で面白い人だと思った。

※U-NEXTにあるヴェンダース作品の画質は総じてかなりアレだけど、この映画に関しては画質が悪いことはあんまり問題でないと思った。ただ、重要な固有名詞を省略してるし、字幕にはちょっと不満あり
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