君を想って海をゆくの作品情報・感想・評価

「君を想って海をゆく」に投稿された感想・評価

lente

lenteの感想・評価

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*フランス

存在論(ontology)について簡明に説明する力は僕にはないのですが、存在しているもの1つ1つの性質ではなく、存在するということそれ自身の原理を問う純粋思考の1つと言えます。

そのため古代においては、あらゆるものの共通点を模索することから始まり、論理学へと受け継がれ、中世では神学に応用され、近代では人間の意識それ自身のなかに根本原理を見出そうとするなど様々に試みられてきました。

この純粋思考の歴史が物語っているのは、人間にはより本質的なものが何であるかを求めてやまない欲望があるということでしょうし、映画のもつ魅力もまた同じ場所に源泉をもつように僕には思えます。

映画は、映像や音楽や台詞や役者などをある流れのなかに描くことで、総体として深い象徴性を立ち上げようとする試みでしょうし、その深さが目指すものもまた存在するということそれ自身の原理だろうからです。具体的に描かれる1つ1つのシーンが積み重ねられていくことによって、言語を超えたある抽象的な本質へと至ろうとする。

いわゆるエンターテイメント作品の楽しさもまた、本来的にはそうした原理へと向かおうとするダイナミズムによって支えられているはずです。たとえば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の面白さは、時間と空間の関わり方によって生じる存在論的なスリリングさにあると言うこともできます。

そうした意味で、僕がフィリップ・リオレというフランスの映画監督から感じる固有の存在論とは、つまり「存在とは去っていくことであり、喪失とはやってくること」というものです。

ふだん素朴に捉えている世界像は僕たちをそんなふうに裏切っていきますし、この監督が描こうとするものもそうした世界の成り立ちだろうと思います。ささやかに47年生きてきた僕なりの実感としても、世界のほんとうの姿は否定や逆説という経路を通してしかつかまえることができない不思議なところがあります。



この作品は処女作『パリ空港の人々』(1993年)を彷彿とさせる内容で、ドーバー海峡を隔ててイギリスと向かい合うフランス最北端の都市カレを舞台に、クルド人難民の少年ビラルと、フランス人の元水泳チャンピオンで今は市営プールの指導員をしているシモンとの交流が描かれています。

ロンドンにいる恋人に会おうと、イラクから3カ月歩き続けてきたというクルド人難民の少年。金もパスポートやビザも持たない少年は、泳いでドーバー海峡を渡ることを思いつく。そこで水泳の指導をシモンに依頼するという話です。

どこかうらぶれたエゴイズムのなかに生きる中年男性であるシモンは、そうした彼に嫌気のさした妻と別居中ながらも未練を断ち切れずにいたため、難民への給食活動などに携わる彼女の関心を引こうと渋々ながら少年の願いを聞き入れる。しかしながら当時のフランスでは難民との関わりを禁じる法律があり、少年を家に泊めたことで隣人に密告され警察に呼ばれることになります。

自然な人間の助け合いや友愛を法が阻む。そうした変遷を経ながら、シモンはいつしか父親のような思いをクルド人少年に抱くようになっていく。妻も夫の変化に気づきはじめる。そしてついに少年はドーバー海峡を渡ることになりますが、悲劇のうちに話は終わります。



公開当時のフランスではこの映画に描かれる難民問題をめぐって、国会でも議論されるほどの社会派ドラマとしての側面が色濃い作品ですが、けれど僕にとってはフィリップ・リオレの表現者としての生理「存在とはやってくることではなく去っていくことであり、喪失とは去っていくことではなくやってくることである」という存在論を強く感じるものでした。

ですから近くには難民問題や遠くには多民族化を背景とした、フランスが直面する社会性を描いた作品というふうにも受け取れるのですが、そうした社会派ドラマとしての要素は舞台のようなもので、もっと繊細に人と人とが出会い生きて死んでいくその刹那を描いているように僕は感じます。

失われるべき幻影はあるとき現れそして去ってゆく。純粋な表現者としての彼の生理は、このことを映像にとどめたかっただけなのではないだろうか。その幻影とは『灯台守の恋』では時代であり本作の場合は無垢(イノセント)だった。

またこの監督はこうしたテーマそのものを描くのではなく、テーマが喪失されるときに発する残照のようなものに何かを見出しているような気がします。過ぎ去っていく時代を描くことによって、時代が過ぎ去る風景それ自身も過ぎ去っていくような感覚がありますし、イノセントが喪失されることによって、喪失されたイノセントそれ自身が失われていくような感覚です。

そうした意味では2重の意味での喪失を描いていることになります。フランス語の文法は2語で否定文を作るようですが、フィリップ・リオレのもつ二重の喪失性は言語感覚からも作用されているのだろうかと色々想像されます。またこの感覚は僕自身も感じている世界のもつ不思議な成り立ちにたいへん強い印象を残します。「それ」に触れようとするときには「それではないもの」に触れなければ、ほんとうには触れることができない。

言葉のとらえる世界像と五感のとらえる世界像とは、それぞれに独立しながらお互いに作用しあっています。このことを認識せずに1対1で結ばれた関係と誤解していたり、どちらかのほうにより大きな比重をかけてしまうと、おそらく歪んだ世界像を受け取ることになってしまう。そして言葉のもつ否定や逆説の本来的な力は、こうした2つの平行世界が平行であることを暗示することにあるような気がします。

存在とはやってくることではなく去っていくことであり、喪失とは去っていくことではなくやってくることである。僕の言語感覚も五感も、この否定と逆説のなかに映し出されるものこそが世界のほんとうの姿だと告げています。

この喪失の物語の原題『WELCOME』がそのことを端的に告げています。
遠く離れた恋人に少年が会いに行こうとする
あまりにも大きな、一途な愛を持った少年
と彼を見守る水泳のコーチの関係も良かった
えり子

えり子の感想・評価

3.7
国を持たないクルド人、何処に行ってもよそ者、厄介者扱いです。
流浪の民なのです。
彼らの心情を思うと、切なくなる。ヴァンサン、ランドンの演技がいい。
悲劇的なラスト。
原題の「ウェルカム  ようこそ、歓迎」が痛烈な皮肉に思えてきます。
MGJ

MGJの感想・評価

4.0
難民映画の特集で見たのはもう十年前か…

この時からクルド人やアルメニア人の話が気になるようになった。

映画の主題はそこではなかったかも知れないが、彼の宿す一途さは、祖国を追われたことにも起因しているのかも知れない、そう感じた。

自分が自分であること、自分の大切なものを守ること、ただそれだけなのに彼岸は遠く…。

東京クルドに続く…。
日本にいるとわからないけれど、本当に考えさせられる。
真っ直ぐに生きていく。なんとなくそう誓いたくなる映画です。
BoltsFreak

BoltsFreakの感想・評価

3.3
イラクからフランス最北端カレにたどり着いたクルド難民のビラルが恋人の住むイギリスへドーバー海峡を泳いで渡ろうとする話。

ビラルの気持ちが純粋すぎてやるせない気持ちになった。
シオ

シオの感想・評価

4.6
海峡を泳いで渡る
彼女に会いに

少年の想い
愛情の大切さを
コーチは彼から
教えてもらい
コーチは彼に
泳ぎを教える

黒くうねる海原
ひとり少年は泳ぐ

ひとり


"彼が海を渡るのは
 恋人のためだ
 4000キロ歩き
 今度は海峡を
 泳いで渡る
 俺は目の前の
 君すら手放すのに"

_____

これはいいです!
映画的なダイナミズムも
ありながら
詩的で皮肉的でもあり
実はとても重いテーマを
少年の泳ぐ行為に
集約させている

切ないエンディング
やるせない瞳が
焼きつく
akubi

akubiの感想・評価

3.5
フランスからイギリスへ泳いで渡ろうとする難民の少年と離婚調停中の孤独な中年の間にうまれた小さな愛の欠片。

わたしたちだけじゃあどうすることもできない巨大な波で飽くことなく揉みくちゃにされる。
死者にならないと人としてあつかってもらえない不条理に戸惑いをおぼえながら、いちばん入りたくなかったものにくるまれて送還された彼の無念に涙する。
正直者が生きづらいこの世界なんて、いったい誰のためのもの。
助けてあげたいと純粋に思うことが罪というのなら、神さま なんていらないでしょう。??
犬

犬の感想・評価

3.5


イラクからフランス最北端カレにたどり着いたクルド難民の青年ビラルは、恋人の住むイギリスへ密航を試みるも失敗してしまう
そんなある日、かつて水泳選手として名を馳せたシモンは、英仏を隔てるドーバー海峡を泳いで渡ろうとするビラルに出会う
シモンは別居中の妻の気を引くためビラルと特訓を始めるが、やがて2人の間には親子のようなきずなが芽生えていく……

サッカー

いろんな問題が垣間見えるドラマ

教え
人間関係が良いです

混乱
終わり方も雰囲気ありました
難民(政治、不法)は 普遍的問題になってきている。ただ、どこからの難民がフランスに入国しているかは時代によって違ってくるし、フランスの移民政策も大事になる。この映画で2千年の初期はマグレブ地方の難民、不法侵入ではなくアフガニスタン、それに、イラン、イラク、トルコなどに在住しているクルディスタン地域のクルド人が。「移民の選別化」を主張するサルコジ大統領。この情況を踏まえた映画であるから、当時のフランスの実態が窺えるが、いまも移民難民問題をわれわれに問題提示している。

そして、フランスだけでなく、先進国と言われる国々に難民として先進国の福祉援助で生活をして、今ではその2世が語学、文化のハンディーを乗り越えて社会で活躍し始めている。サルコジもそのひとりだった。日本も当時クルド人を一人難民認定したと聞いたことがあるときく。

1980代に米国はアフガン難民を大量に受け入れている。カルフォルニアのフリーモント市にはアフガニスタンのコミュニティーがある。『君のためなら千回でも』(2007年製作の映画)https://filmarks.com/movies/32594/reviews/75874476 

という映画はこの作家カリード ホセインKhaled Hosseiniの個人的な経験が入っている。彼はアフガニスタンからの難民一世だが、作家で医者になっている。それに、国連の難民のなんかの組織に入ってもいると思う。

私の知り合いのクルド人は米国に政治難民としてイランがシャー(モハンマド・レザー・シャー在位:1941年 - 1979年)からホメイニの権力に移行したとき移った。これはクルド人ばかりでなく、イラン人が多かったと。


そしてこの映画で2千年初期、当時の大統領はサルコジで、ユダヤ系ハンガリーの移民2世だ。彼は不法移民の取り締まり強化している。合法的な滞在ステータスを持たない労働者に対しては管理を強化する傾向にある。

映画は『2008年2月13日、ロンドンで』と字幕がまず出る。そのあと、フランスの港町Calaisカレイにイラクのクルディスタン地域からきた青年、ビレイ(フィラ・エベルディ)がロンドンの友達の妹と電話で話しはじめる。彼はイギリスに行く予定だと理解する。

ビレイが港でほかの難民に話かけると、『アフガニスタン、わからないよ』言われる。ここで、理解したのは、この当時のフランス、特にカレイはアフガニスタンからやクルドからの政治難民や不法移民が多かったと。カレイ ジャングル (カレイの非合法の移民のいる波止場)
でイギリスにいるはずのゾラン(イラクの北方Mosulから) にあう。ビレイがどこを通って、カレイに着いたか説明されていないがアルバニアで電車の下に掴まったことがあると言ってるから、そこを通ってきたのは間違いない。


経済的需要に応える移民を引き上げようと国は考えているけど、ビレイのような難民(戦争が起きている国からの難民)はフランスでは不要と。

私は映画館鑑賞後、2009年の5月の監督フィリップ・リオレの短いインタビューを読んだ。そこで、シモン(バンサン・ランドン)がカレイを一泊させたとき、翌朝、警察が家宅捜査にきたシーンがある。監督はこのことを『不法移民の面倒をみないこと(Hostile Climate) が法律で奨励されている。市民が不法移民を助けたりすると、4万ドルの罰金か5年間刑務所の入れさせられると。これを第二次大戦中の市民がユダヤ人をボランティア的に助けたことと比べている。その時の警察は朝7時に匿ったとされる家をノックして、見つけだしたら、強制送還する。』

サルコジの移民大臣、Eric Besson, はカレイに来て、『人道主義的サービスは不法の民には与えられるが、カレイ ジャングル(カレイの非合法の移民のいる波止場)地域は閉じる(12/31/2009)と。そして、ここはアフガニスタンのカブールじゃない。フランスだと。

サルコジは、「移民に対してフランスはオープンだ。でも、誰がフランスに滞在すべきで誰が滞在すべきでないかを決めるのは、フランス国家だ』と言っている。
この映画はフランス、サルコジ政府はだれもを歓迎(Wecome)しないよ。我々の基準に合った移民は歓迎するよと我々に伝えている。これに対する私個人の考えは決まっているが、あなたは歓迎する?


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