蜜の味の作品情報・感想・評価

「蜜の味」に投稿された感想・評価

chiyo

chiyoの感想・評価

4.0
2021/11/13
イングランド北西部の町サルフォード。何よりも、ジョー演じるリタ・トゥシンハイムの真っ直ぐな目が印象に残る。その目で見るものに偏見がなく、毒親とも言える母親、黒人男性やゲイの男性、全てに対してフラット。原作者シーラ・ディレイニーが18歳の時に2週間で書き上げた、ということも影響しているのかもしれない。ただ、まだ10代と思われるジョーの人生はなかなか波乱万丈。黒人男性と別れた後に発覚する妊娠、ジョフリーとの別れと母親との再同居、彼女の今後には不安しかない。特に、ジョフリーとの同居生活が充実していたので、彼との別れがとても辛い。その反面、現実的には彼との同居を続けるのは難しいことも分かる。ジョーからは母性がまるで感じられないけれど、胎動を感じた時の彼女は確かに母親だった。
トニー・リチャードソン監督作品。
ジャケ写は主人公の女の子ジョー(男性だと思ってたので…)
イングランド北西部の町が舞台。
高校卒業を控えたジョーは母親と二人暮らし。家賃を払えないと夜逃げする生活を続けている。
母親の再婚を契機に、高校卒業したジョーは働きながら一人暮らしを始めるが、もうそばにはいない黒人の恋人の子供を妊娠していることを知る。

意思の強さが伝わる少女の目が印象的。
嫌いな奴には攻撃的になるけど、ちょっと風変わりで明るく気のいい少女。
母親とは顔を合わせれば喧嘩ばかりだが、母からの愛情に飢えている。

主人公と共に同居する友人ジェフとの会話が胸を打つ。
ーちょっと落ち込んでるだけさ。そのうち普通の君に戻るさ。
ー普通の私って?普通の私は普通じゃないの。忘れないでジェフ。私は非凡な人間よ。私もあなたも特別。
ー個性的。
ー若い。
ー最強。僕らは超一流だ。

主人公の不安や苛立ち、未来への希望が生き生きと描かれていて、とりわけ同居人ジェフとのやり取りに心を動かされた。
道端に落ちていた一羽の鳥の死骸を見て表情が曇る主人公も忘れられない。

その当時のイギリスの風俗がわかるのもおもしろくて、
下町の町並み、パレード、遊園地、商店、車に群がる子供たち。運河で遊ぶ子供たちなど描かれている。

この原作は18歳の少女が書いた舞台戯曲を映画化した労働者階級の少女の物語。
カンヌ映画祭では、主人公ジョーを演ずるリタが主演女優賞、友人役ジェフを演ずるマーレイが主演男優賞と、ともに受賞した。

🐾JAIHO体験記⑨これにてとりあえず終わり☆
mare

mareの感想・評価

3.5
親も選べなければ育つべき環境も選べない、抑圧された少女の心象風景が映し出される。時には先のことを考えずに成り行きで、いざ大きな決断が下される場面になると萎縮してしまったり、生々しい労働者階級に焦点を当てたフリーシネマ。他のフリーシネマで強調される怒りの要素以上に選択できない理不尽さと健全さへの憧れといったものが描かれている。夜逃げも当たり前にするほどの貧困に加えて、母娘ともに行きずりの関係に振り回される体質もあって、苦労が絶えないストーリーだが重く見せないメロドラマな側面も色濃く感じる。主演のリタトゥシンハムの表情、演技が不安定であるからこそ、この映画が成立しているとも思う。
黒人もゲイの同居人も毒親も妊娠も少女に困難を与えるために配置された障害物としか思えない。感情に頼りすぎていて物語(展開)とキャラクターにしか目が向かない、その地獄でしか生きられない少女を偽りなく剥き出しに撮した『少女ムシェット』より早いが映画的な強度としては比べ物にならない。社会は厳しく誰もが私を不幸にする、たしかにそのとおりだが、騒いで救いを求めて寂しそうな表情を浮かべるヒマがある分だけまだマシ。
diesixx

diesixxの感想・評価

-
リタ・トゥシンハムの顔は一度見たら忘れられない。
英国の貧困層の日常に、アフリカ系の船乗りやゲイの同居人などマイノリティへの視線を随所に感じる。陽気な音楽とシニカルなせりふ、そしてトゥシンハイムの魅力で全体的には奇妙な明るさをたたえた作品になっている。
Jeffrey

Jeffreyの感想・評価

4.0
「蜜の味」

〜最初に一言、18歳のシーラ・ディラニーが2週間で書き上げ、世界的な評判を取った傑作戯曲の映画化で、トニー・リチャードソンの名を一躍世界に知らしめた傑作であり、混沌とした物語がものすごいインパクトを与え、主演の名もなきリタ・トゥシンハムの大きな瞳が最後の最後まで印象かつ余韻を残す。まさに長編4作目にして彼の新たな傑作作品だろう。この映画を見ているとドキュメンタリーを見ているかのようだ〜

本作はトニー・リチャードソンが1961年に、18歳のシーラ・ディラニーが2週間で書き上げ、世界的な評価を取った傑作戯曲の映画化で、監督の名前を一躍世界に知らしめ、「ナック」でカンヌ国際映画祭主演女優賞受賞した名もなきリタ・トゥシンハムの実質的な処女作である。この度、DVDで久々に鑑賞したが素晴らしいの一言だ。本作は英国アカデミー賞最優秀作品賞や女優賞、脚本賞、最優秀新人賞、カンヌ国際映画祭では集団演技性、ナショナル・ボート・オブ・レビューベストテン入選と数多くの賞をかっさらっている。イギリスの新しい波(フリー・シネマ)の旗手トニー・リチャードソンの本作は様々な伝説に彩られていると言われているようだ。

まず、原作が戦後イギリス文壇を揺るがせた怒れる若者たちの紅一点、労働者階級出身のシーラ・ディラニーが18歳で書いた戯曲であることがそう言われている様で、ディラニーは、バスの点検、整備士の娘で、中学卒業後、職を転々とし、テレンス・ラディガルの芝居を見て、これぐらいであれば自分にも書けると思いで2週間で一気に本作を書き上げ、一躍センセーショナルな反響巻き起こした…と映画評論家の高崎俊夫氏が言っていたことを思い出す。この映画は、2000人を超えるヒロインのオーディションで、リバプール出身のハリネズミのような少女に目を留めるのだが、最初は愛嬌に欠けるし棘がありすぎて、私のイメージにそぐわないと不採用にしたらしいが、最終選考で突然、その少女を思い出し、ラッシュに回すと、雄弁極まりないリタの両眼のクローズ・アップがスクリーンに映し出されて創作の旅は終わったと彼の"長距離ランナーの遺言"と言う分厚い本書の中に書かれている。


当初この作品を何の情報も得ずに、紀伊国屋から発売されているDVDパッケージの表紙の彼女のクローズアップの表情を見てナイーブなハンサムな青年だなと思ったのだが、実際は少女だったと言うことに驚いた記憶がある。そんな彼女が、後の「みどりの瞳」「ナック」と合わせて名実ともに60年代イギリス映画のモダニズムを体現するイコンとなる稀代のファニー・フェイス、リタ・トゥシンハムが誕生した瞬間なんだなぁと、この映画の残酷で美しい寓話がなぜ評価されているのかが何となくわかったのは、今から3年前の2018年のことである。なんも変哲もないただのドラマだったと思って見終わった作品だが、2回目を鑑賞した本日、原作者の故郷の舞台であるマンチェスター近郊の工業都市ソルフォードがモノクロのコントラストで映り出されるとどこかしらSF要素に満ちているなと感じた。

と言うのも、ソルフォードの汚い裏町が映ったり、工場の煙突がやはりそういった近未来的な要素を含み、スラムや悪臭を放つ運河を前景化させているためか、ドキュメンタリータッチでリアルに捉えているような気もする。そこがまた良かったのだ。それに室内劇の世界もあって、遊園地、フリークスの見世物小屋、黒人、同性愛者、グロテスクなシークエンスなど結構ある。それから、この作品が子供の陽気な戯れ歌と共にかぶさってタイトルバックが現れるのも非常に印象的で、貧しい労働者階級の過酷な日常を迫真的なタッチで描いたフリー・シネマの中で、唯一本作は、どこか儚い童話的なみずみずしさをたたえているし、この映画には燦然と言う言葉が相応しいスタイルで、これ程に貧困労働者の過酷な日常を迫真的かつ苛立ちに満ちさせて描き切っていて、もがき苦しむ母娘の葛藤から一変して変わる物語の構造と人間的な愛情と主役の娘の美しい表情はたまらなく印象的で余韻を放つ…素晴らしさがある。さて、前置きはこの辺にして物語を説明していきたいと思う。


さて、物語の舞台はマンチェスター郊外の労働者の街ソルフォード。ある晴れた日。平和な女子校の体育の授業。苦手なネットボールをいやいやながらやらされている女生徒がヒロインのジョーだ。よく見ると体操着を着ていない。終業のベルが鳴ると一目散に更衣室へ。今夜踊りに行かない?とおしゃまな生徒に誘われても、着ていく服がないとそっけない。それにまた引っ越しかも?と。ジョーにとっては女子校も授業も日々の生活も全てが退屈しのぎ。彼女が家に帰ると、母親ヘレンは今まさに女家主と家賃の滞納で一悶着。それに相変わらず男を部屋に引き入れていたらしい。家主に男はご法度と最後通告を受けるヘレン。家賃も踏み倒し、逃げるようにしてアパートを脱出。バスで繁華な市内を抜け、降りた先は路地の奥にあるくすんだアパート。裸電球が天井からぶらぶら下がり、ベッドが1つ、奥に簡易なガス器具があるだけの陰湿な部屋。

しかしヘレンはまるっきり意に介さない。早速小金持ちの色男ピーターと夜な夜な酒場に出かけては、その美声と踊りで日々を過ごす。ピーターとは親子ほどの歳が離れていると言いながら、一緒に暮らそうと言い寄られるとまんざらでもない。ヘレンは日々楽しければそれでいいのだ。帰る部屋等は真っ暗闇でも関係ない。ジョーもまた早々と学校をやめ自立して自分の部屋を持ちたいと思っている。それにアパートにピーターが来ているときは部屋へ帰れない。ある日の学校帰り、街のはずれの運河沿いで時間をつぶしていると停泊中の船からいつか見かけた黒人の青年が降りてくる。アパートを追い出された日、バスから降りる際に手を貸してくれた水夫のジミーだ。彼もジョーを覚えていて船の中の厨房を案内してくれる。自分を大事にしてくれる異性と出会い、彼女はふと心を許す。そして初キッス。

アパートに戻るとヘレンが訝ってジョーに問いただす。船乗りと会っていたと臆面もなく話すジョー。ヘレンもピーターと再婚すると言う。互いに縛りあうことのない母娘なのだ。ジョーはその後もしばしばジミーとデートを重ねる。学校の前で彼女を待って運河沿いを散歩する。戯れ歩く途中で、そっとジミーから指輪を贈られる。彼の彼女への素朴な想い出だ。まだ学校にはしていけないから、ヘアリボンに指輪を通しペンダントにして身に付ける彼女。ある日、ヘレンはピーターや女友達とブラック・プールへ遊びに出かけた。ジョーも同行したが、派手好きで教養もないピーターと一緒にいるのが耐えられない。ささいなことからピーターと口論になり、ピーターの機嫌を損ねまいとするヘレンは帰りのバス代をジョーに握らせるとそのまま帰してしまう。

母に失望した彼女。帰路、夜行バスから降りて家路をたどっていると闇の中でジミーが待っていた。航海に出る前の別れに来たのだ。ジミーの胸の内を知って、腕の中に飛び込むジョー。昼過ぎまで寝ていると、ヘレンが戻ってきてこれからピーターと新婚旅行に出かけると言う。大事な鳥籠と身の回りの品をバックに詰めると別れの挨拶もそこそこに出ていてしまう。呆気ないほどのお別れだ。そしてジミーも長い航海に出た。もう二度と会うことはないだろうと言う予感。いつも一人ぼっち。これまでだって大なり小なりこんなもの。早速靴屋の店員の仕事を始めて念願の部屋を週30シリングで借りる。長い間、人の住んだ気配がないようなただ広いだけの殺風景な部屋。でもジョーにとっては小さなお城だ。

そうしたある日、彼女は靴を買いに来たジェフリーと偶然、街のパレードで知り合い、行くあてもないと聞いて部屋へ泊めてやった。ジェフリーは女性のような感性を持つテキスタイルを勉強する学生だった。同じ部屋で生活するようになったら2人の間には、いつか奇妙な愛情が育っていた。家賃代わりなのかジェフリーは、かいがいしく料理を作り、掃除をし部屋を絵で飾る。みるみるうちに温もりのある2人だけの部屋に変わっていった。当初、彼女はジェフリーをからかい半分にお姉さんと呼んでたりしていた。ジョーがジミーの子を宿していると知った時も、ジェフリーは心から彼女をいたわり、身の回りの世話を焼いてくれた。ヘレンにも内緒でジョーの妊娠を知らせた。

その頃、ヘレンとピーターの間にはもう冷たい溝ができていた。ピーターに女ができたのだ。そしてまもなく、愛情に敗れたヘレンはジョーの部屋に戻ってきた。ヘレンはジェフリーをジョーの傍から引き離すと不潔なものを扱うように部屋から追い出してしまった。そんな折、娘がヘレンに打ち明ける。黒い赤ちゃんかも…と。アパートの外では近くに住む子供たちが人形を燃やし花火を打ち鳴らしている。11月5日のガイ・フォークス・デイだ。去っていったジェフリーを引き止める術もないジョー。彼女にとって母のいなかった短い夢のような幸福は、はかないものだった。冬の到来はすぐそこに。もう全てが遠い思い出になってしまったのだろうか…とがっつり説明するとこんな感じで、リチャードソンが映画作家として真に自己を確立した記念すべき作品である。


そういえば、80年代の英国ロックを代表するバンド"ザ・スミス"が、シングルやアルバムのジャケットにディラニーや、「蜜の味」の主演女優リタの写真を用しているのも、ディラニーが20年後においてなお労働者階級の表現者達からアイドル視されていたことの証左となるだろう。そのBBCのドキュメンタリーで彼女は、廃墟となった産業跡地は路上で群遊ぶ子供たちの映像に合わせて、故郷をソルフォードへの愛憎こもごもの複雑な心理を語っているし、このドキュメンタリーを撮ったのは当時BBCにいたケン・ラッセル。このドキュメンタリーについては、ネットを探せば見られるので気になった方はぜひとも見ていただきたい。というか、女性が描いた戯曲が日の目を見て、大ヒットすると言う事態はいくら新しい波が起こりつつあったとは言え、驚くべきことだそうで、戯曲の内容それ自体もさりながら、そこに若干18歳の作者のルックスも大いに力があったと言われている。


ところで、トゥシンハムはすごく特徴的な体型をしている。映画を見ればわかるが、とにかく大きな瞳が印象的だが、それと力強い足の太さもフレームの中では際立つ。ブリティッシュ・ニューウェーブの映画は、基本的には男性を主人公としているのが多く、その破壊的な活力を描くのがー種のスタンダードなのだけども、この作品は女性、しかも社会的に自立し得ていない少女がヒロインであることもあり、例外的になんだろうなと思う。少女が主人公だからと言うわけではないと思うが、この「蜜の味」はすごく混沌としている。なぜなら物語が凄まじいからだ。誰との間に生まれた子かもわからない主人公の少女が、母親にひどく罵詈雑言言われてようやく母親が出て行って一人暮らしし初めて黒人の男と付き合い、そこで黒人との間に子供を設けてしまい、さらにその後にホモセクシャルの青年と同居したり、しかしそこに母親が帰ってきて全てをぶち壊してしまう…と言う混沌としたいわゆるカオス物語なのである。そもそも主人公の少女は非常に反感を買うような設定なため、より一層孤独感がひしひしと感じられる。

そもそもこの作品は戯曲から映画化されたと言うのは先ほども申し上げたが、そうすると、戯曲なのにもかかわらず、主題の一貫性=疎外されている人物たち、この場合未成年ながら親に捨てられたヒロインや、黒人、ホモセクシャルの青年とか、社会から疎外された人物ばかりが出てくる。やはりそこには当然社会批判的な視点があるんだろうと指摘も多くあるみたいだ。しかしながら音楽のためだろうか、明るさと活気を与えている場面もあり、映像的には暗いシーンもあるが子供たちの戯れが唯一の救いになっている。そもそも、リチャードソンは、撮影にかつてフリー・シネマ時代に組んだウォルター・ラサリーを起用して、少ない機材で自然光を中心にしたライティング、機動的なロケ撮影を行っており、夕暮れの闇の中で、自然光によるその撮影が素晴らしいと評論家に絶賛されていたが、確かにこの映画を見てもそう言わざる得ない美しさがある。

長々とレビューしてきたが、ブリティッシュに限らず、ニューウェーブの映画の特異性は、それが主観的な表現であると言う点にあると思わせられる1本である。だから紛れもなくこの作品はリチャードソンにとっても、真の映画作家としての自己を確立した画期的なムービーなんだなと…長編映画としては4本目の本作。自身の映画制作会社ウッド・フォールを立ち上げ、その第一回作品として怒れれる若者達と言う呼称の元となった戯曲(リチャードソンが初演)を映画化した「怒りをこめて振り返れ」で、第二回作品として、これもリチャードソン自身が舞台で演出していた「寄席芸人」もぜひとも見て欲しいものだ。

最後に余談話をする、主人公を演じたリタは、オーディションは面接、そしてセリフを渡され、即興演技をさせカメラテストをすると言う徹底ぶりで、テストを受けた彼女は最初、演技はうまいが愛嬌が足りないと言うことで採用されなかったらしく、翌日のテストフィルムに映し出された彼女の人を惹きつける印象的な瞳の美しさを見た監督のリチャードソンは2000名の応募者の中から彼女を躊躇なく選んだそうだ。彼女自身、パントマイムやレパートリー劇場で端役で出演していた位だったそうだ。でもすごいなと思うのが、この作品1つでカンヌ映画祭を始めゴールデングローブ賞や米国アカデミー賞新人賞など総なめしてしまい時の人となってしまうのだから。60年代半ばは、彼女はそれまで階級意識の強いイギリスでの労働者階級をテーマにした映画、演劇作品のシンボル的存在になっていったんだろうな。
紅茶

紅茶の感想・評価

4.0
イギリスフリーシネマの名作を鑑賞。怒れる若者たちという言葉を聞くとポール・ウェラーを思い出します。ドキュメンタリータッチで怒れる若者たちを捉えるのがこのブリティッシュニューウェイヴの特徴らしい。年端もいかない女性の若き主人公ジョーが尻軽の母親に振り回されていく一方、ジョーも母の二の舞になっていくような相似形の場面が映し出される。所詮母の掌の中で閉塞した生活を送らなければならない無力感を覚える。この主人公を演じたリタ・トゥシンハムのこのスチール写真は強烈なイメージを脳裏に焼き付かせる。彼女は若く経験不足ながらも、棘のあるジョークを突き刺していく。まさに怒れる若者。フリーシネマからケン・ローチに代表されるキッチンシンク映画の流れの中で、どちらも労働者階級の生活や林立する煙突、工場跡地、汚染された運河などの殺風景な場面を前景化させる手法は似通っている。

ちなみにザ・スミスのシングルやアルバムのジャケットに本作の戯曲の原作者シーラ・ディラニーと映画の主演女優リタ・トゥシンハムを起用しているらしい。同じマンチェスター出身であり、過酷な少年時代を過ごしたモリッシーの計らいだと思われる。
Jules

Julesの感想・評価

3.6
19歳の子が書いた脚本だからかもしれないけど、ゲイの友達とか白人と黒人の恋愛とか十代の妊娠とかが出てくるけどそこに偏見だったり説教臭さとかはなくて、ありのままに、子供目線で話が進んでいく感じがその時代にしては珍しかったと思うし感心した。
あんな母親よりジョフリーの方がよっぽどジョーと赤ちゃんにとって良いサポーターになってたと思うんだけど、やっぱ彼とは友達以上の関係になる事は出来ないし、ジョーもまだ若いから母親の存在は必要だったんだろうな。
主人公の女の子がジャンポールベルモンドにしか見えなかった、イングランドのニューウェーブ「フリーシネマ」
NANOHA

NANOHAの感想・評価

3.9
自分の人生に重なる部分がいくつかあったのとそうでなくても胸が締め付けられるシーンが多かったのとでめちゃくちゃに泣いてしまった
トニーリチャードソンの映画これで三本目だけどどれも主人公がギラギラしていて良い

紅茶を入れるシーンでミルクから先にカップに注いでいるところがザイギリスの労働階級って感じで萌えた
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