見えるもの、見えざるものの作品情報・感想・評価

「見えるもの、見えざるもの」に投稿された感想・評価

pherim

pherimの感想・評価

2.4
バリ島。双子の少女タントリと少年タントラ。脳障害で眠り続ける少年の近づく死を少女は感覚し、月夜に舞う。薄白い宵闇のなか少年は舞いに応じる。ねっとりとまとわりつく昼の空気。夜ごと深まる精霊の息遣い。1986年生まれの新進監督カミラ・アンディニが撮るこの現実。
 死者たちは見えないが、実はひそやかに生者たちの傍らに在り、鶏や猿と人間を分かつ境界はある次元ではたやすく開かれる・・・・・・。そんなコスモロジーを映像化した作品。

 カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したタイのアビチャッポン・ウィーラセタクン監督『ブンミおじさんの森』(2010年)よりもずっと、またこの女性監督の前作『鏡は嘘をつかない』(2011年)よりもなお、私にとっては眼にも肌身にも親和的だった。
 
 それは10歳の少女を主人公にしたことも含めて、監督自身が語っているように、私とは何者なのか、インドネシア人、さらにはアジア人であるとはどういうことなのか、という尽きせぬ問いによって導かれているからだと想う。

 そしてここに描かれたコスモロジーは、舞台となったバリ島につい最近まで息づき、あるいは今も古層に受け継がれているというよりは、現代を生きるカミラ・アンディニ監督が未来に向けて差し出したものなのではないだろうか。

 『マルリナの明日』と共に東京フィルメックスで最優秀作品賞。国際交流基金アジア文化センターの「響き合うアジア2019」で見ることができた。
上旬

上旬の感想・評価

3.2
ストーリーはあってないようなもの。幻想と現実が錯綜するような映画で、いかにもフィルメックスという感じ。

卵やダンス、動物といった原始的なものを使い、こどもの命の力強さや、双子の魂を表現する演出は面白かったが、一つ一つが長くて少し退屈してしまった。

この監督のお父さんも映画監督らしく、みてみたくなった。
バリ島の風景綺麗だけどあざとい。
でも綺麗。
メッセージ性がなくて追えない。
アジアの映画は肌に合う

動物を模した踊りの表現力の高さ
ころがる子供たち
天地が逆転する 先祖の視野

供え物のたまご 黄身と白身 太陽と月
身体性 苗を植えるシーン 水音のエロチシズム
ことばにならない身体にしか載らない感情
影絵 カーテンで仕切られた生死の世界

最後のカット 輪廻転生を思わせる幼い僧

山川方夫の小説で銀鈴のなるような沈黙 という表現があったがそれを思わせる生命の音
か

かの感想・評価

4.5
映像が目を通り越して脳みそに直接焼き付けられた。神秘的で美しすぎる。そんなに演出つけなくてもいいのにと思った所はあったけど、バリの人々は生まれながらにパフォーマーであるという話を聞いて、感覚の研ぎ澄まされ方が半端じゃないと思ってた事に納得した。
私は見える者なのか私には見えない物なのか。2人にしか見えないものを見ようとするときに涙が止まらなかった。
主人公の双子の弟の姉の幻想的(CGとか使ったファンタジーではなく)なシーンを、子供のパフォーマンスと撮影で描いています。
インドネシアの、別のジャンルでの映画を観た感じでした。
インドネシアの風景が良かった。
くり

くりの感想・評価

3.3
とても熱心に書かれていたかたがいたので触発されて、、、(笑)

(加筆)

最優秀賞に選ばれてしまったので、どうしてもいいたいことを二点補足したいと思う。

・「あざとさ」
実は私個人はこの映画が扱いたいことにはとても好意的なのです。ただ、やり口がよくないと思う。

例えば。
タイトルを例に挙げた。原題は分からないので英題で判断をします。
この映画が扱っていることは日本で言えば黒沢がずっとやってきたことであろう。黒沢の映画とタイトルを比べてみてほしい。(断っておくが私は黒沢の熱心なファンではない。嫌いな作品も多い)
なんて直接的なんだろう。
そもそも自分が扱っていることをここまで直接タイトルにする人は少ないのではないか。

このあざとさ、もしくは説明しすぎは作品の中でも散見される。
この映画、わからないとは書いたがわからないのは背景であって内容自体は何も難解ではない。変な話、解釈はたぶんひとつ以上埋まれないんじゃないか。知らないけど。

一番だめだ、となってしまったのが、卵を握りつぶしてしまうシーン。
いやいやなんで卵持ってきたんー??となってしまう。いやまあそら持ってきた理由はいくらでもつけれるけどちょっと苦しくないですか。監督が卵をにぎりつぶしてほしかったんでしょう??

よく言えば丁寧で説明的な描写は以降も多い。特徴は盛り込んだ要素を直後で回収していくことだろうか。だから要素オンパレードみたいになってしまう。卵しかり鶏しかり、、、。
監督が説明するために盛り込みましたというスケが最初から最後までつきまとう感じが私は好きになれない。

「見えるもの、見えざるもの」?言われなくても見てたら分かるわ!!

可能性としては、インドネシアで公開する際に、このくらい説明しすぎないと客には伝わらない、のかもしれないですね。


・最優秀賞について

きちんと選考されたんだろうしこの作品の私には見えていない面もあると思う。
が、個人的に最近よく思うのが、こういう映画をよいと思うこと(自体は悪くない)は、西欧の価値観に染まっていることにもう少し自覚的であるべきではないか??ということである。
映画は西欧で生まれたから仕方ないのかもしれない。ただ、西欧が評価するアジアらしさというものは確実に存在する。

自分がそこにひっかかりはじめたのは、インドの『裁き』を見てたときで、
この画作りとか、話運びのしかたってとても西欧の映画祭が好みそう、と思ったことがきっかけである。

音楽の世界では音階というものが、西欧とアジアでは異なるそうだ(詳しくはしらないが)。だから違う音楽に聞こえるらしい。
例えれば、歌っている内容は「アジアらしい」のだけど、映像の文法は西欧の音階を使っている映画が多すぎやしないか??と最近思う。
じゃあどうすりゃいいんだよ、ときかれたら答えられないし、日本にアジアの音階で映画を作ってる人だれがいるんだよと聞かれるとパット出てこないので、実際西欧の音階から離れることは不可能なのかもしれない。(韓国映画とかは個人的に離れている気はしなくはないですけどね)
東京国際映画祭でかかってたフィリピンの『アンダーグラウンド』とかは突き詰めれば可能性あるきがする??かも??


ただ、そうした感想をいだいた映画二本が、「日本で行われるアジア映画メインの映画祭」で最優秀賞をとってしまうことは少し悲しかったりする。


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「退屈」な映画も積極的に評価したいけど、個人的には厳しい。
何が厳しいと言われると全体的にあざとすぎる気がするのです。
タイトルもそうなんだけど。

きれいでしたけどね。ちょいちょいアピチャッポンみたいだし。
多分何かしらの伝承や寓話が下に敷かれてるパターンの映画でしょうけど、これは質のよくない「わからなさ」な気がしてしまったかな
かす

かすの感想・評価

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現実と虚像との関係のツメが甘い。
月夜の時にだけ虚像が現れるという関係を貫けばいいものを昼にも出てくるし最後には弟が死んだ後に一人で踊っている。
ロイヤルバレエや影絵などの伝統的な話を入れているのだろうが世界に向けて映画を撮るのであれば根本的な設定はわかりやすくするべきだ。
太陽と月。
これは世界中で生と死と比較される。
彼女は現実として虚像ど対峙すべきなのに彼女1人取り残されて終わっていく。
彼女は救われるべきなのに狂っていく。
彼女だけは弟を実存的にとらえるべきではなく月を見て笑うとかそういうラストはないのだろうか。
「見えるもの」と「見えざるもの」が交差し、相関し、入れ替わり、少女を取り巻く美しい世界が、揺るがぬ現実を静かに包んでゆく。


いやーーー、久々にとんでもない映画を観ました…
インドネシア映画ですか。
やられました。
頭グルグルしてますよ。えぇ。


意味があるような、無いような…
現実なのか虚構なのか分からぬものたちが揺れ動く画面に映るインドネシアの風景がまずとても美しい。
ほとんど揺らさず、大半が1カットの長回しのシーンで描かれ、BGMもたまーーーに民族楽器が鳴るだけ。

油断してたら寝ちゃいますけど、でも無駄なシーンなんか一つもないと思った。



脳の腫瘍により寝たきりになってしまう双子の弟?と、それと向き合う女の子のお話。
ただそれだけ。
だが、本作が描かんとしている事は、もっと濃く、奥行きのある精神の在りようそのものであり、プロットは有り得ないぐらいシンプルなのに、語り口は非常に複雑で重層性があり情緒的である。

独特でゆっくりとしたテンポで描かれる、少女の日常。
そこへ登場する、姉と弟を取り巻く世界を語るメタファーの数々。
軍鶏と猿、月とそれを照らす太陽、昼と夜、現実と夢、黄身と白身、死と生。
そして「見えるもの」と「見えざるもの」が交錯しながら、少女の内的な世界が日々変わってゆく。


決して分かりやすい表現ではない。ハッキリ言って難解だ。
一緒に連れてきた友人の1人が、口ポカーンからの爆睡を達成していたが無理もない。
分かる。
俺も最初眠かったもん。

しかし、中盤以降で登場する「死の影達」が、これから直面する事実の熾烈さを物語る。
物語るが、結局最後までハッキリとは描かれず、あくまで少女の瞳に「見えるもの」としてのみ現れるので、我々はそこから、まさしく彼女の瞳から「見えざるもの」を見分けつつ真実を探し出さねばならない。



そもそも映画というものは、観る者に視点を与えて作り上げてゆくものだが、もちろんそれが作品上の真実とイコールであるかどうかは関係ない。
事実があり、設定とストーリーがあり、視点を置いて追ってゆくのが映画。
そして本作は、視点の殆どを少女の心の瞳に置き、そこから「見えるもの」を繋ぎとめて映画を作り出している。
何よりここに感心したし、ありそうでなかったタイプの表現ではないだろうか。


少女にとって「見えるもの」は、周囲の大人には「見えざるもの」かもしれない。
少女には「見えざるもの」であっても、周囲の大人には「見えるもの」として、それはつまり厳然たる真実として存在しているかもしれない。

タイトルが「見えるもの、見えざるもの」となっているが、それらは全く別の存在として棲み分けされているわけではなく、視点や見方を変えることで両者が常に相互に変化するものとして描かれている。


ラストの1カット長回しのシーンでは、カメラを一切動かしていないが、まさしく一つの視点から、「見えざるもの」が「見えるもの」に姿を変える瞬間を捉え、一つの結論をつける形で物語の幕を閉じている。

音楽無し、カット無し、セリフも説明も無しで、一番難解なカオスシーンにも見えるが、そのシーンの意味に、その心に想いを馳せる時、これほどまで残酷で強烈な映像表現は無いと気づき、心を強く揺さぶられる筈だ。
本当に、忘れられないシーンだ。
震えすら感じる。


何度でもいうか、分かりやすい映画ではない。
インドネシアで撮られた映画だし、インドネシアの子どもたちの表現力をそのまま使用した(監督インタビューより)数々のシーンは、普段の我々の生活とは大きく異なるテンポ感なので、その辺が輪をかけて難解になっている所以でもあるだろう。

しかし、他者との精神的距離の変化とその感情を、映像表現として残す一種のチャレンジ精神には驚きを禁じ得ないし、その心理作用そのものは普段の我々の中にも見つける事ができるものだと思う。



家族でポップコーン片手に楽しめる映画ではないが、繊細な情緒を厚く熱く描き切った作品だ。
ゆっくり観て、じっくり考えて、出来ればシェアして語らう価値のある素晴らしい映画だと思う。


東京フィルメックス映画祭はこの前ラジオで知ったばかりだし、忙しくて結局本作しか観れていないが、インドネシア映画なんか観たことなかったので、この体験自体が既に非常に貴重であるし、こういう映画に触れる機会を設けてくれた当映画祭に心から賛辞を送りたい。

是非とも来年は、もっと時間を作って多くの作品に触れられるようにしたいと思った。


素晴らしい映画体験ができました。
ありがとう。
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