Treasure Island(英題)の作品情報・感想・評価

Treasure Island(英題)2018年製作の映画)

L'île au trésor/Treasure Island

製作国:

上映時間:97分

4.4

「Treasure Island(英題)」に投稿された感想・評価

フィクションが入り混じった、微笑ましくて夢のようなドキュメンタリー。ヴァカンス、若さ、自由を封じ込めた傑作。
休みとって靴も靴下もびしょ濡れでアンフラへギヨーム・ブラックに会いに行った思い出。
フランス映画祭

東京でギヨームブラックマラソンして良かった。
全部見てたからこそ楽しめたシーンも沢山あった。
このレジャー施設観たことあるなって思ってたら7月の物語の1部で出てくる場所と同じで。
ドキュメンタリーとフィクションがラインが曖昧で混乱した。
お金を払わないことも、許可なく侵入することも、物を盗むことも皆犯罪
禁止を破る若者達と目を光らせる大人達の対比
72歳のおじいさんが20歳の子が部屋に来た話、やましい事等ない。
おじいさんは一人で退屈せずに済んだ、女の子はホテルのサービスを受けられた。win winの関係。
白鳥の鳴き真似して白鳥を沢山連れて歩くおじさん最高だった。
色んな肌の色がいて、色んな国の人が同じ場所に遊びに来てる。
ひと夏の、一人一人の冒険。
まだ夏始まったばかりなのにノスタルジックな気持ちになってしまった。
ooの

ooのの感想・評価

3.5
極めて政治的な映画なんだけど、妙な軽さで飄々と語りつくそうとする。
彼は今作では特にロメールよりストローブユイレものを目指してるのだろうけど、今の時代にフランス=ヨーロッパ本位の“宝島”にしか実は視座がない、あとは人種と役割の絶望的な使い方。
ドキメンタリーとフィクションの融合は上手くいっている方では。
禁止と侵犯の物語。人が「若さ」を失うことで、「侵犯」を自身に「禁」ずること。166時間観れる。
a

aの感想・評価

3.5
夢と現実があやふやになりそうな感じだった。
最後の兄弟が好き。
TsutomuZ

TsutomuZの感想・評価

4.0
「ここって天国なのん?」
兄弟が伝説の剣を持った時、この映画と「のんのんびより ばけーしょん」がつながった。

明日死ぬかもしれない人生
バケーションは終わる
しかしこの愛とこの瞬間は本当
というのが、のんのんびよりとこの映画の共通点です。

永遠の子供時代
はフランス映画の基本。
冒頭の子供と警備員の応酬が脚本も演出もないなんて、信じられない。
冒頭の子供たちと係員のやり取り、ナンパ師、警備員の若者、ママと娘、老人、兄弟…レジャーパークに集まる人々を垣間見る。とにかく会話の返しが私好み💕最後のシーンはギヨームの愛を再認。いい映画、もっと観たい。
mat9215

mat9215の感想・評価

4.0
6月7日にアンスティチュ・フランセ東京で鑑賞。監督のトークインでは、多くの人たちを撮影した中で最終的に作品に留めた人たちにはフィクションを演じる雰囲気がある、といった主旨のお言葉が面白かった。まさしく本作に登場する人たちは、友人同士、親子、あるいは初対面の男女たちであっても、撮影されていることを意識していないように会話し、自分の役柄を演じているように作品に収まっている。撮影される側になった乏しい自分の経験では、これは難しい。当方はこの作品に登場することは無理だろう。

奥崎謙三のような唯一無二の特異なキャラクタではなく、都市郊外のリゾート施設に集う普通の人々を撮影し、それを心に残る映画作品に仕上げる。これはとても凄いことだ。
4

4の感想・評価

-
レジャー島のそれぞれの夏。
カメラの前の人々は自分自身を演出し、演技をする。そして彼らを選び、編集することで様々な人々によって成り立つ「宝島」の魅力が溢れる。編集の力を感じずにはいられない。
レジャー島の中という限られた場所での撮影だが、この場所で休日を楽しむ人々の姿は、別の場所に日常があるのだということも同時に意識させる。
カメラの存在を意識した人々を見ていると、カメラの存在自体が演出として働いているのではないかと思ってしまう。
ギヨーム・ブラック監督のトークショーでは色々な話が聞けた。「この場所はそれ自体がひとつの世界、ミクロコスモスを形成していることは確かです。ミクロコスモスはそれよりも広い大きな世界のメタファーになっています。そのことは私のこのプロジェクトにおいてとても重要でした」
nagashing

nagashingの感想・評価

3.5
タイトルとエピグラフと構成によって、ありふれた行楽がアバンチュールとして再解釈されるマジック。カラフルな水着が華やぐ色彩の豊かさを枕に、多様な人物の去来を紡いでいく。ワイズマンの『セントラル・パーク』を想起したのは管理された公共圏とその舞台裏をとらえているからだが、そこから排除・禁止されたものにもフォーカスするのは、楽園の欺瞞を暴き立てるためではない。レジャー・アイランドとなる以前の未整備の湖川時代が懐古され、時間的なスケールが生起すると、園内への不正侵入、川への飛び込み、禁止区域での遊泳といった野蛮な逸脱は、むしろ現在の監視の裂け目から深層にある過去の原風景へとアクセスする試みのようにすら思えてくる。
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