蜘蛛の動きを夢中で模写する踊りを見て、最近知った自然の音を模倣する音楽と重なった
表現として模写する行為が面白い 感覚的な部分を突き詰めるとそうなるのか
個人的に大発見
念願の田中泯の踊りを観るま…
身体を使った表現でありながらも、その枠組みを大きく飛び越え、流動するものとしての宇宙になることができる。
あらゆるものが非同期的(asynchronous)に動き続ける世界と、自らが紛れもなくその中…
被写体の姿を、哲学をそのまま映すという
意味で素晴らしいドキュメンタリーだ。
しかし、いまいち掴めない。
踊りに見入ってしまうが、
言ってる事は分からなさもある。
そりゃそうだ、彼の人生の一部を見た…
人間のすみかのずっと先にある、
遠い山の奥の植物や海の底で静かに息をしている魚のように
田中泯という生きものが目の前に存在している
空に浮かび上ることも
どっしりと根を張ることも
その踊りは叶えるこ…
うーん、凄すぎる。文化、アートが好きな人必見と思われます。語りがあるとイライラする事多いんですが全く不快じゃない、むしろ心地よい。個性を出せなどと言うが、人がこれだけ生きてきたのでそんな物は既に腐る…
>>続きを読む畑仕事でつくった身体で踊る
「芸術になる前の踊りを探したかった」
「私のこども」
「嫌悪の極み」
「名付けようのない踊り」は哲学者のロジェ・カイヨワが田中泯さんの踊りをみてそれを形容した言葉
…
©2021「名付けようのない踊り」製作委員会