「白人が東洋の文化を理解できるわけがないんだ、超越してるから」あたりにテーマ性の半分くらいが詰まってる気がする。
それって一歩間違えればオリエンタリズムになるんだけど、1918年の作られた映像と…
植民地時代に見る夢みたいな映画。案外構造的にジャ・ジャンクー『新世紀ロマンティクス』みたいで全然関係ないドキュメンタリー的なフッテージと物語の筋に関係あるフッテージとがナレーションで接着されている。…
>>続きを読むとても面白かった
モリーとエドワードの距離。埋まることのないそのずれは、この二人に代表される「西洋」が眼差す「東洋」との距離に通じていて、これはナレーションで語られてゆく物語と、観客が劇場のスクリー…
凄い映画だった。何故かアジア旅行した気分だった。恋の逃避行、モーリーの執念に脱帽。結婚のプレッシャーに疲れアジアを旅する外交官エドワード、結婚するためにわざわざ彼を追うモーリー。脱帽。見事な作品。ま…
>>続きを読む「スーパーハッピーフォエバー」の五十嵐監督とのトークショー付きの回で鑑賞。
ポルトガルの鬼才ミゲル・ゴメスがカンヌ監督賞受賞。よくぞこの作品に賞をあげたと思う。
こんな映画の作り方がまだまだある…
なかなか変な映画で、1900年代初頭が舞台なのに出てくるアジアの映像は現代で撮影されており、スマホも大阪のドンキホーテの看板もそのまま出てくる。その時空を超えた映像がこの映画を面白くしている要素にな…
>>続きを読むなんとも不思議な映画だ。
1918年ビルマから始まるが、割と早い段階で時代考証は無視することが提示される。
(あのスマホ…)
話の辻褄もどうでもよくて、これはイメージのブリコラージュなのだろう…
観覧車みたいな謎の遊具と戯れる人々を映し出す冒頭のシーンで「これは傑作だ…!」と確信させられた、のだけれど、列車が脱線したあたりから記憶が曖昧になり、目が覚めたらエドワードは大阪でうどんを食べていた…
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