伊東蒼ちゃんはまさに親戚の娘さんのようで、しばらく振りに見るごとに大きくなってる。
最初に観たのは、銭湯を経営する家族に引き取られる例のやつなんで、ああ、今回も銭湯ゆかりの物語かぁ、なんて素朴に思ってた。
何度か書いてるけど、私の大学の先輩が後継者のいなくなった銭湯を引き継いで、しかし人手が足りなくて営業終了後の銭湯の掃除をするバイトを雇うということをしているので、そこそこ身近に感じながら見ていました。その先輩の銭湯では実際にアルバイト仲間同士が付き合うということも起こってる。面白いのが、その成立したカップルの片方が私が勤める会社で昼間働きながら、夜は銭湯の掃除バイトという二足の草鞋の女性ってことで、これは前に先輩から聞いてても、ずっと自分の胸にしまって黙ってたことなんだけれど、しばらく前に全国ネットのテレビ番組でこの銭湯が取り上げられた際、その女性自身が番組のインタビューで「ここで出逢った人とお付き合いしてます」なんてカミングアウトしてて、しかも放送後は会社でもあけすけにそのことを言ってるので、もう秘密にする必要がなくなったんで、ここにもこうやって書いてるわけなんですが、本作もそういう微笑ましい話になるんじゃないかと思ってた。
おかげですっかり古田新太×伊東蒼というトラウマ映画のことは連想していませんでした。
いや、このコンビで最悪の展開を迎える映画が過去にあったからこそ、まさか「天丼」として再びその悲劇が出来するなんてのは予想外。
今回は「それ」がセリフだけで語られたんだけど、あの忌まわしい映像がフラッシュバックして、つらくてつらくて。
なんちゅう悪趣味なキャスティングをしてくれるんだ!
本作は大九さん×お笑い芸人原作の映画としては、前作に続き2連続となるんですね。
ただ、前作の明るい作風とは異なり、びっくりするほど重かった。
あと、男性が主人公になるのは、「ただいま、ジャクリーン」以来13年ぶりで、かなりレアなこと。
本作はジャンプカットを始めとして、めちゃくちゃ意識的なヌーベルバーグ文法が採用されてて、終盤の河合さんの長回しの途中でぐっと顔によるズームもそうなんだけど、対照的に中盤における蒼ちゃんのショットは引きの長回し。
それはこの二人の女性に対する、小西君の心理的距離を表しているからではあるけれど、映画的には「旬で無双の河合さんのアップに対抗しうる、ヒキの画でも観客の心情を全部かっさらってく難しい役どころ」になる、こんな難しい演技をやってのけた蒼ちゃんに対して満点を献上します。
結構人が入ってたヒューマントラストシネマ渋谷で、ひとつ空けて右隣に座ってた女性は蒼ちゃんの長ゼリフで涙腺が決壊して、そこから最後までほとんどハンカチを握りしめたままご覧になってました。
河合さんがアップになるもんで、「じゃあ、蒼ちゃんの演技もアップで見たかったなあ」というフラストレーションが、ラストのB班撮影のアップ映像のインサートで解消されるところも、「大九監督、お見事!」ってなりました。
ある出来事が起こったときに、自分の矮小なる視点と少ない情報量と陳腐な想像力でもって、その出来事について全部を引き受けたり、諦めたりした気持ちになっている人物に対して、最終的に「世界はお前ごときが解釈できるほど単純なものじゃないんだよ!」と刃先を突きつけてくる物語。
これまでの、女性視点の大九作品について、女性が自分事として感じている「痛さ」に関してはリアルに想像力が働かなくて、「ひゃあ」とは思ったんだけど、男性を主人公に据えた本作で初めて私もほんとにリアルに「痛い」と感じました。
まあ、だからこそ、最後のご霊前の長ゼリフは「おいおい」と客観的に見ることができて、「俺なら身を引くかなあ」とも思ったけど、だからこそ、これまでの女性主人公の大九映画についても、もっとコントラバーシャルな女性の意見も聴きたいなあと感じました。
いつも通り、焼酎を呷りながらのレビューなんで、ぐだぐだ。
書き忘れたことはないかな?
そだ。
大九映画の主人公は全員鎧を着てる。
本作では傘も髪型のお団子もそう。
際たるものは、これまで繰り返し描かれた、アパートの玄関で靴を脱ぐショット。
大九映画でアパートに帰ってきて靴を脱ぐのは、鎧を脱ぐこと。
それが本作では、ありそうで出てこない。
「さては大九さん、男性主人公ではその聖域には踏み込ませないか」と思ってたんだけど、本作では溜めに溜めた後、小西君の「アパート帰還+足元」がありましたね。
まるで、大九監督から、「え? 私がそんな逆性差的なこだわりを持ってると思ってた?」って言われてるようで、「自分の矮小なる視点と少ない情報量と陳腐な想像力でもって、「大九映画」について全部を理解してたつもりになってる私に対して、「私の映画はお前ごときが解釈できるほど単純なものじゃないんだよ!」と切っ先を突きつけられた気持ちになりました。