夜のダイヤモンドの作品情報・感想・評価

「夜のダイヤモンド」に投稿された感想・評価

ぱね

ぱねの感想・評価

4.7
フランスのヌーベルヴァーグが当時映画業界において「新たな波」をもたらしたのなら、この映画はその映画革命に匹敵する斬新な映像、音響表現を見事にフィルムに収めた。

端的に言えば、素晴らしすぎる。この一言に尽きる。

私は映画を定義付けしたくない。なぜなら映画に文法など存在しないから。
しかしこの映画を見て思ってしまった「まさにこれぞ映画だ」と。

「映画はこうあるべき」という従来の考えを覆す、そんな映画だ。
そしてそのような映画こそ、映画のあるべき本当の価値なのかもしれない。

最後に、jeffreyさんへ。
こんなにも素晴らしい映画をYouTubeにて紹介していただき心より感謝致します。
jeffreyさんへ届くかわかりませんが、ここに書き置き致します。
Bee

Beeの感想・評価

4.0
YouTuberのジェフムービーさんが紹介してて鑑賞。

タラレバのシーンと本当のシーンを何度も交差するので一回で全てを理解できなかったが、ジェフさんの考察を見て再度注目点を観て、色々納得。
手や顔、首に蟻が大量にいるシーンが衝撃的。

ジェフムービーさんの動画→
https://youtu.be/A35fQZpwIx0
Asskicker

Asskickerの感想・評価

4.5
『夜のダイヤモンド』

Jeffreyさんのレビューを観て鑑賞した。

冒頭、逃げ惑う2人の青年、ロングショットでカメラが彼らを追う、銃声と「止まれ」という叫び声。
レビューを観なければ明暗のコントラストの意味をしっかりは理解できなかったかもしれない。皮肉が多く入り混じる映像だった。

多民族故の民族間の争い、ユダヤ人というだけで狩られる。これが戦争末期の人間の姿か。
両手を高くあげ立たせる二人と宴会を開き歌を歌い、酒を浴びる老人たちの対比がものすごく皮肉。
チェコヌーヴェルバーグの映画を鑑賞したのは人生で初めてだったので鳥肌がたった。
Jeffrey

Jeffreyの感想・評価

5.0
「夜のダイヤモンド」

お知らせ。
こちらはYouTubeで紹介してますのでお時間ある方ぜひ覗いてみてください。

https://youtu.be/A35fQZpwIx0

〜最初に一言、私の人生ベストに君臨し続けるチェコ映画史上最高傑作と自負。観る者全てを凌駕する沈黙と残酷な現実表現と咀嚼音。ある意味で興奮醒めない恐ろしい映画である。本来なら私はこの映画を誰にも教えたくない。私だけの映画…特別な一本だ〜

冒頭、トンネル近くの森の中の暗い画調。2人のユダヤ人少年が走る。捕虜を乗せた貨物列車、林の中の沼地、農家、撲殺未遂、岩場の斜面、松林、村長の部屋、老人の監視隊、プラハへ。今、不条理な世界に落とされた人間の物語が始まる…本作は1964年にATG配給で、奇跡的に日本でも公開されたチェコ映画の最大にして最高傑作と自負している私の最も好きなチェコ映画がクライテリオンからBD化されたので、購入してこの度久々に鑑賞したが文句のつけどころがない、正に私のオールタイムベストの傑作中の傑作だ。頗る興奮を覚える。まず、チェコスロヴァキアの作家アルノシュト・ルスティクが、自らの体験を綴った小説"闇に影はない"の短篇集をヤン・ニェメッツが監督した長篇第一作である。

そして脚色は原作者A.ルスティクと監督のニェメッツの共同であり、撮影はヤロスラフ・クチェラ、編集はミロスラフ・ハーイエックが担当したもので、出演はアントニーン・クムベラ、ラディスラフ・ヤンスキーである。この作品は日本ATG配給映画の1時間6分の短い作品でありながら64年にペサロ映画祭で受賞し、マンハイム映画祭でも大賞受賞している。

まず最初に言いたいのは、この作品はイメージで見るものだ。ほとんど台詞がなく、映像を得て情報を探していく作風、国内で円盤化されていないのだから是非ともこのブルーレイを購入するか、YouTubeに落ちてるお粗末な映像で見るかどちらかを選択して観て欲しい。チェコの言葉を知らなくても全くもってスムーズに理解できるだろう。私がそうであった様に…。この作品を最初に見たときの私の想いを語らせたら2、3時間は話せるだろう。こんな猛烈な素晴らしい映画を見たのは生まれて初めてと思った事を今でも忘れていない。今、私がこの文章を書いている最中も、アドレナリンのようなものが放出していて、少しばかりハイな気分である。

1人ながらにテンションが上がっているのだ。ついにこの映画を紹介できる時が来たと思い、今は懐かしいアートシアターギルドのNo.61の冊子を繰り返し読んだことが走馬灯のように思い出される。ATG…それは私にとっての青春そのものだった。今回私が是非ともこの作品を1人でも多くの人に見てほしいと思い、字幕がなくて見る気を失せてしまう人に逃げて欲しくないため、ここで単純明快にあらすじを教える。これを読んでぜひとも今すぐYouTubeで検索しみて欲しい。

さて、簡単な物語説明。物語はユダヤ人の捕虜を乗せて、カルロヴバリの収容所に向かう貨物列車が山の切り通しを走っていく。2人のユダヤ人の少年が、収容所から収容所へと送られる貨車から、チェコの国境近くで脱走する。ここでけたたましく響く銃声。その脱走する期間は、その追ってから逃れるまでだ。止まれ…との声が聞こえる。2人はプラハを目指して山の中を飲まず食わずで逃げ続ける。上着は途中で脱ぎ捨て、草むらをかき分け、飢えと疲労、そして寒さと孤独との戦いを虐げられる。死に直面した2人は、途中ドイツ領の農家でー片のパンを乞う。少年は密告を恐れて、その農婦を撲殺しようとするが、結局は自信がなくて殺すのを諦める。続いて、農婦の密告で2人はドイツの民間監視隊に山狩りされて逮捕される…

〜序盤、中盤、終盤すべての詳しい物語説明(英語字幕を解読して書いているため違う部分がある可能性あり)〜

本作は冒頭に、鐘の音が鳴り響く暗闇のファースト・ショット。まだ鐘は鳴り響く…。徐々に音が霞んでゆく。するとまた鐘の音は大きく響く。まだ静寂な黒い画面が続く。スタッフ、キャストの名前が紹介される。画面はパッと変わり、林の斜面を登る少年2人を捉える。ここでは少年2人を第一と第二に分けて言う。第一の少年より少し遅れて第二の少年が必死でかけていく。そして彼は走りながら強制収容所の頭文字のついた服を脱ぎ棄て作業服になる。銃声の音がまだ激しく2人を追ってくる。林の中へ逃げ込む2人。銃声がだんだん遠くなるにつれ、2人は地べたに這いつくばるようにしていく。貨物列車が遠ざかっていく。続いて、林の中へとカメラは移る。茂みの木々から太陽が遮られ、薄暗いじめじめした林、拳銃の音はやんだにしろ、不気味な静まり返った空間が何とも言えない空気を醸し出す。

音声は少年たちの荒い息遣いだけを集中的に聞こえるようにする。第一の少年は地べたに仰向けになって伸びている。その傍らで第二の少年も横になっている。その手の甲に蟻が数匹這い上がるショット、地面に唾を吐きつける第二の少年。蟻が手の甲にいっぱいについている描写、苦しそうに咳き込む第一の少年の歪んだ顔、第二の少年もむせながら膝を抱くようにして斜面に座る。

ここでプラハの街の回想場面が写し出される。

市電が来る。まだ囚人服を着ている第二の少年が市電を追っていき飛び乗るショット。カットは変わり森の中(多分、翌日であろう) 2人の少年は足場の悪い斜面を不安定ながらに歩いて行く。人目を避けて、木々の間を抜けて目の前に覆い被さる小枝を避けながら前進していく。第一の少年は後から来る第二の少年を時々気遣って振り返りながら歩いて行く優しい場面を見せる。カメラは第二の少年のシャツの前をつかんでついていく場面をとらえる。2人は黙々と森の奥へと向かう。

続いて、道に水の流れを見つけた第一の少年は、腹ばいになって顔に手で水をすくって何度も浸かす。第二の少年は、水面に口をつけて思いっきり水分補給する。少年たちは静かな森を歩いていく。ここでカラスの鳴き声と少年たち荒い呼吸の音だけがするシーンとした空間が写し出される(ここで、また回想描写へと変わる)。市電の中の風景。第二の少年が連結器の所の窓を乗り越えて、前の車列とへ行く。

続いて、回想描写から現実描写へと変わる。ここは沼地だろうか、湿地帯と言うべきか…来た道よりも少し明るくなっている。少年たちはぬかる地面に足を取られたり、水たまりも構わず歩いて行く。第二の少年は、沼々の足元を立ち止まってみる。第一の少年のあみあげ靴の足のショット、そして貨物列車の中の描写へと変わる。強制収容所に輸送されるユダヤ人たちが周りの囲いに寄りかかって座っている描写が写し出される。第一の少年と第二の少年は何か言葉を交わす、第一の少年は懐から半分に切った蕪を出して第二の少年に渡す。第二の少年は自分の履いてたあみあげ靴を交換に渡すここで一瞬だが、沼地の画に変わり、第一の少年の靴を見ている第二の少年が捉えられる。

シーンは貨車の中へ。蕪を噛み付くように食べる第二の少年。第一の少年は大事そうに靴に足を入れる。シークエンスは変わり、沼地へ。第二の少年は第一の少年の靴から目を放さないで歩いていく。その額に汗が滲み手で脱ぐ描写が映される。場面は変わりプラハの街へ。ここは彼らの回想の中だ。市電の窓越しに見えるプラハの住宅街(第二の少年の見た景色)。カメラは林の中へ。黙々と先を急ぐ少年2人。

森の中の空き地へたどり着く2人。崩れた小屋の跡に休んでいる少年たち。第二の少年は泥の中から何か得体の知れない木の実のようなものを拾っててむしって食べている。第一の少年は腰を下ろして編み上げ靴の紐は解き始める。第二の少年はむしゃむしゃと木の実を口にほおばる。また、カラスのような鳥が鳴く。第二の少年は口のものを吐き出す。第一の少年は痛そうに靴を脱ぎ、石で靴に出た釘を叩く。一方で木の実を食べた少年は結局全てを口の中から吐き出してしまう。

そして森の中へ。第一の少年は靴を脱いで足をそっと木の枝の先で突いてみる。痛みで足が反応する。第二の少年は木に体を持たせてもっとこっちへ来いよと言う。彼は汚れた布で足を包んで改めて靴を履いて第二の少年の方へと進む。寒そうに彼の傍にしゃがみ込む。冷気に包まれた瞬間である。ここで回想が映り込む(ここでは第一の少年と第二の少年が寒さに耐えられず、体を動かすが全然暖まらない。そこで眠っているのか眠っていないのかを確認する場面である)。

翌朝の林の中。雲が切れて晴れ間の出た美しい空のショット、空腹と疲労で力のない少年たちは、ゆっくりと歩いて行く。第一の少年は足を引きずり、枝の杖を頼りに歩いて行く。木々の間を抜けるようにしていく2人。びっこをひいて、引きずるようにして歩く少年の足のショット、倒れている木をやっとの思いで乗り越えていく。回想描写。高い塀に囲まれた道、ピカピカに光った革靴を鳴らすように力強く歩く2人の少年。少年たちはコートの背中にK.Lの印を押されている。

カメラは林の中へ戻る。木の間を進んでいく少年2人。高い木々の葉の間から眩しい太陽が顔を出す。逆光に目がくらみ、(このシークエンスは回想と思われる)→眩しい太陽に照らされて、第二の少年は玄関を出て行く。木々の間から漏れる太陽の光。少年2人がアパートを連れ出される(この映画は回想と現実がものすごい勢いで交差しながら展開するため、いくつもの描写が混じる。例えば現在、記憶、未来といった形に様々な描写がある)。

続いて、岩場の斜面の描写に変わる。ゴツゴツとした岩場の斜面をよろけるように上ってくる少年2人。蟻の巣に蟻が集っている。フラフラしながら上がってくる第二の少年。2人とも立ち止まって、第二の少年はこの前食べてからどれくらい経ったんだろう?一体もうどれくらいの間何も食べてないんだろうと口に出す。そうすると第一の少年は知らないよ。そんなこと考えてみたって意味がない。今日何か手に入れるさと話す。第二の少年は何も収穫なんかできないとネガティブになる。

続いて、第二の少年は喉の渇きと空腹と苦痛で体が弱り、第一の少年に俺を置いて1人で行ってくれと言う。ここで蟻がいっぱい動いているグロテスクな描写が写し出される。先に上がっていく第一の少年に向かって第二の少年が待ってくれと叫ぶ。彼の手や首、顔には蟻たちが群がっている。彼は慌てて蟻を払い退けるとゆっくり立ち上がってまた岩の斜面を歩き出す(ここで斜面をスノーボードで若者たちが滑ってくる回想が映る)。

続いて、別の森の雨降る日。激しく土砂降りの雨が少年たちを襲う。だがいいこともあるようで、彼らは口を開いて雨を飲み込む。そしてシャワーのように雨で顔を洗う。木々に降り付ける雨の美しいショット、切り株に降り注ぐ雨のダイナミズム、雨を仰ぐようにして飲む少年の神秘的なシーン、やがて雨で空気が冷たくなり、咳き込み始め、第一の少年は次第に寒そうに縮こまってしまう。第二の少年も身を縮める。雨足が次第に弱くなる…。

ここで第三者の人物がフレームインされる。黒いスカーフをした中年女が袋を下げて上がってくるのだ。少年たちはじっと見ている。馬に耕作機をひかせた老人が斜面を降りてくる。木々の間から、様子を伺っている少年たちの描写、ミルクを飲み干す老人の画、大きなパンに食いつく老人、それをじっと見つめる少年2人。カメラは女の家(農家)を捉える。女が家のそばまで来ると、犬の鳴く声がする。女は納屋のような家の戸を開けて入っていく。女を尾行した少年は裏の塀際に身を潜めて様子を伺う。

女は外に現れ、鶏たちに餌を与える。繋がれたシェパードが吠えると女は犬にも餌を与える。彼女は家の中へ入り、第二の少年は第一の少年が杖にしていた棒を握って何か思い詰めたように立ち尽くす。やがて戸の入り口の扉が開いたままになっているのに気づき、第二の少年が思い切って歩き出す。そうすると犬が吠え始める。第一の少年は地べたにしゃがみ込んで指をくわえ笑っている。そしてふと足に目をやると、靴の紐をそっと緩めて痛い足をいたわる様にゆっくりと脱ぐ。

カメラは家の中へ。そっとドアを入ってくる第二の少年。テーブルの上に用意された一枚の大きな皿。きちんと整った部屋の中には彫刻のある椅子や食器棚などがある。そこに黙って女が少年を睨みつけている。第二の少年は持っている杖で女の頭を殴り、その女は床に大の字に倒れて死んでしまう(これは第二の少年の妄想の中である)。その女がチョコレートの付いたパンを出してナイフで切る。少年はゆっくりと近づいていく。女はテーブルの上にパンを置いて壁際に引き下がる。少年はパンをわし掴みにしてそのまま後ろへ去っていく。(ここでも妄想が映る)。

彼は扉から素早く逃げる。カットは変わり、家の裏手の描写へ。大きなパンを夢中で食べる第一の少年。そうするとまた口の中から今食べたパンを吐き出してしまう。どうやらあまりの飢えと渇きで十分に飲み込むことができないようだ。それを見ていた第二の少年もパンを食べてみるがすぐ吐き出してしまう。第二の少年は、また棒をとって立ち上がると家の方へ歩いていく(この時犬が吠え始め、少年に飛びかかろうとする)。家の中へ。第二の少年は女のほうに向かって黙って口の中を見せる。家の裏手へ。第二の少年はコップのミルクをかぶ飲みして第一の少年に回す。もらってきた茹でたじゃがイモをほおばる。窓越しに少年たちの様子を見ている女の姿が映る。

そして少年2人はゆっくりと林の方へ歩いて行く。カメラは犬と黒いスカーフをかぶった女の姿を窓越しにとらえる。続いてカットは変わり松林の中へ。村長の配下の老人たちが、それぞれ拳銃を持って楽しそうに集まっている。その中の1人の老人がみんなをー列に並ばせて点呼していく。少年たちはまた必死で林の中を逃げていく。少年の足の痛みがピークに達し、第二の少年の肩につかまって進む(ここで彼らの回想が映る)。

続いて、松林の中へカメラが戻る。止まれと言う声が下の方から響く。老人たちに追われる少年2人。老人たちは、ー列に並んで拳銃を構えている。そして、よぼよぼの手で銃弾を詰めるショット、息を切らせて逃げる少年2人のショット、老人たちが拳銃に弾を詰めては、次々に発砲する。音がなく林の中に銃声が響く。続いて老人が自転車を抱えて上がってくるが邪魔になり捨てる。(この時、時々銃声が響く)。

少年たちは互いに置いていかれないように手をつなぎ必死に逃げる。茂みをかき分けながら懸命にかけていくシーンが写し出される。第一の少年が途中でつまずいてしまい、2人は疲れきった表情で茂みへと入る。続いて、松林のはずれに、アスファルト道路が通っているのを見つける。そして車の音がするとトラックが道の向こうからやってくる。第二の少年はそれを見るなり顔を上げて道路に転げ落ちるように出て行く。そしてトラックにしがみつく。

だが、第一の少年が足を痛めていたために、転んでしまい、振り向いた第二の少年は急いで相方である彼を助けに戻るが、その間にトラックは行ってしまう。そこに村長率いる老人チームがやってきて彼らに拳銃をちらつかせ近づいていく。そして村長は起きろ、手を上げろ、歩けと怒鳴る。少年たちは両手を上げて老人たちに従う。続いて、村長の事務室の隣の部屋のショットへと変わる。

捕らえられた第二の少年は壁にもたれて座っている。第一の少年はその傍に横たわっている。入り口のドアが開いて、老人たちが銃を肩にビールのジョッキーを持って入ってくる。第二の少年は相棒の投げ出されている編上げ靴の足を見つめる。ここで、貨物列車の中で第一の少年が相棒の靴を見ている回想シーンへと変わる。そして現在に戻り、老人たちは部屋にテーブルを並べて席につく。少年たちは体を動かせない。彼らはソーセージやパンを食べ始める。

その光景をじっと堪える第二の少年。食事をし始める老人と少年のカットバックが写し出されて、ビールで乾杯を始める彼らが騒ぎ出す。そして画面はまた回想へと変わる。そして少年2人は壁に向かって立って両手を挙げている。その背後では老人たちがテーブルの上にローストチキンを置いて食べている。後ろを向いて両手を挙げている少年たちのショットと、回想がまた入る。老人たちは満足げにチキンを食べている。壁に向かってて立っている2人の少年、ここで少年の家の入り口のドアとまだ食べ続けている老人のクロスカッティングが写し出される。

続いて、その場で音楽に合わせて手拍子を打ちながら踊り出し始める。パイプを加えた老人ははしゃいでいる。老人の1人が少年たちの背後に近づいて何かを話す。彼らはまだ後ろ向きのまま立っている。ここでもまた回想が入る。ぐるぐる回りながら踊り続ける老人たち、第二の少年が振り返ってドイツ語はしゃべれないんだと言う。カットは村長の部屋の前へと変わる。部屋のドアが開き、村長は皮のコートのようなものを着て出てくる。そして別の部屋のショットでは村長がソファーに座る。第二の少年は"お望みなら電話でプラハの警察に確かめてくればどうだい"と長々と会話をする。村長は6時に憲兵がお前たちを迎えに来て、カルロビバリへ連れて行く。そこで軍事裁判にかけて厳しい判決を下すことになっていると言う。

続いて、老人たちがいる部屋に変わり、歯抜けの老人までがまだ歌を歌って楽しんでいる。第二の少年はぼんやりした目で見ている。ここでまた林の中を歩く少年たちの回想シーンへと変わる。そして1人の老人が少年たちに近づき、村長が私を呼んでいるからお前たちはそのままじっと座っているんだぞと忠告する。途端に第二の少年は声を落として第一の少年に耳打ちする。第二の少年は途中で憲兵をやっちゃおう。第一の少年は微かにうなずく。第二の少年はお前のメンツにも関わるぞと言う。第一の少年は引き続き微妙な反応する。老人は出て行こうとしたが、黙れと言ってからドアを出て行く。

※この先からはほぼクライマックスなのでネタバレになる。注意してください。

続いて、村長の部屋にカメラは変わる。彼は老人に6時にあいつらを建物の前に連れて行けと命令をする。ここでまた回想が入る。そして銃声が2発聞こえる。カメラは薄暗い廊下へと変わる。2人は重い足を引きずりながら階段を降りていく。後から押し立てられるようにして外へ出る。そして少年たちの背後に老人たちが銃を構えて立っている。老人はよーいと掛け声をする。少年は坂道をよろけながら歩き始める。そして少年の肩を抱く第二の少年の姿、村長が様子を見ている。そして老人が撃てと言う。一斉に発射する老人たちのショット、老人たちの誇らしげな拍手が無残に聞こえてくる。

カメラはそのまま少年たちを捉える。そして回想へと入っていく。森の中をかけていく少年2人。必死で逃げていく少年たち、木の茂み、薄暗い林を逃げていくユダヤ人の少年…彼らの運命は…とがっつり説明するとこんな感じである。今回あえて回想シークエンスの場面は書かなかった。それを書いてしまうと重要なポイントが全てネタバレになってしまうからである。いゃ〜やはりユダヤ人の少年を逮捕したことに喜びを感じた監視隊(老人たちの事)は祝盃をあげる(ここではその祝いの席と監禁された少年達の悲惨な状況が対比される)。彼らは裁断にて不条理な運命が待ち構えている事を知った観客は驚いてしまうだろう。非常に印象的な場面であった。

いや、もう傑作でしょう。
この作品はどうやら原作とは違って収容所の回想が全て排除されているようだ。監督が紋切り型の収容所を映画の1つに、この作品を一緒にしたくなかったと言う節があるように見える。だから、この作品は一味違う戦争映画、ホロコースト映画の立ち位置を持っているのかもしれない。いわばこの手の作品は必ずと言っていいほど単純に反戦や反ナチの映画が多くあるが、この作品にはそれだけに留まらない精神的な何か…人間の限界を映す鏡でもあるように見て取れる。

この映画の画期的なところは、逃げてきたいわば脱走した2人のユダヤ人の少年が自ら選択肢を得て、それを自らの意思で選べる権利がある場面がある所だろう。例えばドイツ領の家でパンをもらう際に農婦を撲殺しようとする決断を一旦は固めたものの、結局その選択をしなかった点や 2人がトラックに飛び乗ろうとするが、1人の少年が転んでしまいもう1人の少年だけがトラックに乗って逃げることができた選択をあえて選ばずに、転んでしまって足を痛めた少年を置いてきぼりにせずに一緒に残った選択を選んだ場面である。

さてここがポイントで、この今挙げた2つのシークエンスで見れる事柄は、その優しさと言う選択をとった事により2人は監視隊に逮捕され不条理な扱いをされるのである。いわば逃げるチャンスを彼ら自身が放棄しているのだ。人によっては映画的でつまらない、他の作品にもこのような演出はあると言う人もいるかもしれない。だが、この2カ所が本作の最も重要な場面であり、この作品を見るにあたって非常に重要な部分である。たったこの2カ所だけが数多くある戦争映画とは一線を構えた立ち位置になっているからだ。

本作は不意に森を走るシーンからプラハの街角が現れて女性と話をしているショットや囚人服を着た少年の1人が市電に乗る場面などをカットして、観客に見せる風変わりな演出をしている。多分、主人公たちの過去や未来、現実をごちゃまぜにして展開させるような取り組みがあるのかもしれない。この構成が逆にリアリティを生んでいるようにも見える。そして、本作には繰り返し映るショットがある。森の、街角の、貨車の中での…といった具合に。

それに記憶が断片に映ったり、彼らの望み言わば願望と言うものだろうけど、それらの思いが表れたりもする。単純だけど一筋縄ではいかない監督の想いが、様々な非現実的なショットや幻覚と幻想的な演出で観客にグロテスクな美と美しい醜をフレームから見せている。これもかなり個人的には好きな演出である。例えばだ。顔いっぱいに蟻がわくシーンや農婦撲殺未遂の場面での光景だろう。詳しくは言わないが、観れば分かるはずだ。錯覚、混乱=幻覚として映される瞬間である。要するに観客は区別が付かなくなっていくのだ。

その映像感覚はずば抜けており、これが長編デビュー作なのかと感心してしまう。カメラワークといい、イメージ作りといい、何もかもが映画として抜群の構図を誕生させている。オープニングショットからの長回しや引きに撮っては寄りに撮ったり、手持ちカメラの臨場感を与えたり、2人の少年が貨車から飛び降りて、森をただ走るだけの画なのに、その直後から始まる物語を淡々と映すオープニングの強烈なインパクトは一体なんなのか…と考えてしまう程だ。

それに先程言ったカメラがスライドしていくと言うのは基本的には左から右の一方方向に統一している。彼らが抜けるドイツ西側とチェコ東側の国境に位置する森からプラハへと一直線で向かっていることを示唆するためにあえて一方方向のカメラワークを象徴的にしていると考えられる。そしてカメラは横描写から前方に向かうショットへと変わってゆく。とにかくイメージによる様々な事柄がこの作品の画期的な所である。そもそも惨たらしいことに2人のユダヤ人少年が飲まず食わず走ってきてたどり着いた家では、鶏や犬のような動物が餌を与えられて食べているのにもかかわらず、2人は何も食えない状態なのだ。なので口が渇いたのか雨を飲み込もうとするショットもこの作品にはある。

そして捕まってしまい監視隊の人たちが飲み食いする不条理な世界へと対比していくのだ。そのシーンで壁際に立たされた2人のショットのなんとも虚無感イメージと老人たちの宴のグロテスクな儀式、これは凄い場面である。強烈以上の言葉を使って表現したいものだ。それに英国映画の「スカム」同様に、この作品も音楽が一切ない(一部、踊る場面では流れる)映画で、その割には物音や人間が出す音を強調させる下りがある。それと口が動いていても声と言うものには出さない風変わりな演出もしている。基本的には沈黙であるのだ。しゃべっていても我々観客にはその音が聞こえないのだ。聞こえてくるのは無意味な音だけだ。

監督はサイレント映画を作りたかったのか、基本的に無声映画に近い演出をとっている。やはり意図的に沈黙に向かって音をデフォルメしている事は周知の通りだと思う。本作ではかなり音が重要とされていく。それには9つの音がある。第一に幻想世界の音、動物の吠える声、拳銃の音、水の音、教会の鐘の音、時を刻む音、小鳥のさえずり、列車の音、呼吸の音…である。これらの音がそれぞれの空間を緊張的に際立たせたものになる。そういえば一片のパンの為に人生を棒に振ると言う映画はフランス映画「レ・ミゼラブル」がある。この作品もそのような設定をしている。

そもそも監視隊のご老人たちがナチ世界を容認してしまい、人間性から離脱したいわば絶対悪の共犯者になっていき、若い芽を摘もうとするシーンは結構個人的にショックである。やはり死にゆく老人たちは絶対権力のナチスにひれ伏して我が身を守ったのだろうか、それがあのシークエンスに少しばかりだが反映してるように思えた。そもそも50年代のポーランド映画がいわゆるポーランド派を中心に話題を呼んだ時期を考えてみると、ポーランドの国内状況を考えられる。

本作のチェコも、いやチェコスロバキアと言った方のが良いのかもしれないが、当時の政治情勢と言う変化を応じてチェコ的状況と言う作品が多く作られたんだと思う。実際に評論家ヤン・ジャルマンの論文を日本語に翻訳して読んだのだが、チェコ映画の新しい波が実際に現れたのは1956年以降と記載されていた。その論文にはこうも書いてあった。社会主義諸国と違ってチェコスロバキア映画はソビエト連邦の社会主義リアリズムやイタリアのネオリアリズムの影響をほとんど受けていない。ポーランドにしてもブルガリアにしても雪解け期あるいはその後まで社会主義リアリズムを保ち続けたのだが、チェコスロバキアは雪解け以前にあっても若干の作品を除き社会主義リアリズムの影響は希薄だったのであると記載されていた。

多くのヨーロッパの評論家がかつてのポーランド映画は一体今どこへ行ってしまったのかと言う疑問にぶつかっている最中、日本人である我々は一体日本映画は今どこへ行ってしまったのかと感じてしまうのと同様に、その答えは簡単に出ないだろう。ポーランド映画に関してはワイダ監督の抵抗三部作の傑作である「地下水道」「灰とダイヤモンド」カヴァレロヴィッチの「尼僧ヨアンナ」ポランスキーの「水の中のナイフ」ムンクの「鉄路の男」など多くの傑作が50年代から生み出されていた。

これは不謹慎かもしれないが、あえて言わせて貰う。ポーランドもチェコスロバキアも世界にほとばしった傑作を多く見出した最大のテーマの1つである物事を言うのであれば、やはり戦争体験の掘り起こしによるものだろう。この2つの国の作品は戦後の意味において色々と映像を通して体験でき、確認できるものが多くある。それ以外のものもあるが、間違いなく映画自体に情熱的な要素を打ち込めた要因の1つにあるのは第二次世界大戦である事は間違いがないと思う。


だからポランスキーの「水の中のナイフ」が登場したときに1つの世代が移り変わったと多くの人が確信したんだと思う。ポランスキー以降のポーランド映画は戦争と言う呪縛から解かれた新しい時代の作品を撮り始めたのだ。なので彼の作品群はいわばシンボリックなポーランドの新たな物語を映した重要な作品になる。この作品日本で公開された当時は61分となっていたが、今回のクライテリオン版ブルーレイには67分となっている。6分間ほど増えているのだが、何か追加のカットでも入ったのだろうか?その情報が全くないので少しばかり気になるが、ただの時間間違いなのか。

あの木が切り倒されて、画面に向かって何本も倒れていくシーンと少年がしゃがみ込む横顔のクローズショットのカットバックの描写や、荒れたゴツゴツした岩場の斜面を歩くシーンの印象深い事…そして所々に挟まれる蟻塚のショットのグロテスクさ、顔にまで蟻が群がるシーンも圧倒される。それに現実を黒くコントラストして、回想を明るくコントラストする演出も素晴らしい。基本的には逆にすることが多いと思うのだが、この作品では明るいのを回想シーンへと変えている。確か、日本映画の「ソロモンの偽証」と言う作品もそういう手法を取っていた。

そしてあの土砂降りの中、懸命に喉仏をさらけ出して水を飲もうとしている第二の少年のショットと雨に濡れた地面のカットバック、強烈な雨の音とともに襲いかかるダイナミズム、それからこの森とは別世界である雪山で板で滑るショットが挟み込まれる回想シーンにこの映画唯一の救いがあると言っても過言ではなかった。なので個人的には印象的に思えた。それに第二の少年が木の陰から農婦の旦那が巨大なパンを食べているシーンもなかなか強烈だ。何が強烈かと言うと、飲まず食わずの彼が見ている1人じゃ全部食えないであろう巨大なパンにかぶりついているこの不条理な状況下が凄いのである。

この作品はとにかく第一の少年が足を気にするシーンを多く映している。それと彼がおもむろに笑ってしまう場面も多くとっている。その笑いは農婦が鶏、犬に餌を与えた途端に笑っていた為、きっと俺らが飲まず食わずでいるのに動物が餌を与えられているこの不条理な世界に、いてもたってもいられず笑ってしまったのだと思う。そりゃそうだよな、ペットの動物がたらふく満腹になって人間様が飢えているのだから。笑うしかない…。そしてパンを手にした少年2人が食べるのだが、吐き出してしまい、と同時に血まで口から出す場面は正直ショックである。

それにパンとミルクを食する2人を真っ正面からとらえたショットも非常に印象的である。それを黙って窓際から見る農婦の画も凄い。また、この映画は少年2人以外にも不条理な事柄を味わっている団体がいる。それは老人たちである。あのユダヤの少年たちを必死で斜面の林の中から数十人が一斉に射撃をして、それでもい一発も当たらないこの現状だ。基本獲物に的をめがけて撃つため数うち当たるはずなのだが、この老人たちが打つ拳銃の弾はー発たりとも当たらないのだ。普通、威嚇衝撃なら当たらなくてもわかるのだが、標的を決めて撃っているのだからあんな何発も撃てば当たると思うのだが…にしてもあんな老いぼれに若い芽を摘む意味合いが画面から伝わってきて笑える。

あと強烈なのは老人たちがソーセージとパンを食べているときの無音の中のくちゃくちゃと食べている耳障りの悪い音が強調されるシーンは凄い。その後のビールで乾杯する宴も見ているこっちからすると精神が参るほど悪たらしい。あんな胸くそ悪い映像は滅多にない。よくもこんな不愉快な連中を監督は見つけてきたなと思う。何もかもが強烈だこの老人たちは。最後に、私はこの映画を独り占めしたい。誰にも本当ならば教えたくない"私だけの映画"にしたかった。この独占したかったチェコからの素晴らしい作品を今、見て欲しい。

余談だが、監督の松本俊夫はこの作品を絶賛していたらしい。あと主人公が試着していた大きなペイントのコートがファッションとしてかなりお洒落で個人的に着たいと思った。それと今月の中旬からチェコヌーベルバーグ特集をYouTubeでするので、もしよかったらご覧になってください。とりあえず昨日は一気に5本撮りして(火葬人、マルケータラザロヴァー、夜のダイヤモンド、モルギアナ、ナインスハーフ)とりあえず20タイトルを順次紹介していこうと思います。
sonozy

sonozyの感想・評価

4.5
チェコのヤン・ネメッツ監督作。1964年の白黒作品。
原作は作家アルノシュト・ルスティクが自らの体験をベースにした同名短編小説。

貨物列車から飛び降り必死で森へ逃げる二人の若者。
背中に大きく「KL」と白いペンキでなぐり書きされたコートを脱ぎ捨て、「止まれ!」という声と銃声が響く中、無言で走り続ける二人。
手持ちカメラによる緊迫感溢れるオープニング。

水も食料も持たない手ぶらの二人は、体力消耗の限界。
民家を見つけ、パン数切れと牛乳をもらうと、再び森の中を進むが・・・

セリフはほとんど無く、状況説明も劇伴もなし。
二人の息遣い、足音、環境音。二人を捉える手持ちカメラ。多用されるフラッシュバック映像(過去や幻覚・夢)に引き込まれる作品です。

彼らが脱ぎ捨てた「KL(ナチスの強制収容所)」コートから二人が迫害を受けているユダヤ人であることや、多用されるフラッシュバック映像から、プラハの村で平和に暮らしていた様子などを見る側が想像しつつの、ラストも絶妙の67分間でした。

マンハイム=ハイデルベルク国際映画祭(ドイツ): グランプリ
チェコ・ヌーヴェル・ヴァーグの代表的な監督の一人であるヤン・ネメッツ監督作品です。クライテリオン版のBDで鑑賞。原作はアルノシュト・ルスティク『闇に影はない』でナチスの強制収容所に列車で送られる途中に脱走した経験に基づいています。しかし、音とセリフを極力排除しているため、さらに幻想的な内容になっています。

舞台設定は第二次世界大戦のチェコスロバキア。ナチスの強制収容所に送られる列車から脱走するユダヤ人の若者二人が主人公です。しかし、映像の中でナチスや強制収容所を示唆する場面はとても少ないです。また、ユダヤ人の若者二人もそれほどユダヤ人っぽくないです。ヤン・ネメッツ監督は原作の舞台設定や主人公描写をあえてクリアに描かないことで、本作に時代や場所に関係のない普遍性を持たせることに成功したと思います。

「普遍性がある」とは、なんの前提知識を持たずにこの映画を観ても理解できるという意味です。不条理な状態から脱出する若者二人。その不条理はとても恐ろしいもので、銃を持って追いかけられる。その銃を持つのは老人たち。この老人たちはどうやら若者二人と同じ人種のようだ(ユダヤ人っぽい)。原作において、この「不条理」はナチスによるユダヤ人迫害なのですが、本作ではそれが明確ではないのですよ。

この作品もフランスの本家ヌーヴェル・ヴァーグの影響が色濃い映画手法の使い方です。特に顕著なのがアラン・レネ監督からの影響です。短いカットをつなぎ合わせる手法とか。カット・アウェイによるフラッシュバック(またはフラッシュフォワード?)もとても多く使われていて、幻想的な雰囲気を作り出すことに成功しています。それぞれのカットがべらぼうにカッコいいです。グレイン感の強い白黒画像にぴったりのシャープな映像群。

そして、ファッション。いやあ、そのコート欲しいなあ。自分で白いペンキを使ってコートを塗ってしまおうか?ちなみに、二人の若者が着ているコートに書いてある"KL"はKonzentrationslagerの略で、ナチスの強制収容所という意味です。本作では全くそういう説明はないので、調べてみました。しかし、あのように白いペンキで装飾した当時の写真は見つからないので(ボクが見つけられなかっただけかも?)、あのファッション演出は監督独自のものだと思われます。
【堂々巡りの繰り返し】

台詞もストーリーも無いに等しく、オトコ2人の逃走劇の中で、現実と回想(と言うより妄想?)が重層的にループを繰り返す、何とも不思議な作品でした。

物語(のようなものがあるとするならば)こちらは最初から置き去り状態です。

しかし、映像技術は凄まじいレベルで、疾走感からはある種の緊迫感が、シーンの繰り返しからは不安感と疲労感が、強い印象として残されていきます。

その結果として、長い時間と広い空間を、映像の中の2人と共有した気分になりますが、実は短い時間と狭い空間の中のお話という。

そして最後には、全てがまた、最初にループしていきます。

何となく、釈迦の掌の上の孫悟空について思い出される映画でした。
何かしらに追われるふたりの男がひたすら森の中を逃げる逃げる逃げる。ATG配給チェコ映画。
いきなり始まる男二人の逃走劇。
何に追われているのわからない恐怖。
心理描写を断片的に、思い出すかのように以前の生活、路面電車、窓に干されている布団など、(今は喉から手が出るほど欲しいはず)が描写されていて森の中をひたすら彷徨うといった過酷な状況を疑似体験させてくれた。
とても静かな映画だった。森や水の描写はタルコフスキー の「僕の村は戦場だった」みたいだった。
>|