(25)“殯“か...凄く美しい儀礼。彼は認知症でも亡くなった家族のことを何処かの隅で偲ぶって生きていたんだね....自然に還るなんて考えてたりもきっとしてたし主人公(女性)との“死”の露点見てだい…
>>続きを読む綺麗事だとしても、すんごい綺麗だったら割とOK派。
村上春樹「スプートニクの恋人」には、半身を失ったミュウという登場人物がいる。最後全てを「向こう側」に置いてきた彼女をみて、主人公は長い年月のたっ…
尾野真千子が真千子という名前で介護士の役をやる。
真千子と自分の名前を書いた習字を、隣に座っていたその施設の老人のしげきに“千”という文字を塗り潰される。
このシーンを見たとき、あれ? これって千と…
独特なので、レビューつけれない。
印象的なのは、茶畑で追いかけっこをするマチコとケンジ。
そして、森の中で裸で抱き合う二人。そこには互いにとってのなき人が重ねられつつ、それぞれが母であり女へ、息子…
生と死の境目に、失われた者と生きている者とが隔たれている。生死の入り混じる場として森へと赴いたとき、残された二人の、失われた生の実感が、性(身体)を通じ取り戻される。ここにおったらええねん。そして、…
>>続きを読む死んだあとは、海に。死んだあとは、森に。
そう考えたことのある人も多いと思うがどういう感情なのだろう。
永遠の時のアナロジーなのか、自然から生まれたという憧憬なのか。
逆に、海や森で静かに佇んだと…
認知症の主人公と、子供を失った女性とが山に入り込んでいくことの意味。生命の息吹の象徴としての山中。叫びが印象に残った。不安が発生させる孤独感。失ったもの同士の共感。夢。確かに山は不気味だ。一人では入…
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